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後期旧石器時代のシベリアと日本 [研究集会]

後期旧石器時代のシベリアと日本 -最終氷期における人類の環境適応行動-

日時:2010年11月27・28日
場所:慶應義塾大学 三田キャンパス
主催:慶應義塾大学 文学部 民族学考古学研究室

久し振りの石器中心の研究集会である。
旧知の石仲間にもお会いすることができた。新たな若い人たちとも交流することができた。

「慶應義塾大学民族学考古学研究室では、興味尽きないこの時代の人類集団とその活動に理解を深めるべく、目下、文部科学省科学研究費補助金の助成を受け、相互に連関する二つの研究プロジェクトを進めています。私達は、過去数年間、シベリアのバイカル地区、本州北端の下北半島で発掘調査も重ねるなか、後期更新世後半期における当該地域の環境と人類の活動に関して少なからぬ知見を得てきました。
本シンポジウムはその二つの研究プロジェクトに参画する研究者が一堂に会し、それぞれの調査・研究成果を報告、後期更新世人類集団とその環境適応活動を多角的かつ領域横断的に議論することを目的に企画いたしました。質疑応答・意見交換を重ねるなか、後期旧石器時代に関する今後の研究課題も整理できればとも考えておりますので、ご参会の皆様におかれましても、どうか積極的にご発言くださいますようお願い申し上げます。」
(『シンポジウム予稿集』「ご挨拶」より)

2日間にわたる発表・討論の1日目だけに参加した部分的な見聞である。

「近年、180万年前とも200万年前以上ともいわれる中国の人類遺跡ばかりでなく、イスラエル、ヨーロッパ南部、内陸アジア・北アジアでも100万年前以前といわれる遺跡が発見・調査され始めている。さらに日本でも、60~70万年前以前の遺跡が発見・調査され、それよりも古く100万年前の遺跡発見が目下の目標とされる時、これまで100万年前、あるいは150万年前ともいわれてきた人類の「出アフリカ」の時期について、つまり原人の拡散と進化の問題を大幅に見直さなくてはならない事態に至っている。①最古の石器群、つまり人類進出時期とその広がりの問題について、②石器群の内容について、③また、前期・中期から後期旧石器への移行に関して、これまでとはまったく異なった様相が明らかになり、さらに新たな展開が見えつつある。そこにうかがわれるのは、これまでの人類進化史に変更を迫る人類の早くからの北への展開であり、日本列島における人類史にも大きな影響を与えることが予測される。」(梶原 洋2001「内陸および北アジア」『季刊 考古学』第74号:53.)

私は、現在、石器研究就中石器型式に基づく編年研究に対して、極めて「ペシミスティック」である。
大陸方面の編年に対応するとされた「日本の前中期旧石器編年」は、果たして本当に対応していたのだろうか。もし対応していたのだとしたら、どの程度のレベルで対応していたのだろうか。そしてその根拠はどの程度の確からしさを有していたのか。対応していなかったとしたら、なぜなのか。単に大陸の状況をよく知らなかっただけなのか。あれから10年が経過し、よく知るようになっても、果たしてかつての「日本の前中期旧石器編年」と対応しているのだろうか。

対応する部分としない部分、世界的な視野で連動しつつ変化する部分と地域固有の条件によって独自性が発現する部分をどのように峻別していけばいいのだろうか。
そうした検証作業に対して、「石器型式」という概念は、果たして有効に作用するのだろうか。

「座散乱木1次・2次発掘と同様、78年に発掘が行われた鹿原D遺跡(宮城県小野田町=現・加美町)でも、藤村は縄文時代の石鏃あるいはその未製品や破損品のなかから有舌尖頭器に似たものを選んで埋め、石錐や箆状石器も捏造に用いた。いずれも縄文時代草創期や後期旧石器時代末に相当する地層からの出土であるという所見を鵜呑みにして、私たちは地層の年代に見合う器種名で呼んだ。例えば、石器の形は縄文時代の箆状石器に似ているが、それよりも古い地層から出たのだからヘラ状石器と呼び変えて旧石器・縄文時代草創期に相応しい名前で区別しようとした。」(岡村道雄2010『旧石器遺跡「捏造事件」』:172.)

「前期旧石器」においても、「縄文時代の箆状石器に似ている」どころではなく、実は「縄文時代の箆状石器」そのものだったわけであるが・・・

「このような所見、各種自然科学分析の結果は、地質学・考古学的な所見とも大きな矛盾はないと思われた。また地形・地質、テフラ編年の調査によって地層のおよその年代はあらかじめ判明し、後に発掘して石器が出た地層の理科学的な年代は、発掘後の測定によって明らかになった。その年代は、石器の型式、特徴と明らかに矛盾するような例はなかった。
・・・われわれは、なんとかつじつまを合わせる解釈をしたことになる。」(同:192.)

「石器などの型式学的分析の厳密さ、正確さによって捏造の不自然さが見破れた可能性がある。ある地域のある時期には、一定の型式をもった遺物(道具)が使われる。その特徴的な型式を正確にとらえていれば、不自然なものが混じり込んだ時に、気がつくはずである。
つまり、考古学の王道である型式学を充実させる必要がある。これらを含めた一連の分析、方法を向上させ、全体の枠組み、構造を緻密にとらえることによって、異質なものを排除することができるはずである。」(同:225.)

「不自然なものが混じり込んだ時に」も、名前を呼び変えて、「なんとかつじつまを合わせる解釈」をしてきた「石器などの型式学的分析」をさらに厳密にし、正確にすることで、何らかの展望が開けるとは、到底思えない。そもそも「(石器)型式学」を「考古学の王道」と考えていること自体に大きな問題があるように思えるのだが。

27日の発表では、山形県「富山遺跡」に関する所見も述べられた(富山問題については【2009-11-5】も参照のこと)。

「最近、頁岩の原産地に立地する石器製作跡が山形県寒河江市の富山遺跡で発見された。この遺跡は約2700平方メートルの範囲が発掘され、約13万年前の最終間氷期に形成された古赤色土とその上層から約2000点に上るおびただしい量の石器が出土した。わずかにヘラ状石器、クリーバーなどと棒状安山岩の敲石が発見されているが、ほとんどが石核・剥片・石屑である。石器は遺跡全面に分布するが、とくに7ヵ所に集中して発見された。石材はほとんど基盤の第三紀層中の砂礫層に含まれている頁岩である(山形県教育委員会1998)。前期旧石器時代末期の石器製作所跡で、中期旧石器時代を含めて他にこの種の遺跡は発見されておらず、石器製作の実態を知るうえでも重要である。」(岡村道雄2000『日本列島の石器時代』:38.)

「なお、1995年に山形県寒河江市富山遺跡で中期旧石器ともいわれる藤村が関与しない石器群が、行政による緊急発掘調査で発見された。しかし、縄文時代の石器製作跡であるという反論があり、今日まで確認されるに至っていない。」(岡村道雄2010『旧石器遺跡「捏造事件」』:111.)

「前期旧石器時代末期の石器製作所跡」と言明されてから10年が経過して、どのような「考古学の王道」的分析がなされて、その結果、確認されるに至らなくなってしまったのか、未だに判然としない。この場合、「混じり込んだ」といったレベルではなく、「おびただしい量」なのだが・・・

「富山問題」については、最近以下のような意見も提示された。

「山形県寒河江市富山遺跡では、一見ハンドアックスにも似た粗い剥離痕でおおわれた大形両面調整品が土器をともなわずに出土し、竹岡俊樹は形態・技術的な観察にもとづいて約30万年前のアシュール型石器群と推定した。一方、慶応大学の阿部祥人教授は、その報告書の書評で、伴出した炭化物の放射性炭素年代も加味し、富山遺跡を石材原産地近くに営まれた縄文時代の石器製作址として再評価した。
・・・
富山遺跡の資料については、特別委第四作業部会の委員たちとともに山形県埋蔵文化財センターでつぶさに実見する機会をもったが、前期旧石器にしては風化度が浅く、縄文時代の石器とさほど変わらないものであった。日本列島におけるアシュール型ハンドアックスの存在については竹岡の勇み足に終わったが、石器だけの技術形態学的研究の限界を露呈する一方、阿部の書評により批判的精神は正常に機能していることを確認させた。」(松藤和人2010『検証「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』:122-3.)

石器の「技術形態学的研究の限界」は、ある一研究者の「勇み足」であるとかないといったレベルを遥かに超えた「考古学の王道」の根幹に関わる問題ではないのか。

道は遥かに遠く、険しさを増すばかりである。


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