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源ほか2011『現代の「女人禁制」』 [全方位書評]

源 淳子ほか「大峰山女人禁制」の開放を求める会 2011 『現代の「女人禁制」 -性差別の根源を探る-』解放出版社

「「『女人禁制』は女性差別ではない」と公言してはばからない主張は、「伝統はどんなことをしても守らなければならない」ということばにエスカレートし、自己暗示しているとしか思えず、それは、宗教的実践とはとうてい感じることもできない。エゴイズムの昂揚である。「1300年の伝統」に結集(わたしたちには、「呪縛されている」とみえるのだが)している「大峰山」の共同体は、頑固である。大衆もひとたび「大峰山」の「信者」の顔になると、人権もジェンダーも関係なく、超歴史的人格者のごとく変貌した振る舞いをみせる。彼らの主張からは、自分たちがよければ納得できれば、それでいいという姿しかみえない。かつて欧州議会は、「女人禁制」であるアトス山(ギリシャ正教の聖地)に対して、「いかなる伝統・慣習も人権より優先するものであってはならない」という決議を出した。それは、わたしたちの運動の理念を現実にする評価である。」(源 淳子「女人禁制」の思想:4-5.)

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男根支配を欲望する象徴 [総論]



九州国立博物館、2014年の出来事である。
「立たせたい」という、あからさまな自己欲望のディスプレイである。
九州国立博物館には「いくら何でも、やり過ぎじゃないですか」という女性の学芸員はいなかったのだろうか?

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「謎多き大形石棒を学ぶ」(報告) [研究集会]

「謎多き大形石棒を学ぶ」

日時:2017年11月19日(日)13:00~15:30
場所:くにたち郷土文化館(東京都 国立市 谷保6231)

1.「緑川東遺跡出土大型石棒の岩石種とその産地」(柴田 徹)
2.「対置された石棒 -緑川東SV1を考えるために-」(中村 耕作)
3.「緑川東問題 -住居再利用説と特殊遺構説-」(五十嵐 彰)

私の話しの冒頭は、四十数年前に社会部考古班の一員として顧問の先生に連れられて、今回の会場である施設が立地する南養寺遺跡で、生まれて初めて縄紋土器のカケラを拾ったというほのかで淡い、しかし当時の私としては鮮烈な思い出から。
そして本日、会場に至る道筋の畑で、四十数年ぶりに同じ<遺跡>から同じような縄紋土器のカケラを拾いましたという報告付きである。
人生とは不思議なもの、巡りあわせは奇なもの。
その当時は、まさかあそこにあんなものが埋まっているとは夢にも思わなかったし、ましてや自分がそのことについてここで話しをするようになるとは…

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「謎多き大形石棒を学ぶ」(予告) [研究集会]

「謎多き大形石棒を学ぶ」

日時:11月19日(日)13時~15時30分
場所:くにたち郷土文化館(東京都国立市谷保6231)
講師:柴田 徹、五十嵐 彰、中村 耕作

「敷石遺構SV1の平面形は、長径3.3m、短径3.1mのほぼ円形で、深さは0.6mです。全体の形は柄鏡形と思われますが、北側の張り出し部は攪乱で破壊されて、その有無は不明です。炉跡や焼土が確認されなかったため、敷石住居ではなく、敷石遺構と呼んでいます。敷石遺構の床面に河原石を敷き、その中央に4本の大形石棒を横たえて置いています。壁際には縁石をめぐらし、壁には河原石を積み重ねています。

 大形石棒は2本ずつ東西に分けて、頭部を南西方向に向け、床面より約10cm掘り下げ、頭部側にわずかに傾けて、横位に出土しました。大形石棒の下には敷石はありませんでしたが、これは敷石を剥いで石棒を置いたものか、当初から敷石がなかったかどうかは不明です。」(「国指定重要文化財 緑川東遺跡出土 大形石棒」パンフレットより)

 

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タグ:緑川東問題
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長澤2011「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考」 [論文時評]

長澤 裕子 2011 「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考 -請求権問題からの分離と「文化財協定」-」『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』法政大学出版局:205-234.

抜き刷りを頂いた(長澤 裕子2017「解放後朝鮮の対日文化財返還要求と米国 -日本の敗戦から対日講和条約締結まで(1945~1951)-」『朝鮮史研究会論文集』第55集:113-146.)。しかしまずはこちらを読んでおかないと、ということで今回はこちらを。

「…韓国文化財の問題が、日韓会談の最大争点である請求権問題のなかでいかに位置づけられたかという問題を中心に考察したい。とくに、日本側が韓国文化財の政策を決定する過程とその根拠を、請求権の枠組で分析する。そのため、先行研究の焦点が集中した文化財小委の開催期の1958年以降だけではなく、予備会談開催時の1951年にまでさかのぼり、そこから1965年の「文化財および文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下、「文化財協定」と略す)の締結までの期間全般を考察する。さらに「文化財協定」については、「両国間の文化交流、文化協力」という「大きな見地」の「一環として」、「文化財返還問題が文化協力問題の一環に矮小化」された「日韓の外交の妥結点」として見る。そして、「歴史観の欠如」した日本側を相手に、韓国側が文化財の「返還」を保証しない協定に合意した理由と過程を再考する。これらの作業は、いまもなお存在する文化財問題における日韓会談の位置づけを考えるために必要な試みと考える。」(205-6.)

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タグ:文化財返還
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「緑川東遺跡とくにたちの縄文時代」 [研究集会]

「緑川東遺跡とくにたちの縄文時代」
日時:2017年10月29日(日)13時~15時30分
場所:くにたち郷土文化館
主催:国立市教育委員会

1. 「国立の縄文時代と緑川東遺跡」(和田 哲)
2. 「敷石遺構SV1出土石棒の「並置」のタイミング」(黒尾 和久)
3. 「炭素14年代・同位体分析からみた縄紋中・後期の文化様相」(小林 謙一)

緑川東遺跡SV1出土の石棒が国の重要文化財に指定されたことを記念した特別展「国指定重要文化財 緑川東遺跡出土 石棒展」に関連する講演会の前半戦である。台風が近づく悪天候のなか、多くの熱心な方々が集まられた。

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荒井1995『戦争責任論』 [全方位書評]

荒井 信一 1995 『戦争責任論 -現代史からの問い-』岩波書店(2005 岩波現代文庫)

「ちょうど2年ほど前、ある未知の婦人から手紙をいただいた。この人は戦後の1947年生まれで、直接の戦争体験はないが、父親は元憲兵であった。父は、小学生の頃「私は貝になりたい」「人間の条件」などを見にゆかせたり、何かにつけ天皇を批判していたが、自らの加害の事実については何も語らなかった。しかし、7年前に亡くなる時に、これを墓に彫りつけてくれといって、娘に紙を渡した。そこには「中国人民ニ対シテ為シタル行為ハ申シ訳ナク、只管オ詫ビ申シ上ゲマス」と書かれていた。父の遺言を墓石に刻むことは、兄弟や親戚の賛成が得られず実現できなかった。そのことは、娘であるこの人の心に重い負担として意識されたようである。手紙は続けて次のように書いている。「父が亡くなってから、父が可哀相で、私は父が満州でどんなことをやったのか調べて共に苦しもうと思いました」。そこで名簿で83歳の元隊長が生存しているのをつきとめて、その話をきいたのだが「楽しい思い出と戦後の引き揚げの大変さを話すばかりで肝心のことは話してくれませんでした。「あそこは何もなかった」と言うのです」。こうして父と共に苦しむ旅は成果を挙げなかった。手紙はこのような経過をかいた後で「そのような事もあり、私はずっとこの戦争を引きずっております。自分の生まれる以前のことなのに、目をつむるわけにはいかないのです。もっと他の人々のように軽く生きていければいいのにできません」と結んでいる。(中略)

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吉田ほか2017「未来考古学 第1回 ペットボトル」 [論文時評]

吉田 泰幸+編集部 2017 「未来考古学 第1回 ペットボトル」『縄文ZINE』第7号、ニルソンデザイン事務所:24.

論文というよりエッセイというか、B5版1ページに満たない実測図つきの短文である。
吉田 泰幸氏は、金沢大学の文化資源学セミナーで中心的な役割を果たされていた。

「金属製長方形祭壇に伴う容器型製品が発見された「みなとみらい遺跡」は、人工的な地層に形成された遺跡である。地層は2000年代前後に作られ、比較的年代を推定しやすい。このころの二ホンはエド期という安定期が終わってすぐの時代で、短い期間に革命や戦争が立て続けに起こったため、混乱期だったと言えるだろう。そうした不安定な時代の精神的側面を支えていたのが容器型製品であるというのは、4000年代の研究者によってすでに指摘されている。」

ということで、今から何千年か後の未来の考古学者が現代の物質資料を考古学的に観察したらどうなるかということを真面目に?論究したものである。

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東村2013「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの」 [論文時評]

東村 岳史 2013 「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの -過去の「露頭」の発見と発掘-」『国際開発研究フォーラム』第43号:1-16.

「各地の報道の仕方に感じられるのは、その地域でははじめての発掘・発見で地域特性を示すから貴重という持ち上げ方である。これは児玉の「アイヌは白色人種である」という主張を報じた記事(『毎日新聞』北海道版1954.6.23)にある、「体質に現われた地方差」を解明しようとする人種主義的視線とも合致する。このような持ち上げ方なら、各地でアイヌ人骨が発掘されればされるほど研究に役立つという論理しか出てこないだろう。「道内に散在する遺跡を片っぱしから発掘すること」の正当化は児玉以外の記事でも肯定的に適用される。児玉はその代表格ではあるものの、児玉のみのことではなく、他の研究者も新聞社も共犯関係である。」(7.)

前々回記事「返還問題2017」【2017-09-30】で言及したように、私はかつての児玉研究室の写真を見て「これみよがし」という感想を抱いたが、これまた現時点だから言い得るもので、当時はそうしたことを想起したひとは殆どおらず、たとえ居たにしてもそのことを文字に記すことはなかったことを、当時の新聞記事を通じて確認することができた。
ある意味で「今だから言える」物言いではあるが、だからこそ「今こそ言わなければならない」物言いでもあると思う。

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『重監房跡の発掘調査』 [考古誌批評]

重監房資料館2016『国立療養所栗生楽泉園内 重監房跡の発掘調査』

「当時の「癩の予防智識」の普及啓発を担った主体は、他ならぬ癩予防協会であったが、その啓発行為が、「癩患者」を「周囲の人々から指弾」され、「家族の人々からも恐れられ」るような存在へと強力に誘導し、だからこそ「救済の機関」(療養所)を設けて直ちに癩患者を「収容する事目下急務中の急務」と述べられたわけである。そこに無癩県をめざした「民族浄化政策」「絶対隔離政策」の本質を垣間見ることができるが、なかでも「特別病室」に送致されるハンセン病患者は、「救済の機関」にすら置くことができないやっかい者であった。またそのような存在だからこそ酷い処遇を受けても仕方がない、自業自得であると、療養所管理者や世間・社会のみならず、送致事例によっては同じ入所者からも、そう思われていた節がある。」(黒尾 和久「重監房の沿革 -「特別病室」問題とは何か-」:104.)

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返還問題2017 [総論]

日本における返還問題のうち、先住民であるアイヌ民族への遺骨返還に至る最近の経緯がまとめられている(植木 哲也2017「補章 遺骨の返還を求めて」『新版 学問の暴力 -アイヌ墓地はなぜあばかれたか-』:271-316.)。

そこで問題となっているのが、象徴空間への集約をめぐって返還対象について持ち出された遺骨の個人が特定されたもので請求者が祭祀承継者であることを求める所有者側の「個人返還」と身元不明なものも含めて地域共同体であるコタンへの「地域返還」を求める請求者側との対立である。個人返還の立場を取れば、返還すべき遺骨は最小限に、「地域返還」の立場を取れば最大限になり、その格差は大きい。そして双方の思惑が複雑に絡み合っている。しかしこうした双方の意見を読みながら、何か根本的な原理原則が踏まえられていないような気がしている。

それは第1に「博物館が所蔵する先住民族由来の文化遺産の処遇を決定する権利は先住民族の側がもつこと」(吉田 憲司2011「史料・文化財はだれのものか -史料公開・文化財返還の問題-」『歴史を裁くことの意味』)である。こうした考え方が世界的な趨勢であることは、世界考古学会議での議論を始め多くの場で明らかである。
そして第2に「自分たち博物館は所有者ではなく、「管理者」であるということ」(同、吉田 憲司氏発言:113.)である。すなわち現在の所有者は本当の意味での所有権を有しているわけではなく、あくまでも借用しているのだという認識が欠かせないのである。現在の管理者である博物館・大学と返還を求めている先住民共同体は「返す・返さない」あるいは「どれだけどこまで返すのか」といった論点で対立するのではなく、平等な協力関係に基づいたガイドラインを構築すべきであり、その為には管理者側の従来の価値観に固執した硬直した認識を改めることが第一歩となる。

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セリエーション [総論]

セリエーションとは、何だろうか?
代表的には、以下のような説明がなされている。

「<学習目標&ポイント>
身辺の流行現象を見ればわかるように、モノは突如出現するわけでもないし、それ以前からあった同種のモノに直ちに置き代わるわけでもない。新しいモノは次第にあるいは急速に台頭し、それに合わせて、古いモノは次第に姿を消す。こうしたモノの変遷を視覚的・数量的に示す手法がセリエーションである。アメリカ考古学で開発されたこの手法を、具体例を挙げて解説し、日本における応用例から、その方法論的可能性を示す。」(上原 真人 2009 「セリエーションとは何か」『考古学 -その方法と現状-』放送大学教材:129.)

そしてペトリ―氏のSD法(Sequence Dating)、ディーツ氏のストンハム墓地墓標、坪井・横山両氏の山城木津惣墓墓標、鈴木氏の近世六道銭分析と型どおりの説明がなされている。
こうした説明に何か欠けているものがありはしないだろうか?

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長田2014「国立市緑川東遺跡を石棒から読む」を読む [論文時評]

長田 友也 2014 「国立市緑川東遺跡を石棒から読む」『緑川東遺跡 -第27地点-』:157-165.

はじめに今年の2月19日に行われた公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」自由討論の記録から。
「(山本 典幸)…今日の討論の最初に確認したい点があります。報告書の中で、長田さんが緑川東の事例を住居廃絶行為との関連から石棒の廃棄儀礼として解釈することに妥当性を見出しました(報告書p.159, 161, 164)。その一方で、彼は遺構内に石棒を並べて置く、ないし埋めておく(埋置)、そうした行為が石棒を日常的に安置する場であるのか、石棒を再利用するための一時保管場であるのか、遺構、石棒ともに廃棄されたものなのかなど、いずれも解釈が可能だと指摘しています。そして現状では限定的な意味づけは困難だと指摘されているわけです。」(『東京考古』第35号:4-5.)

自由討論における前半での発言である。発言者は自らの発言の前提として考古誌に掲載された当該論文について以上のように要約した訳だが、これではその論文がSV1を「廃棄儀礼として解釈」したのか、それとも「いずれも解釈が可能」としたのか、よく分からない。果たしてこのような要約が適切なのか、当該論文を改めて読んでみよう。

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緑川東の最終問題 [痕跡研究]

「五十嵐さんから、廃棄時説の根拠として、石棒の出土範囲に敷石が認められない、石棒は想定される床面下にめり込む状態である、大きめの土器片や破損した扁平礫が石棒上に存在した、石棒直下の土器片と覆土下部の土器片が接合した、という四つを挙げて頂いたのですが、私たちの理解としては、この四つをわけて考えているわけではなくて、基本的にこの四つの状況証拠を合わせるかたち、特に三点目ですけれども、状況証拠の合わせ技で一本、という立ち位置にあると思います。(中略)
一方で敷石の除去に関しては、遺物の出土状況からは確証が得られない。まあ、接合ですよね。一部の敷石に剥がされた石なんかが周辺からくっ付けば、かっこいいのですが、それはなかった。しかし、接合礫02・04・10・12などの床面レベルと壁ぎわ上部での接合が認められる点、遺物分布図(資料集p.20, 報告書第82図)に示しましたが、そういう接合事実が弱いけれども状況証拠としてある。さらには石棒上に投入されていた大形の接合礫09・53は、除去された敷石の可能性を有するのではないか、といった状況証拠もあります。」(黒尾 和久2017「自由討論記録」『東京考古』第35号:3.)

「かっこいい」とか「かっこわるい」といった問題ではないと思うが、それはさておき「特に三点目…」と強調された「石棒上の扁平礫」について考古誌の記載を見てみよう。

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「日本考古学」の国際化 [総論]

「日本考古学」にとって「国際化」とは、どのようなことなのだろうか?

「とするならば、英語圏の言語・考え方に歩み寄るという形だけを「国際化」と位置付けてしまうと、スペイン語圏のように「なぜ英語だけが国際基準になってしまうのか?」という不満につながる可能性があります。非英語圏の人間たちが「国際化」を考えるのと同時に、英語圏の人たちもやはり「国際化」を考えていくべきだと思います。(細谷)
中南米においても同様な話しがあると聞きます。さしたる理由もなく、私も英米を普遍的存在ないし世界の代表のように見なしがちでした。反省が必要ですね。(瀬口)
「欧米」対「日本」とつい考えてしまいがちですが、一口に「欧米」と言っても多様です。学問的指向としてはむしろ日本に近い国々も多いことに改めて気づきました。日本考古学の「国際化」を語るとき考慮すべき事実だと思います。(細谷)」(瀬口 眞司・細谷 葵・中村 大・渋谷 綾子2014「日本考古学の国際化 なぜ必要か?/何が必要か?」『考古学研究』60-4:8.)

「日本考古学の国際化」を語るときの文脈として、英語圏だけでなくスペイン語のような「非英語圏」の存在にも留意すべしという話しである。

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佐藤1989「植民地の「開発」は侵略の手段である」 [論文時評]

佐藤 正人1989「植民地の「開発」は侵略の手段である -”アジア侵略の理想とエネルギイの復権”を阻止するために-」『アジア問題研究所報』第4号:3-24.

「「いわゆる「王道楽土」は、欺瞞的なものであったと烙印をおされているが、そう簡単に見棄てられぬものがあったのではないか。結果として「満州国」は、中国側から言う「偽国」におわったが、その過程には、多くの理想とエネルギイが投入されたのだから、そのすべてを無益にしたくはない。当然、ある部分については復権を考えてみる必要がある」
「日本国民のかなりの部分が、植民地生活の体験をもっている。植民地でうまれた世代も成長している。彼らのそれ自体として自然な郷土喪失感(?)が、放置され、屈辱に押し込められている現状は、正常ではない」(「満州国研究の意義」、『週刊読書人』1963年10月21日号)。
中国東北部を侵略した日本人の「理想とエネルギイ」なるものの一部分を「復権」したいという恥知らずな妄言を、日本経済の高度成長が開始された時期にのべていたのは、当時「満州国研究会」という小グループ活動をやっていた竹内好という日本ナショナリストの一人である。」(3.)

良心的と信じ込んでいた知識人に対する幻想が吹き飛んだ瞬間である。
本論の論旨は、全て表題の一文に凝縮されている。
佐藤氏には、10年前のセミナーで発表していただいた。

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岡本2017「縄文の原則」 [論文時評]

岡本 孝之 2017 「縄文の原則」『郵政考古紀要』第67号(通巻76冊)、大阪・郵政考古学会:1-15.

「縄文を誤解する風潮はずっと続いている。九州有文土器文化や西日本無文土器文化を縄文視するなど、なんでもかんでも縄文とするのは、日本国の領土と一致させる以外に理由はない。地域性をキーワードとして違いを理解することは、前提としての日本国の領域があってその辻褄を合わせているだけのことである。弥生の東西の差異を地域性とする指摘も同じで、できるだけ広い領域を取りたいだけのことであり、真摯に縄文・弥生を考察したものではない。強調される多様性、地域性という指摘はことばの罠である。」(10.)

ということで、「縄文の原則」(2.)として以下の9ヶ条が示される。
1.縄文の理想 原始(縄文)は、民主、平等、共産の社会であること
2.古代の否定 原始(縄文)は、古代(弥生)に否定される
3.弥生への疑問 古代(弥生)以降の支配隷属関係(階級制)を疑うこと、文明を疑うことである
4.戦争の廃絶 戦争は文明であり、その廃絶は原始(縄文)の立場からしか達成できない
5.縄文の発見 近代考古学は、原始(縄文)を発見した
6.考古学の意義 考古学は原始、古代、近代の全歴史を総括できる唯一の科学である
7.近代は未完成 近代は、未完成であり、原始(縄文)像もまた、未完成である
8.近代の否定 未完成の近代は、原始(縄文)を受け入れず、誤解し、無視するだけでなく、考古学においては弥生に発展するとして縄文の理想を否定する
9.縄文の復権 原始(縄文)の世界観にたつこと

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ましこ2017『コロニアルな列島ニッポン』 [全方位書評]

ましこ ひでのり 2017 『コロニアルな列島ニッポン -オキナワ/オホーツク/オガサワラがてらしだす植民地主義-』三元社

いろいろな意味で、極めて重要な書籍である。そしてその緊急性もまた高いというべきであろう。

「本書の含意は単純明快です。「日本は戦後一貫して植民地であり、かつ植民地を全部放棄したわけではないという意味で、二重に植民地性をおびた空間だ」と。さらに、その基盤として、「日本」という実体(=時間上/空間上の連続体)が共同幻想にすぎず、たとえばヤマト王権の成立起源を確定するといった作業自体無意味という世界史的普遍性があると。当然、その内実(生活者/政治経済文化)はもとより、境界線自体が変動しつづけてきたわけで、いかなる実体視も科学をよそおっただけの本質主義=ガラパゴス的なイデオロギーにおちいるわけです。」(156-157.)

私から見れば、至極当然な真っ当な意見なのだが。
二重の意味でコロニアルな時空間において「ポストコロニアル」を唱える困難さを思い知る。

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タグ:植民地
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考古累重論(承前・解題) [総論]

1. 起点において既に問題の根幹が示されている。すなわち「一括性」に関わる文章において、遺物製作時間(同時代に作られた)と遺物廃棄時間(同時に埋められた)の違いが明瞭に示されている。

2. 「上下の位置関係が、時間的な前後関係に置き換えられる」という原理が述べられるが、繰り返される「残された」という用語から、この文章における「時間的な前後関係」とは、すなわち「遺物廃棄時間」の意であることも明らかである。

3. 1969年に土器型式には「製作の同時性」と「廃棄の同時性」という異なる時間認識があるとの提言がなされ(鈴木1969)、1973年に包含される遺物(≒型式)と包含する層(≒層位)の前後関係を区別すべきとの提言がなされ(林1973)、1970年代から80年代の「日本考古学」では、こうした認識が広く共有されていたことを窺うことができる文章である。

4. 型式は製作時間に、層位は廃棄時間に関わり「両者は全く異なる範疇に属する」ことが明確に述べられた点で、決定的に重要な意義を持つ文章である。このことは2000年に出版された『考古学の方法』という一般書籍でも述べられている(30頁)。

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考古累重論(過去・現在) [総論]

1. 「それのみでなく、吾々の研究に對する最も都合の好い「確實な」発見物でさへ、全體の品物が同時に埋められたものである事しか證明しない。全體の品物が同時代に作られたか否かに関しては、此等の発見物は何等の確証を與へないのである。」(モンテリウス 1932『考古學研究法』:16.)

2. 「考古学において、遺物・遺構および遺跡の時期を決定するための、もっとも基本的な、かつもっとも決定的な方法は、層位学的方法である。層位学的方法は、同一地点において、遺物・遺構および遺跡の垂直的な位置関係 -層位的関係- は、それらがその地点に残された時点以後に動かされていないかぎり、時間的な前後関係におきかえられるという原理にもとづいている。つまり、ある遺物・遺構あるいは遺跡がある地点に残され、それが人為的な、あるいは自然の堆積作用によって、”それらが残されたままの状態” -in situな状態- で埋没したのち、さらに、同じ地点に、ふたたび別の遺物・遺構あるいは遺跡が残された場合、前者、すなわち、下位にある遺物・遺構あるいは遺跡は、後者、すなわち、上位にある遺物・遺構あるいは遺跡よりも古い時点に残されたと判断することができるわけである。」(大井 晴男 1966『野外考古学』東京大学出版会:19.)

3. 「…注意しなくてはならないことは、人為的に形成された層の推移と、それに包含されている考古資料の推移は必ずしも一致しない、ということである。」(江坂 輝弥 1983「層位学的研究」『日本考古学小辞典』ニュー・サイエンス社:193.)

4. 「ここで注意しておかなくてはならないのは、型式学の場合には、属性の中で、モノが製作された時の属性により、年代観を決めるのに対し、層位学の場合には、属性の中で、モノが廃棄された時の属性によって年代観を決めることである。さらに言うと、層位学の場合には、モノが堆積した時の新旧関係を示しているに過ぎないということである。厳密に言えば、両者は全く異なる範疇に属す属性であり、型式学による新旧関係を層位学による新旧関係で検証することはできないことも考慮に入れる必要がある。通常のばあいには、製作から廃棄まで、そう長い時間的経過があったとは考えられないということで、製作と廃棄の間の時間的経過は捨象し、年代観をだしている。」(藤本 強 1985『考古学を考える』雄山閣、増補1994:87.)

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