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五十嵐2014b「書評 小野勝年・日比野丈夫『陽高古城堡』」 [拙文自評]

五十嵐2014b「書評 小野勝年・日比野丈夫『陽高古城堡 -中国山西省陽高県古城堡漢墓-』東方考古学叢刊 乙種第八冊、六興出版(1990年7月)」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報』第3号:12-15.

「1942年に発掘された調査資料が、48年後に報告された。報告書の刊行を告げる文章が述べるように、調査から「半世紀を経て」刊行された「画期的な報告書」である。そこに至るには、様々な事情と関係者の思いが込められていることだろう。こうした意味で、本書は考えるべき事柄を多く孕んでいる。」(12.)

拙ブログ「日比野・水野1943『蒙彊に於ける最近の考古学的発見』」【2014-02-12】および「小野・日比野1990『陽高古城堡』」【2014-02-19】を元にした文章である。

「焦点は発掘調査そのものではなく、調査前(調査の動機や目的)と調査後(出土した資料の取り扱い)に関する報告者の認識である。」(12.)

1942年という「あの戦争のさ中」に占領地でなされた発掘調査の成果を半世紀後の1990年に刊行するということの意味。もちろん1942年当時の意識のまま、1990年に出版することなど出来ようもない。それでは、どのような認識が、どのように変化したのか。半世紀後に自らの当時の認識をどのように振り返っているのか。これこそが、考古学者の歴史認識を探る上で、必須の観点である。何が変わって、何が変わっていないのか。

「「現在を知」り「未来を洞察する」ために「過去に対する正確な知識を獲得する」すなわち発掘したのだという調査の目的が記されている。また「ただ深く閉ざされた神秘の姿をあばこうとする好奇心をもって出発したものではない」との断り書きも付け加えられている。一般的な調査では、このようなことは記されない。なぜならこのようなことは、記すまでもない当然のことだからだ。しかしそうした当然のことをなぜあえて記さなければならなかったか、その理由について考えてみたい。」(12.)

どうやら表面的に都合の悪い箇所を差し障りの無い言葉に置き換えて、あるいは都合の悪い文章を削除して取り繕って表面を糊塗しただけのように思われる。戦時期に占領地で発掘調査を行なった研究者が戦後になすべき肝心なこと、自らの侵略発掘に対する真摯な反省と自己批判は、本書において確認できない。

「…本書冒頭の文章を引用しておこう。
「過ぎ去った昔、この地方において人びとが営んだ歴史的な活動を知るということは、それが単なる知識にとどまるのではなく、常に現在を知るためのものであり、さらに未来を洞察するものでなければならない。」(1頁)
このように記した筆者たちが思い浮かべる「過ぎ去った昔」という「過去」は、陽高古城堡漢墓の発掘によって明らかにされる遥かな過去を意味しているのだろう。しかし私たちの「過去」とは、それだけに留まらない。このような文章が記された1990年から半世紀前の1942年に異国の地で日本人考古学者によってなされた発掘調査についても、ある意味で「歴史的な活動」と言えるのではないか。そして当時の経緯や当事者の認識の在り様を知ることは「単なる知識にとどまるのではなく、常に現在を知るためのものであり、さらに未来を洞察するものでなければならない」であろう。」(14.)

1943年に『蒙彊に於ける最近の考古学的発見』という書籍を出版した京都大学所在の「大東亜学術協会」あるいは本書の出版元である「東方考古学会」という実態の良く分からない組織の実態を明らかにすることも、「日本考古学史」研究のなすべき課題である。


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