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考古学者・八幡 一郎 (後) [学史]

1955年から56年にかけて河出書房から藤田亮策・後藤守一・上原専六の三氏を監修者として『日本考古学講座』が刊行された。その第4巻に挿入された『月報2』に掲載された宮川寅雄1956「考古学への夢」と題する小文を取り上げた一文である。 
宮川寅雄さんのお名前は、別の筋から聞き及んでおり、こうしたところでお目にかかるとは、ちょっとびっくりである。

「『日本考古学講座』編輯の裏に、隠された意図のあることは、その成否のいかんを問わず、明々白々である。その一つの現れは、第二回配本に挿入された月報2(四月)の巻頭、宮川寅雄という人の文章に早くも見られるのである。
宮川氏は大正十五年ごろの
「考古学という学問は、墓堀りに特殊の技能をもった職人に思えた。だいいちその学友が地下の古物あつめの名人で、もっぱら遺物の分類をした原稿を「考古学雑誌」にのせて、われわれの期待する先史時代のイメージを描いてみせてくれることなどには、いっこうに介意していない風であった。」
と評している。大正十五年ごろ、日本では古墳墓の発掘をだいたい禁止しており、したがって墓堀り特殊技能者など存在しなかった。またそのころ氏の友人がもっぱら遺物の分類をして、氏等のイメージを満足させなかったとくどくのは、考古学という学問を思い違いしておったからである。」(八幡一郎1955「冒涜せられたる考古学」『人文学舎報』拾五,註:宮川1956を論評しているのが八幡1955というのはつじつまが合わず、八幡1956の誤りか?)

「隠された意図」とは何か? 半世紀も経過した今となっては「明々白々」ではないが、読み進めるうちにおぼろげながら明らかになってくる。
「墓堀り」というのは、あくまでも「発掘」という行為全般に対する一種の比喩に過ぎず、それに対してここまで過剰に反応するのは何故か?

「「明治時代の中国、朝鮮の美術考古学の調査、発掘が、日本帝国主義の大陸への足どりと結びついていたのは周知のことである」そうだ。日本人として、日本の考古学者として、そうでないとはいわない。しかし、それだからどうだというのだ。そのころはロシアは大シベリア攻略を完成しておって、さらに満洲、朝鮮を手中に収めんとし、ロシア考古学者もその踝に従っていた。このことは、諸君陣営では全く知らないか、知っていても素知らぬ顔である。」(同)

「しかし・・・」以下の一文は、歴史に残る名文と言えよう。

「「中日戦下の満洲、中国、つづく太平洋戦争下の南方諸国への日本学者の進出も、例外ではない。若いわれわれは考古学を不潔に思い、軽蔑した。よい仕事をした学者にはすまないが、その仕事を愉快に思えなかった。」
その前半は、前記のような意味で、連中の常套用語と見なす。太平洋戦争下に少しでも、日本の考古学者が南方諸国を調査研究しておいたら、学問の進境に大いに寄与するところがあったに相違ない。そのころ南方諸地域がほとんど白人の桎拮下にあり、いわゆる帝国主義の枠内で、それぞれの地域の考古学研究が進められていた。日本はそのためにほとんど一指も染められなかったのである。学問そのものがそうした歴史の中に成長し発展することが不潔であるというならば、またそれほど考古学を軽蔑するならば、大陸で考古学の調査研究をして学問に貢献した学者を監修とし、責任編輯者とする『日本考古学講座』ははなはだ不潔のものであり、軽蔑に値するものである。氏がそれに夢を託されて、この月報にこのような表現をあえてするのは何故であるのか。しかもこの『日本考古学講座』に執筆する学者の大部分の仕事は、氏の不愉快さを誘うはずである。」(同)

「諸君陣営」あるいは「連中」という用語の選択から、筆者が「誹謗」する人々がある特定の信条を共有する集団であることが伺われる。

「氏はこのように日本の考古学を誹謗して、落着くところ「やがて『月の輪古墳』発掘が告げられるところまできたのである」。「和島さんの説明で『月の輪古墳』の映画をみて、私は驚嘆した」という。それは御自由である。『月の輪古墳』という映画は映画であって考古学ではない。日教組からの紐付資金を得て、教師、学童、村人、専門家の共同活動があったからとて、別に考古学の本質とはなんらの関係もない。氏らが『月の輪古墳』の発掘をもって従来の発掘と全く対立したものと見るのは正しい。ただし、前者が新しい学問的出発ではなく、考古学の分野における政治的活動の出発だという点で全く対立する。この古墳の名をジャーナリスティックに天下に高からしめた、諸君の英雄和島さんは、かつて山西軍の嘱託として、山西省内に発掘事業を強行した仁である。ひいきのひき倒しとは正にこのことであろう。」(同)

結局のところ、最終的な攻撃目標は『月の輪古墳』であり、日教組であることが明らかになる。しかし常軌を逸したその攻撃性、ほとばしる反共意識の強烈さに辟易する。なぜあえて「日教組の紐付資金」などということをことさらあげつらう必要があるのだろうか? それこそ「考古学の本質とはなんらの関係もない」はずなのに。
日本におけるパブリック・アーケオロジーの先駆的試みとして「月の輪古墳」を取り上げる際には、このような実情にも配視する必要があろう。

こうした人々の特徴として、大袈裟なこと(「冒涜せられたる考古学」!、ちなみに「冒涜」とは「神聖・尊厳なものをおかしけがすこと」『広辞苑』)、そしてやたらと勇ましいことである。
数ページ後ろには、こんな一文も。

「前進! ただ前進!!! われわれを拒むものあれば、破邪顕正の剣を振りかざす。若き諸君よ、諸君はわれわれの屍を乗り超えてゆけ。しかし祖国日本を売り渡すような似而非学者におだてられて、元も子もなくすようなことがあれば、われわれは絶対に許さない。」(八幡一郎1955「所感」『人文学舎報』拾五、1979『八幡一郎著作集 第一巻 考古学研究総論』雄山閣所収:369.)

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