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母岩識別批判(6) [石器研究]

「この著作は決して何らかの『内的衝動』の所産ではない。その反対である。・・・
それにもかかわらず、他の仕事をなおざりにしてこのすっぱいりんごに食いつく決心が私にできるまでには、一年もかかった。それは、まさに、一度食いついた以上は、すっかりたべてしまわなければならないりんごだった。しかも、ひどくすっぱいだけではなく、ひどく歯ごたえのあるりんごだった。」(エンゲルス1956『反デューリング論Ⅰ』p.5)

90年代後半以降、野口 淳1995「武蔵野台地Ⅳ下・Ⅴ上層段階の遺跡群『旧石器考古学』第51号を典型として、続々と遺跡間の相互関係に焦点を当てた研究が行なわれた(島田和高1994「両面調整槍先形尖頭器の製作と原料消費」『旧石器考古学』第49号、矢島・野口・門内・吉川1997・98「相模野第Ⅱ期をめぐる諸問題」『綾瀬市史研究』第4・5集、吉川耕太郎1998「後期旧石器時代における石器原料の消費過程と遺跡のつながり」『旧石器考古学』第56号など)

これらの諸研究には、ある共通した特徴があった。それは、遺跡間の資料を操作する際に、当時(あるいは現在も)主な操作手段となっていた(いる)母岩識別(個体識別)という手法を、意識的に(ないしは無意識的に)避けている、という点であった。その要因は、今後の討究課題に値するが、そうした中で、遺跡間連鎖研究に母岩識別という手法を中心に据えた初めての論稿が現われた。

「石材消費の観点から遺跡間の関係を分析する上で基礎となる方法は、いうまでもなく埼玉県砂川遺跡をめぐる遺跡構造論研究である。ある遺跡の文化層から出土したすべての石器について同一母岩ごとに分類し、各々の母岩別資料(個体別資料)がその遺跡においてどのような作業を受けたかを類型化する。」(国武貞克1999「石材消費と石器製作、廃棄による遺跡の類別」『考古学研究』第46巻 第3号:36-7)

今まで母岩識別研究の中心にいた研究者らが慎重に取り扱いを避けていた遺跡間連鎖研究における母岩識別に対して、本稿は、問題含みの(と私には思われた)手法を、初めて真正面から適応した意欲作である。
引用文中における「いうまでもなく」という言葉は、いうまでもなく「論ずるまでも無い」という意味である。
これは、検討に(論ずるに)値する、いや検討せざるを得ない「すっぱいりんご」であった(五十嵐2002b「旧石器資料関係論 -旧石器資料報告の現状(Ⅲ)-」『東京都埋蔵文化財センター研究論集』第19号:33-72)。

ところが、・・・
内容の検討に入る前に、基礎データの取り扱い方で引っ掛かったまま、前に進めなくなってしまった。
いわば、他所の家に入って話を聞こうと思い、意を決して訪ねたのだが、呼び鈴を鳴らして入ろうとした途端、家に上がる以前に、入口で躓いてしまい、御当主との議論には未だ至れない、といったところか。

ところが、・・・
最近、「ナイフ形石器文化終末期」をめぐる研究史において「新しい研究法の探求と実践」と題して、当該論文に対して「これまでの研究の到達点と問題点を明確にし、新しい視点から「ナイフ形石器文化終末期」の解釈に挑んでいる」(亀田直美2005「南関東の研究現状」『石器文化研究』第12号:p.161)として、特に採り上げられている。
「研究の出発点である基礎データの読み取り」に根本的な問題がある、と明確に指摘されている論文である。そうした指摘を考慮することなく、問題があるとされる論文のみを取り上げ、問題があると指摘する論文に言及せずに評価するということは、評者もまたそうしたデータの改竄を容認していると判断せざるを得ないだろう。

本問題については、すくなくとも「東京天文台構内遺跡」(1983)、「明治大学和泉校地遺跡」(1988)あるいは「甲館出遺跡」(1993)などに関する詳細な母岩識別データの公表が議論の前提である、とだけ言っておこう。

 


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