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海南島近現代史研究会(予告) [研究集会]

海南島近現代史研究会 第2回総会

日時:2008年8月3日(日) 13時~17時
場所:大阪産業大学 梅田サテライト・レクチャーA室(大阪駅前第3ビル19階)

プログラム
1.創立集会およびそれ以後の会の活動報告
2.あいさつ 王 建成(海南省民族学会副会長)
3.研究報告Ⅰ 金 山「社会転型期的黎族伝統文化」(社会転形期における黎族の伝統文化)
4.ビデオ上映 
  『海南島2007年秋』、『海南島2008年春』、『月塘三・廿一惨案紀念碑掲碑儀式』
5.研究報告Ⅱ 五十嵐 彰「「日本考古学」と海南島」
6.研究報告Ⅲ 水野 明「海南海軍特務部編『海南島三省連絡会議決議事項抄録』について」
7.質疑・討論
8.発言・討論
9.今後の研究主題・研究課題
10.月塘村全村民の日本政府に対する要求について
11.日本軍海南島奇襲攻撃70年後(2009年2月)
12.「会則」改定

以下は、研究報告Ⅱとして発表する予定の要旨である。

【要旨】
私たちの世界理解は、大雑把に時間と空間によって規定されている。時間を主体に考える営みが「歴史学」であり、空間を主体に考える営みが「地理学」とされてきた。しかしあらゆる事象は、時間と空間が一体となった「いま-ここ」を基点に、「かつて-かなた」、「かつて-ここ」、「いま-かなた」という相互関係として把握することができ、かつ把握されざるを得ない。
こうした視点で、「日本考古学」と称されている営みを眺めたとき、どのような姿形が浮かび上がるだろうか。ある文化を認識するには、一定の時間(時代)を区切らざるを得ないと同時に、一定の空間(地理的範囲)も区切らざるを得ない。ある時間的空間的範囲を区切るためには、区切られた内部の均質性と外部との異質性が成立要件となる。そこに私たちの世界認識が表明される。
現在の「日本考古学」が研究対象として認識している時間的空間的範囲のいびつさ・歪みを、日本近現代考古学における海南島という「かつて-かなた」の視点を通じて検討する。

今回の発表は、「「日本考古学」の意味機構」(五十嵐2008)における末尾において「「日本考古学」なるものが体現している枠組み(言語としての日本語・空間としての日本列島・主体としての日本人という三位一体構造)、そこから漏れ落ちてしまっているものの様相を明らかにしていく作業が控えている」と自らが記した宿題に答えるものである。

前々回の記事「日本考古学」(3)【2008-07-10】でも言及したように、所謂「もう二つの文化」構想においては、「中の文化」に対峙する「北の文化」と「南の文化」の間に「ボカシの地域」を設定するが、三者で構成される「日本文化」の周囲における「ボカシの地域」が構想されることはない。このことは、本年刊行された著書においても、同様である(藤本 強2008『考古学でつづる日本史』市民の考古学④、同成社)。
その要因は、「旧石器・縄文・弥生・古墳・古代・中世・近世」ときて断ち切られてしまう通史叙述、すなわち近現代を視野に入れることのない歴史認識にあると思われる。


タグ:日本考古学
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