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石棒研究にジェンダー視点を! [総論]

先週12月2日(金)に「緑川東問題」と題して、所内で発表した。来年開催予定の公開討論会の予行演習という位置づけである。

「大型石棒の儀礼行為としては、樹立使用が指摘できよう。石棒を樹立させていた痕跡と考えられる石棒自体の変色や、胴部上半のみを据えた堂ノ上遺跡例など論拠となる事例は少ないが、大型石棒を「樹立」させる行為は存在したものと推測したい。しかしいずれの事例も樹立したままの状態ではなく、本来樹立していたであろう遺構から抜き取られ、廃棄されたもの、あるいは折損後に素材として再利用されたものである点を踏まえる必要があろう。」(長田 友也2008「大型石棒にみる儀礼行為」『考古学ジャーナル』第578号:11.)

なぜ「大形石棒」についてのみ、「樹立」に拘っているのだろうか?
なぜ「推測したい」といったような自らの願望が述べられてしまうのだろうか?
もっと直截に言えば、実は「樹立させたい」ということなのではないのか?

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石器をどうやって数えるか? [石器研究]

本日、同名の題名で、所内の自主サークルにて発表した。
【内容】
 1.赤星2015附表の信頼性について
 2.どうしてこのようなことになってしまうのか?
 3.不可算名詞(uncountable nouns)としての石器

元ネタは、14年前に発表した(五十嵐2002c「石器資料の基礎的認識と最小個体数」)。 
「個別の考古誌(遺跡調査報告書)にもあるいは石器研究の入門書にも、石器資料に関する計測の項目はあるが、計数の項目は見当たらない。(略)石器について個体数に関する議論がなされていないのは、石器の個体数概念(何をもって一個体の石器とみなすのか)について自明である、との前提が作用しているものと思われる。」(同:29-31.)

本ブログでも、4年前に取り上げた(「1個の石器とは」【2012-0126】)。
「ある石器をハンマーで叩いて10個の破片に砕け散ったら、10個の石器になるのだろうか?
 ある土器の破片が10個あり一個体の土器に復元されて、それを10個の土器とする考古学者はいないだろう。」(一部改変)

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タグ:石器 計数
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高崎2002、そして大坂金太郎 [全方位書評]

高崎 宗司 2002 『植民地朝鮮の日本人』岩波新書790

「元在朝日本人の朝鮮時代への対し方には、大きく分けて三つのタイプがあるようである。第一のタイプは、自分たちの行動は立派なものだったとするものである。第二のタイプは、無邪気に朝鮮時代を懐かしむものである。そして、第三のタイプは、自己批判しているものである。」(201.)

日本考古学協会の創立時委員メンバーに引き寄せて考えると、差し詰め第一のタイプは藤田氏、梅原氏に、第ニのタイプは斉藤氏が該当する。
その他に、第四のタイプとして学問にのみ専念したとする駒井氏、江上氏が、第五のタイプとして開き直るものとして八幡氏が該当しそうである。
第三のタイプとしては、創立時委員には加わらなかった和島誠一氏などが挙げられるであろう。

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櫻本1983『空白と責任』 [全方位書評]

櫻本 富雄 1983 『空白と責任 -戦時下の詩人たち-』 未来社

「わたしが以下に述べることは、従来の金子論にみられる誤謬を指摘し、それらを正すことではない。また、いまさら金子光晴の戦争責任をあげつらったり問責するつもりでもない。それらの誤謬からうかがえる戦後の詩人たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧するからである。そして、不幸にも戦後の詩人たちは、そんな自己の姿勢に無自覚であるように思えるからである。
戦争責任を論考することは、よく弾むボールを厚い壁に向ってぶつけるようなものである。ボールはまちがいなくはね返って来る。ぼんやりしていれば、顔面や胸にしたたかな反撃をもたらすだろう。他と共に問われているのは、常に自身のことである。しかし、壁がいったん<平和>の霞の彼方にかくれてしまうと、投じられたボールの行方も反動も忘却されてしまう。こうして戦争責任論は、「汚れていない白い手」や「おくれて登場した者の戯言」などという次元にすり替えられてしまった。
くりかえすが、わたしの危惧は真実めかして語られる虚妄を、まったく無批判に盲目的に、ひとかけらの検証精神もなく「前提」にしている戦後の詩人たちの、脆弱な姿勢である。
それは、あの戦争や日本軍を「聖戦・神軍」と歌った時代の詩人たちの、うら返しにすぎないのではないだろうか。」(88.)

引用文の「詩人」を全て「考古学者」に置き換えることができるだろう。
「戦後の考古学者たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧する」点において、全く同意である。「ぼんやり」できない所以である。

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WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」 [拙文自評]

五十嵐 2016e 「WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」」『東京の遺跡』第106号、3-4.

「また研究発表のあり方についても、強い印象を受けた。もちろん各研究者の発表を聞くのが主眼なのだが、イメージとして発表はあくまでも議論の材料に過ぎず、より重視されているのは発表後の発表者と聞き手の間でなされる議論のように思われた。あらかじめコメントを述べる人が決められており、当たり障りのない質問がなされて無事?に終了するのが一般的な「日本考古学」との大きな違いである。」(4.)

こうした議論に参入するには、英語力はもとより、研究というものに対する心構え、研究姿勢というものから鍛え直さなければならないだろう。
トレーニングとしてのディベートというスキルが決定的に欠けているお国柄で教育を受けた者は、自らが意識的に身に付けていかなければならない。

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タグ:WAC
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考古学的判断の妥当性をめぐって [総論]

『東京の遺跡』第106号(2016年10月10日発行)の「編集余白メモ」という欄に、「考古学的判断の妥当性とは -「緑川東問題」という問題提起への応答-」(黒尾和久)と題する短文が掲載されている。
もとより編集者が紙面の余ったスペースにメモ書き程度の事柄を記したという性格なのだが、なかなかに看過し難い内容を含んでいる。

「状況証拠に照らした「SV1廃棄時設置」の蓋然性の高さは、報告にしっかり目を通せば理解してもらえると信じているし、…」

これでは、「SV1廃棄時設置」に異論を唱えている私は、まるで「報告にしっかり目を通」していないかのようである。

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『アイヌの遺骨はコタンの土へ』 [全方位書評]

北大開示文書研究会 編著 2016 『アイヌの遺骨はコタンの土へ -北大に対する遺骨返還請求と先住権-』緑風出版.

「ところがある日から、私はある夢を見るようになりました。毎晩毎晩、私は同じ夢を繰り返し見ました。その夢では、私どもの先祖が葬られている森の外に、私が立ちすくんでいるのです。森の中にはとても幸せそうな人びとがいて、彼らは誇りに満ちていました。年長の方々もいらっしゃいました。親や子どもたちも。
その中のある年配の女性が、私が森の外に立っているのを見ていました。彼女は片手を私の方に伸ばしながら私に近寄ってきたのです。しかしその手は彼女の体から落ちてしまいました。彼女の目からは涙がこぼれ、私に背を向け、森の中に帰って行きました。次に、とある年配の男性が私を見つけました。彼は私の方に両手を差し出しました。そして両手と頭を私の方にかしげました。すると、彼の両腕と頭が胴体から落ち、私の方に転がってきたのです。その両目からは涙がこぼれていました。次々と森の中の年配の方たちの体から手や足や頭が落ちて行くのを私は目撃したのです。」(ボブ・サム「われらが遺骨を取り戻すまで -アラスカの返還運動-」(207-208.)

アラスカ州クリンギッド族の遺骨を「埋め戻す」エキスパートの方の話しである。何かホラー映画のような情景であるが、心理学の夢判断などで解釈すれば、いろいろな事が述べることができるだろう。
重要なのは、こうした思いが「返還運動」の原動力となっているということ、そのことに関係者あるいは部外者は思いを致さなければならないということである。

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「日本考古学」という地域考古学 [総論]

前々回の記事「世界の中の「日本考古学」(続:WAC-8 全体分析)」を巡るコメントのやり取りを通じて「「日本考古学」は地域考古学である」という偉大なる?真理に到達したので、今回はそうしたことにも関連する文章を、隣接学問の著書から少々引用しよう。

個別と一般/地質学につきまとう地域
先に、プラトンのことを書きました。彼は具体的事象・現象の影に隠れた真理「イデア」を探せといったのでした。それは2000年のときを超えて、デカルトの「個別と共通的本性」などという言葉として繰り返されました。それは地質学・地球科学の言葉で言えば、「地域と地球一般」となります。
たとえば、「四国とはどんなところか?」を考えると同時に、「四国は地球を考える上でどんな意味を持つのか?」も考えよということです。

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世界の中の「日本考古学」(続々:WAC-8に至る道) [研究集会]

WAC-8に至るには、重要なマイル・ストーンがあった。それが10年前の「世界考古学会議中間会議 大阪大会2006」(WAC-IC OSAKA)である。中間会議2006大阪があったからこそ、本会議2016京都があったとも言えよう。
両者を比較し通時的に分析することで、世界考古学に対する日本考古学の変化についても、伺い知ることができる。

WAC-IC 2006の研究発表は、4日間(実質3日)の日程で、4会場、3テーマ、23セッション、160本の口頭発表、34枚のポスター発表であった。
WAC-8 2016の研究発表は、4日間(実質3日半)の日程で、29会場、15テーマ、159セッション、1477本の口頭発表、132枚のポスター発表であった。
10年を隔てて、規模はおよそ7~8倍になったとみてよいだろう。

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世界の中の「日本考古学」(続:WAC-8 全体分析) [研究集会]

まず全体を俯瞰してみよう。
15のテーマが設定されたが、当然のことながら研究発表も均等に配置されているわけではない。
一番多いのはテーマ10「科学」(270; 18%)で、以下テーマ6「地域」(195; 13%)、テーマ8「遺産・博物館」(181; 12%)と続く。
日本人研究者の発表も、テーマ10「科学」(101; 29%)、テーマ6「地域」(66; 19%)、テーマ5「比較」(59; 17%)となる。日本考古学の場合、科学に対する集中が顕著である。本テーマに関するポスター発表も28/48で58%と過半を占めている。
それぞれテーマごとの研究発表における日本人研究者の占める割合も、テーマ13「災害」(32/66; 48%)、テーマ10「科学」(101/270; 37%)、テーマ5「比較」(59/167; 35%)、テーマ6「地域」(66/195; 34%)、テーマ12「交流」(17/65; 26%)がトップ5である。他のテーマは概ね10%台なのだが、逆に目立つのがテーマ3「植民地・先住民」(4/90; 4%)、テーマ9「理論」(7/102; 7%)の極端な低率である。この2つのテーマに対する日本考古学の関心の低さ、無関心さが示されている。

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世界の中の「日本考古学」(WAC-8 事後分析) [研究集会]

ホームでの開催にも関わらず、ホームの参加者の方がマイノリティである。「ホームなのに、アウェイ」という摩訶不思議な感覚である。これもWAC(世界考古学会議)ならでは、と言えよう。
そうした状況で、どのようなことが語られ、どのようなことが語られなかったか、そうしたことから「日本考古学の今」が浮かび上がってこよう。 

まず体の大きさを知るには、誰かと比べなければならない。
とりあえず比較の対象として、一般社団法人 日本考古学協会 第82回総会(2016年5月28・29日、東京学芸大学)を取り上げよう。

日本考古学協会2016の研究発表は、2日間(実質は1日半)の日程で、8会場、8つのセッション、80本の研究発表、38枚のポスター発表(8枚の高校生発表を含む)であった。
それに対してWAC-8の研究発表は、4日間(実質は3日半)の日程で、29会場、159のセッション、1477本の研究発表、132枚のポスター発表である。

会場数は3.6倍、セッション数は20倍弱、研究発表数は18.5倍、ポスター発表数は3.5倍である。
もちろんWAC本会議は4年に一度、日考協総会は毎年という違いがある。
WAC-8における日本人(と思われる)研究者の研究発表だけでも、352本という「日本考古学」始まって以来の規模である(一人の研究者が複数の発表をしている場合もあるので、発表研究者数と研究発表数は一致しない)。

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第8回 世界考古学会議(WAC-8 KYOTO)8.28-9.2 [研究集会]

開発・政治・ポスト植民地主義・倫理・比較・地域・教育・公共・理論・科学・宗教・相互交流・災害・芸術・戦争という15テーマに159のセッションが設定されて、そこに1477本の口頭発表が配置される。これらが29会場で4日間同時進行で発表される。そのほか132枚のポスター発表、7つのエクスカーション、記念集会、記念講演、総会、サテライト会場での展示など盛り沢山である。

設定された15種類のテーマの一つ「テーマ3:ポスト植民地経験、考古学の実践、そして先住民考古学」では、15のセッションが設定されて総計89本の発表が予定されている。
15セッションの内、セッション題に”Repatriation”(返還)の用語が採用されているのは8セッション、キーワードにあるのが1セッションである。
89本の発表の内、発表題ないしはキーワードに”Repatriation”(返還)の用語があるのは、以下の44本である。自らの発表分を除外すれば、43本。
4日間フルに聞いても、1日10本以上の発表を聞くことになる。
「返還」という単一テーマに絞ってもである。

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第11回 宣言記念日 [雑]

10年で一区切りをつけたつもりだったが、まだズルズル続いている。
そもそも本ブログは、10年前に大阪で開催されたWACの中間会議で発表する「遺跡問題」について、広く意見を求めるというのがスタートの大きな動機だった。
そのWACの様子を毎晩、梅田のインターネット・カフェから送信していたのが、文字通り10年ひと昔、今ではスマホで、はい、お仕舞いという時代である。感慨深い。

この時期は、いつも日本考古学協会の総会記録を掲載した『会報』が送られてくるので、どうしてもそれに関連した記事になってしまう。
今回の第188号では、2年振りに「常置委員会・特別委員会・小委員会委員名簿」が掲載されている(21・22頁)。

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朝鮮総督府1931・32『大正十三年度古蹟調査報告』 [考古誌批評]

朝鮮総督府1931・32『大正十三年度古蹟調査報告第一冊図版・本文』慶州金鈴塚飾履塚発掘調査報告(梅原 末治編1973『慶州金鈴塚飾履塚 -大正13年度古蹟調査報告-』国書刊行会として復刊)

1924年に調査した資料について、7年後に図版編、翌年に本文編が出版され、42年後に合冊となり復刊された。
85年前の日本人考古学者は、このような文章を書いていた。

「…いよいよ五月十日から作業に着手した。處が事実は豫想に反して、半壊と考へてゐた両古墳ともに、主要部をなす積石は地下に埋もれて殆んど全容を遺存し、人家の間にあつて其の採掘に多大の苦心を要するものがあり、中心に到達する二週間のうちに屡々歎聲を發せしめたが、而も普門里古墳の發掘に経験のある澤氏の土工上の剴切な處置が効を奏して、西古墳の深さ十尺を超へた地中から金冠塚で見たと同様な腰佩金具が見出され、ついで金冠、珠玉等を検出、更に無数の副葬品を獲ることゝなつて、其の労苦が十分に酬ひられ、引続いで東方の一基からも多数の遺物を発見して、両者の調査に四十餘日を費したとは云ひ乍ら、大正十年に於ける金冠塚と姉妹的な発見を遂げて、是等を学術上の見地から調査記録した事は、局に當つた者の永久に忘るべからざる快事として、兼てまた総督の期待に添ふものあるに哀心の愉悦を感じたところである。」(3-4.)

「朝鮮総督府嘱託」との肩書による梅原末治氏の文章である。
「哀心の愉悦」といった表現も今や死語であろう。

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御堂島2016「石器実験痕跡研究の構想」 [論文時評]

御堂島 正 2016 「石器実験痕跡研究の構想」 『歴史と文化』 小此木輝之先生古稀記念論文集、青史出版:103-120.

駿河台のM大から、西巣鴨のT大へ。
質の違いが、歴然としている。

「実験痕跡研究の枠組み」(五十嵐2001『考古学研究』47-4:76-89.)を提示してから15年、日本では数少ない「トラセオロジスト」から世界的な研究動向を踏まえた上で日本語としての用語・枠組み共に良く吟味・整備された「石器実験痕跡研究の構想」が提示された。
望むべくは、こうした内容の論文が私よりも若い研究者(30代せめて40代)から提出されることなのだが、それは高望みともいうべきか。
学問の進展・歩みというものを、目の当たりにする思いである。

「様々な実験により把握された人間行動・自然現象と痕跡との関係は、ブラインドテストによる検証が行われる必要がある。使用痕跡分析ではよく行われている(Keeley and Newcomer1977; Odell and Odell-Vereecken1980; Newcomer et al.1986; 御堂島1987など)が、石器石材の原産地推定(朽津・柴田1992)、や動物(魚介類)遺存体分析(Gobalet2001; Milner2001)、植物珪酸体分析(Pearsall et al.2003)、炭素年代測定(Olsen et al.2008)などでも行われている。ブラインドテストは、痕跡からどの程度正しく人間行動・自然現象が推定できるかという分析能力を評価するものであると同時に問題点を明らかにし、方法的改善を図るための強力な手段となる(Evans2014)。ただし、ブラインドテストは設定条件によって成績が大きく左右されるものであり、有意味な条件設定を行う必要があるが、少なくとも実験と同条件においては(高い確率で)正しく推定できなければ、把握された関係は単なる思い込みに過ぎないということになってしまう。」(107.)

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藤山2013「“利器としての剥片”から考えるために」 [論文時評]

藤山 龍造 2013 「“利器としての剥片”から考えるために -その認識に向けて-」『駿台史学』第147号:203-225.

前回記事(赤星2015)の背景を探るために遡って辿り着いた論考である。

「以上のように、ここでは無加工の剥片が主力になっている。それらは確然たる目的によって区別されることなく、むしろ極めて多様な作業に向けられている。また、はじめから規格性を希求しておらず、その時々の作業に見合った剥片が”道具”になるという点で、我々が思い描く石器群とは大きく論理を異にしているわけである。こうした石器群を”型の論理”で処理しようとすれば、その本質は十分に認識されないことになるだろう。
このことは歴史上の石器群を取り扱ううえで極めて示唆に富んでいる。先史時代の石器群では、あらかじめ幾つかの器種が作り分けられ、それぞれの目的ごとに使い分けられる。我々はこのようなモデルを描きがちだが、上記の事例は暗黙の前提を大きく揺るがすことになる。器種の区別が不鮮明であるばかりか、ときには加工自体が欠如していることは、今後の方向性を模索するうえで大きな問いを落としている。」(210.)

「落としている」とされる「大きな問い」とは、何だろうか?
 誰が、いつ、どのような問いを「落としている」のだろうか?
「思い描く」とか「描きがち」とされる「我々」に、私たちも含まれているのだろうか?
以下の一文を噛み締めるべきである。

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赤星2015「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」 [論文時評]

赤星 純平 2015 「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」『駿台史学』第154号:147-182.

現在調査中のエリアからも「旧石器時代初頭における石斧」とされる資料が出土しているので、遅ればせながら読んでみたのだが……… 最初から最後まで分からないことだらけである。ここまで訳が分からない論文も珍しい。

国武1999「石材消費と石器製作、廃棄による遺跡の類別」という論文を読んで、その論文時評のようなもの(五十嵐2002「石器資料関係論」)を書き、エンゲルスの『反デューリング論』冒頭の一節を引用して本ブログで紹介したのが、もうかれこれ10年以上前のことである。
その時から、日本の旧石器研究は確実に劣化していることを確認した。

「では、正しく打製石斧が「石斧原形」で磨製石斧が「石斧完成品」であったかどうかを、石斧の平面形態、刃部角、打製石斧と磨製石斧の組成、遺存状態から検討していこう。」(161.)

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和田2016「続・多摩の敷石住居」 [論文時評]

和田 哲 2016 「続・多摩の敷石住居」『多摩考古』第46号、多摩考古学研究会:18-34.

「続・緑川東問題」である。 

「石棒の性格や祭祀のあり方に関する議論は多様で、長田友也氏は四本の石棒がSV1で使用された証拠はないとする。厳密にはその通りであろうが、通常の敷石住居とは考え難い特殊な遺構に埋置された石棒は、第一義的に本遺構と密接な関係を有すると捉えるべきと筆者は判断している。」(22.)

本論の発行日が2016年5月27日、五十嵐2016c「緑川東問題」が5月29日なので、当然のことながら両者共にお互いに言及することは叶わなかった。

筆者は、緑川東の本報告作成に関わられた研究者たちの中でも、微妙に立ち位置が異なるように思われる。
それは、SV1について「極めて祭祀性の強い敷石遺構」、「通常の敷石住居とは考え難い特殊な遺構」とその特殊性を繰り返し強調されているからである。
さらに和田氏はかねてより、SV1の主軸が他の敷石住居とは異なり、向郷・緑川東からは冬至の日没が富士山頂に沈むことも指摘されている(和田2004など)。

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「考古学研究史の新機軸」 [論文時評]

「考古学研究史の新機軸 -史資料は何を物語るか-」『考古学ジャーナル』第686号、2016年7月号

総論 歴史研究としての「考古学史」研究(星野 達雄):3-4.
政治史としての「考古学研究史」(星野 達雄):5-8.
社会経済史研究としての考古学史研究(森本 和男):9-12.
日本考古学史における近世と近代(平田 健):13-17.
「現地人」の視座(武井 則道):18-21.
世界考古学会議からみる「考古学史」(溝口 孝司):22-26.

通読して、第1論文から第5論文と第6論文との間に広がる隔たりといったものに思いを巡らさざるを得なかった。
それは、私がある特定の(すなわち偏った)視点でもって通読したからに他ならない。
すなわち日本の考古学の専門誌における特集として「考古学研究史」あるいは「考古学史」を採用した時に、「日本考古学」における文化財返還問題はどのように取り扱われるのか、言い換えれば「日本考古学研究史」あるいは「日本考古学史」において戦時期の半島・大陸における日本人考古学者の活動(すなわち侵略考古学)はどのように取り扱われているのか、という視点である。
こうした視点こそが、「新機軸」という言葉に相応しいのではないか。

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崔2016「日本帝国の外地朝鮮統治と古蹟発掘、そして文化財の行方」 [論文時評]

崔 錫榮(金 廣植 訳) 2016 「日本帝国の外地朝鮮統治と古蹟発掘、そして文化財の行方」『博物館という装置 -帝国・植民地・アイデンティティ-』石井 正巳編、勉誠出版:336-366.

崔 錫榮氏には、4月23日に早稲田大学で行われた研究集会「植民地朝鮮における帝国日本の古代史研究」において、お目にかかっていたのであった。

「本稿では、日本帝国が外地朝鮮で行った古蹟発掘調査とそれに関連する法の制定・運用、植民地博物館の創立とその営みなどを検討し、日本帝国と外地の間で行われた文化制度の「差別的」運用こそが終局的に今日の文化財返還の歴史的背景に繋がっているということを明らかにしたいと思う。」(337.)

かつての植民地支配あるいはそれを支える植民地主義を肯定する人ないしは否定するにしても「それでも」とか「なお」といった留保を付す人は、すべからく「差別的運用」あるいは差別そのものを何らかの意味で肯定していると考えなければならない。

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