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小野・日比野1990『陽高古城堡』 [考古誌批評]

小野 勝年・日比野 丈夫 1990 『陽高古城堡 -中国山西省陽高県古城堡漢墓-』東方考古学叢刊 乙種第八冊、東方考古学会、六興出版

「中国山西省・陽高古城堡の漢墓は人骨とともに玉匣、羊形鎮子、戈の柄頭、石突など類まれな多彩な副葬品が出土し、世界的な注目を集めた。1942(昭和17)年東亜考古学会により漢墓としては当時初めて本格的な発掘調査がなされたが、半世紀を経てその全貌を公開する画期的な報告書が完成した。」(1990年6月 『六興出版だより』)

1946年には小野・日比野両氏によって『蒙彊考古記』と題する発掘日誌が公刊された。
1945年10月1日の日付をもつその「自序」。
「すでにあのときからまる三年の年月がたつたのだ。世の中は當時においては全く想像もつかぬ変化を遂げてしまつた。
いまさら当時の日記を公けにしようなどといふことは、決して進んでできるわざではない。もしこれを計画した當初だつたなら、実際もつと張切つた気持でこの序文を書くことができたであらう。
しかしもはやかうした繰り言を述べるのはよすことにしよう。われわれはあの戦争のさ中にあつても、自分達の学問の途をまつしぐらに邁進してきたつもりである。それは戦争をも政治をも超越した東亜古文化の究明といふ仕事だつたのである。」(小野勝年・日比野丈夫1946「自序」『蒙彊考古記』1-3.)

それから45年が経過した。更に「全く想像もつかぬ変化を遂げてしまつた。」

「われわれがもしこの地域に関して、生きたまことの認識を得ようとするならば、このような地理的・歴史的事情を明らかにすることが必要である。だから過ぎ去った昔、この地方において人びとが営んだ歴史的な活動を知るということは、それが単なる知識にとどまるのではなく、常に現在を知るためのものであり、さらに未来を洞察するものでなければならない。大同の石仏や、八達嶺の長城は、この際、歴史を如実に語ってくれるものなるが故に貴い。そうした偉大な史蹟でなくとも、先人の残した歴史的記念物は、それがこのような認識の最もよき手段なるが故に価値があるのである。まことの価値あるものは、これを保存し保護することが必要である。これが後人の義務である。しかし、歴史的記念物がいかに現在を知る重要な手段であるとしても、それはその実態が明確にされての上である。その実態を把握し、過去に対する正確な知識を獲得するということは、時には保存・保護よりさらに重要なのである。
1942(昭和17)年秋に行われた陽高県古城堡における漢代古墳の調査は、実に上述のような趣旨に基づいて行われたものである。ただ深く閉ざされた神秘の姿をあばこうとする好奇心をもって出発したものではない。人心の最も奥深い根底から発した真摯な探求欲から出ていることはいうまでもないところである。」(2.)

調査の目的も、「面白いから一つ掘らうぢやないか」(日比野1943)、「戦争をも政治をも超越した東亜古文化の究明」(小野・日比野1946)、「現在を知るため、未来を洞察するため、真摯な探求欲」(小野・日比野1990)と変遷を重ねた。もちろん時代状況に応じて、理屈もそれぞれ移り変わるだろう。
しかし1942年に、なぜ日本人考古学者が「延べ4300人に及ぶ」(10.)中国人農民を作業員として、3基もの古墳を同時に調査しなければならなかったのかという疑問には、答えられていない。

「今日われわれにとって、最も遺憾なのは出土品の実物が一つも見られないことである。それらは陽高県公署に保管されていたはずだが、行方は全くわからない。ごく一部のものを研究のため借用して日本に持ち帰り、東方文化研究所に置いていたことがある。しかし、戦後、中華民国の故李済博士が戦時中に日本が中国から持ち出した文化財接収のため来日されたとき、東方文化研究所において、そのすべてを返還した。」(256.)

返還されたのが、何時なのか、「戦後」としか書かれておらず不明である。いったいどれほどの遺物が「借用して日本に持ち帰」られたのか、その数量・内容とも不明である。現在は、台湾大学にあるということなのか? それとも1949年以前に返還したということなのか? そして遺骨は、どうなったのだろうか?

「なお保存良好な数体の骨骼も、調査の上は古人類研究に幾多の知見を増大させるはずであった。」(3.)

「はずであった」ものが、なぜそうならなかったのかという点についての説明は、「画期的な報告書」の何処にも記されていない。

「各墳からとり上げた人骨を京都の大学に送るために、まづこれを包装して、箱につめ栗ガラをその間につめるといつた丁寧極まる荷造りであつた。」(小野・日比野1946『蒙彊考古記』315.)

果たして陽高漢墓群の遺骨たちは、「京都の大学」から故郷古城堡の地に帰ることができただろうか?


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

一番始末に困るもの。
「自分達の学問の途をまつしぐらに邁進してきたつもりである」などという、立ち止まって自らを省みる気配が微塵も感じられない、独り善がりな自負心。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2014-02-23 14:58) 

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