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縄紋環状列石 工区分担説 [総論]

「大湯のストーンサークルは整然とした円ではなく、あちこちにでこぼこ、太細していて、輪がきれいに線上に並ばずゴツゴツとした節々があります。
どうも彼らは一つや二つのグループではなく何十というグループがやってきてそこに石を並べていくのです。働き盛りの人が大勢いる集団はたくさん運んできて担当する工区の石列を太らせ、働き手がぎりぎりの集団であっても参加して仲間に入りますが、彼らが担当したところは一列でもまともにつながらないようなまばらな石の並べ方で終始しなければいけなかった、そういう事情を表しているのです。
また後から仲間に入りたいといってきても、すでに工区が決まっていてはじき出される。駄目だ、お前たちもう遅いよとなると、ここの場所を俺たちにやらせてと、輪から直線的に、石を並べていくのです。それも続いていたり飛び飛びだったり、サークルから突き出た切れ切れの線状のものも、工区を確保しても一列にならない程度にしか工事をやれない、働き手が少ない、時間の足りない人たちがいたことをよく示しています。」(小林 達雄2015「縄文時代」『日本発掘! -ここまでわかった日本の歴史-』朝日新聞社:67.)

縄紋時代の環状列石(ストーンサークル)は異なる複数集団によって担当する「工区」を区分して構築されたとする「複数集団工区分担説」である。
その根拠は、環状列石が「整然とした円ではなく、あちこちにでこぼこ、太細していて、輪がきれいに並ばずゴツゴツした節々」があることである。
しかし、こうした考古学的な事象から導きだされる説明として、「工区分担説」だけが唯一の仮説、すなわち「ここまでわかった」と言い得るだろうか?

「寺野東遺跡のドーナツ状の土手を歩くと、高いところもあれば低いところもあるのです。円く形作るのが目的の一つではあっても、完成させようとしていないことがよくわかります。土をたくさん運ぶことのできるグループはそこの部分はどんどん高くなっていくし、そうでないところは低くなってくる。
しかも重要なのは、たくさん土を運べる働き手が多くいるグループが、低いところに「お前、足りないなら力貸してやるよ」とかという思いやりは無用なのです。みんなで作るのだからでこぼこがあって当然、そういう考え方とみることができます。」(69.)

同じ記念物(モニュメント)として「環状盛土遺構」と呼ばれる考古事象についても、同じような説明がなされている。
疑問は、「でこぼこ」という状態観察から導かれる仮説は、ただ「力の差がある複数集団が場所(工区)を分担して構築した」というものだけなのか、というものである。

そもそも、本来はこれほど「でこぼこ」ではなく、構築されてから現在に至る長い年月の間に、ある時は自然現象で歪み、ある時は人間が構築材を持ち去って、今ある「でこぼこ」になったということも当然考えられるだろう。
すると今より「でこぼこ」していなかった、より整然としていたとするなら、それは「力の差がない複数集団が「工区」を分担した」ことになるのか?
それとも大規模な集団が単独で構築したのか?
当初から今あるように「でこぼこ」していたとしても、それは「工区」などは分担せずに、それぞれが勝手に持ち寄り構築したために結果として「でこぼこ」を呈するようになったという可能性はないのだろうか?
あるいは単一集団ないしは異なる集団が何年もかけて、あるときは中断期間を挟みながら断続的に世代を越えて構築したために、結果として「でこぼこ」になってしまったという可能性は?

「でこぼこ」に至った要因一つを考えるにしても、「でこぼこ」をマイナスと考えるか、プラスと考えるかで導かれる説明は大きく変わってくるだろう。
マイナスと考える考え方の背景には、本来整然とした均質な円を目的としていたにも関わらず、様々な要因(その一つとして力に差がある集団による「工区分担」)によって、結果として「でこぼこ」になってしまった、という想定がある。
さらに「でこぼこ」が未完成な状態であると考える背景には、整然とした形が完成形態であるという想定がある。
それに対して「でこぼこ」をプラスと考える考え方は、本来整然とした均質な円などを目的としていなかった、とにかく大まかに円形になればそれで良しとしていた、「完成」としていたという想定、あるいはこうした「でこぼこ」にも何らかの意味があったに違いない、と考える。
「工区分担説」を唱える筆者は当然のことながら「でこぼこ」をマイナス要因と考えていると理解されるのだが、一方で環状列石を「わざとゆがめている」(78.)とも述べられており、読者はとまどうばかりである。

「環状列石は不整形な形状を呈する」という命題を説明するのには、ここで示した以外にもなお数多くの説明が可能であろう。
しかし「工区分担論者」の説明にはそうした可能性を考慮しているあるいは数ある仮説の中の一つとして提示するという気配が感じられない。

「工区分担説」から導かれるのは、「工区」を分担しうる周到な計画性と「工区」を割り振る強力な統率力であり、縄紋時代にこうした社会組織が想定されているのである。
このような社会組織の在り様を他の縄紋時代における考古事象から、どれほど例証できるだろうか。
そして何よりも先史時代における巨石記念物(モニュメント)において、どれほどこうした「工区分担説」が例証されているだろうか?
日本列島における後の時代である弥生時代や古墳時代の大形構造物で、こうした「工区分担説」は成立しているのだろうか?
世界史において、例えばイギリスのストーンヘンジなどでは、こうした「工区分担説」は確立しているのだろうか?

多くの未解決の疑問がある。


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