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岡本1975 [論文時評]

岡本孝之1975「日本=東亜(朝鮮)考古学批判(一) -近代考古学の成立とその構造-」『異貌』第3号:2-14

「日本考古学の発達は日本人考古学者の日本国内に対するものに限定されてはならないのであり、また逆に東アジアへの関心を国内的関心とは全く別個なものとして表現されてもならない筈だ。両者は互いに絡みあっている。しかし、日本考古学史は東アジアを分離し、排除してしまい、その具体的な展開と噛み合っていない。」(P.2)
「日本考古学における、このような日本における考古学活動と東アジアにおけるそれとの関係が正しく総括され得ないでいることは、今日、勇敢にも、反日直接行動の荒れる東アジア諸地域で、海外で考古学調査に携わるその意義を考古学界の全ての分野において正しく認識されないままにあることを物語っている。」(p.3)

WAC2006のセッション14は、「学術的帝国主義からの脱却 -他者の土地で考古学をするときのプロトコル-」を主題としていた。
「文化に関わる覇権争いに基づいた力関係の仮面を剥ぎ、それに挑んでいくことがグローバルに考古学を脱植民地化する第一歩であり、それによって、他者の土地で調査するにあたって、より強力かつ倫理的な共同調査の基盤を固めることが可能となるのである。」(クレア・スミスほか2006:p.102)

「学術的帝国主義からの脱却」を掲げるセッションで、「日本における考古学活動と東アジアにおけるそれとの関係が正しく総括され得」ていただろうか?

「日本考古学は大正、昭和(前半)期の考古学がそうであるように、東亜考古学、とりわけ朝鮮考古学をエネルギー源として運動していたのである。エネルギーとは日露戦争にともなう「開城・江華島の高麗墳墓に対する未曾有の大盗掘」(西川宏1970)を含めた考古学資料の採取であり、調査発掘であり、その量は日本本国内におけるそれよりもはるかに膨大となるのである。」(p.10)

「日本考古学とは全く立場の異なる朝鮮人の朝鮮考古学史を個別に踏まえてこそ、日本考古学の内実を初めて知ることができる筈だ。・・・
朝鮮考古学は日本考古学に突き刺さった小さな、否、大きな棘である。近藤義郎氏や西川宏氏らは日本考古学の一層の発展のため、この棘を引き抜こうとしている。我々はこの棘が日本考古学の一層深い体内に食い込むように仕掛けたい。」(p.11)

半世紀前の「月の輪古墳」を称揚するのも、いいだろう。
しかし、それだけで「日本考古学の内実」をどれだけ知ることができるだろうか。
私たちは「日本考古学に突き刺さった棘」について、どれだけ直視しているだろうか。

日本考古学が、「グローバルに考古学を脱植民地化する第一歩」を踏み出し、「より強力かつ倫理的な共同調査の基盤を固める」ためには、日本考古学の体内に食い込んだいくつもの「棘」を見据えて、「痛み」を持ちつつ、その「傷跡」をできるだけ明らかにしていかなければならない。


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