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ミシンと洋傘 [雑]

「ミシンと洋傘」と聞いて「ピン!」と来る人は、第2考古学的なセンスがあるとみていいだろう。 

若干24歳で夭折した当時無名の詩人ロートレアモン(本名イジドール・リュシアン・デュカス:1846-1870)が残した摩訶不思議な語句「解剖台の上でのミシンと洋傘の偶然の出会い」(『マルドロールの歌(第六の歌)』)。
この言葉が、シュルレアリスム画家マックス・エルンスト(1891-1976)を経由して、レヴィ=ストロース(1908-2009)の構造主義生成に大きな働きをなした。

「一見したところ対立的な性質をもった二ないしそれ以上の要素を、さらにそれらと対立的な性質をもった平面の上で近づけること」(マックス・エルンスト1934『シュルレアリスムとは何か』)

「そもそも、次のような問い方をすることもできたはずです。「ミシンとは一体何であるか」、「傘とは一体何であるか」、「解剖台とは一体何を言うのか」。
そして、このような問いを個別に発しているかぎり、そこからは何もでてこないでしょう。
唯一の鍵は、個別に検討するかわりに、そうした事物間の関係を考察することであり、したがって関係の体系を、それも変形を前提とした関係の体系を理解しようとすることなのです。
(中略) 
要するに、どのような場合にも、事物ではなくて事物間の関係を考察することによってこそ、分析の端緒が開けるのでした。」(クロード・レヴィ=ストロース1979「構造主義再考」『構造・神話・労働』大橋保夫編、みすず書房:51-53.)

「そもそも」という用語は、そもそも第2考古学的性向を言い表す基本タームである。

縄文時代後期の土器組成だったり、弥生時代の帯状円環銅釧だったり、善光寺平の須恵器だったり、古墳時代の土器集積遺構だったり(以下略)、若い頃にある特定の資料をテーマに資料集成に励み、様々なデータ解析を試み、モノグラフ作成のトレーニングに努める。研究者としての基礎的な修練であろう。しかしそれだけでは、それだけで終わってしまうだろう。

「そして、このような問いを個別に発しているがきり、そこからは何もでてこないでしょう。」

ある限られた時間(時代)や空間(地域)を研究対象として、その中での「事物間の関係」を考察することもできる。しかしもし本当にそのような研究がなされたとしたならば、それは決してその時空間内のみで収束することはないであろう。必ずや他の時代や地域との相互関係(構造)が問題となるはずであり、そうならないとしたら、それは設定された枠組みのどこかに問題があると考えていい。
「日本考古学」も時代とか地域といった第1考古学的な制約に自閉せず、その「唯一の鍵」である「事物間の関係」を研究目標に据えて、本当の意味での「分析の端緒」を見出すことが求められている。

「一つの<もの>を見ていては、見えてこないことがある。異なる<もの>を比較し、その違いと共通性を勘案することによって、その<もの>の特性が浮かび上がる。」(五十嵐2014「石器的な<もの>と土器的な<もの>」『東京都埋蔵文化財センター 研究論集』第28号:9.)


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