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五十嵐2013c「遺構と遺物の狭間」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2013c 「遺構と遺物の狭間 -考古二項定理批判-」『日本考古学』第35号:113-125.

一言で表現すれば「大それた」(audaciousな)論文である。
何故か?
濱田耕作をはじめ、八幡一郎、チャイルド、大井晴男、森浩一、近藤義郎、横山浩一、坂詰秀一、田中琢、小野山節、鈴木公雄、斉藤忠、佐原真、泉森皎、山中敏史(以上敬称略)など並居る先人たちが形成してきた、そして私たちがその存立を微塵も疑うことの無い「二項定理」という考古学的常識へのアンチ・テーゼの提出だからである。

「遺構/遺物の定義として不動産/動産という性格規定が与えられ、遺構+遺物=遺跡という考古学的な二項定理が一般的な了解事項として受容されている。こうした二項定理を維持するために、構造物を構成する部材について、製作・使用の状態を保っていれば遺構の一部とし、遊離した状態であれば遺物とする「状態変容論」が提起されている。」(113.)

遺構でも、遺物でもない<もの>。
この難問(狭間問題)に遭遇したのは、今から10年以上も前のことになる。
「瓦は遺構なのか、それとも遺物なのか」(五十嵐2004「痕跡連鎖構造」:281.)
その時点で私なりの答えを提出したのだが、それに対する反応は殆どなかった。
いったいどっちなんだ?! それともどっちでもいいのか!?

瓦だけではない。炉石も礎石も柱材も窓枠も照明器具も配水施設も、私たちの身の回りにある数多くの<もの>たちが、考古学的な狭間に落ち込んでいる。
そして、そのまま放置されている。
何人かの意識ある先学も、頭を悩ませた難問である。
遺構である凹みが遺物である炉石と共に炉という遺構を形成するという「場所的構造体説」(近藤1976)が提出されたが、何回読み直しても理解が困難である。
その後、遷仏は遺構なのか遺物なのかという「遷仏問題」(小野山1985)が提起されたが、そこで筆者の答えが示されることはなかった。
そして本来の位置を留めていれば遺構、「離れて浮いた状況」では遺物であるという、<もの>の状態によって遺構と遺物を区分する「状態変容論」が提案された(佐原1995)。
これが、現在も一般的に受容されているようである(野口1997、山中2004)。

しかし、これはいかにも「アクロバティック」である。
煉瓦造りの建物基礎として見出された煉瓦は遺構であるが、一度その場所から採り上げれば遺物となる。その瞬間に。
そして元に戻せば、また遺構に。
そんなことがあるのだろうか?

そもそも現在流通している遺構と遺物の定義に問題があるのではないか?
すなわち遺構を不動産、遺物を動産という状態で定義する「考古二項定理」に、問題の根源があるのではないか?
こうした性格規定を維持するために、状態変容論というある同一の<もの>がその<もの>の置かれている状態(状況)によって、遺構・遺物という考古資料の基本的な資料区分がめまぐるしく変容する、変容せざるを得ないという奇怪な事態が生じているのではないか?

こうした疑念を出発点に、私たちが考古資料を取り扱う際に最低限踏まえるべき事柄、過去の全体概念なのか、それとも現在の考古資料としてもたらされている部分概念なのかの峻別に、その因を辿り、総体的な考古資料論の構想を提示した。
本論は、考古学という学問の基礎概念である遺構と遺物の定義自体に変更を迫るという意味において、「大それた」論文なのである。

掲載誌から要求された論文キーワードの対象時代は「あらゆる時代」、対象地域は「あらゆる地域」である。
ということは、考古学に関わる「あらゆる」研究者が直面する、せざるを得ない問題ということである。
多くの人の異見・批判を乞う次第である。


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