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落穂拾い [論文時評]

「…藤村石器を前期旧石器と信じていた阿部祥人が富山遺跡の石器を実際に見たかどうかを問題にすることにどのような意味があるのか?
なお、富山遺跡について、松藤氏・佐藤氏は、ハンドアックスの形が変だ、あまり風化していない、同じような石器は縄文時代にもある、などの相変わらずの理由で縄文時代の所産としているが、石器が地表下70㎝の赤色土層から出土していること(加藤稔の発掘も参照)や、年代測定で縄文早期の年代を示す石器はいずれも表層近くの転磨した石器であること(したがってそれ以下の動いていない層から出土した石器は縄文早期以前である)については全く触れない。富山遺跡が前期旧石器時代文化の所産であると判断したのは私だけではない。山中一郎は角張淳一に「富山がアシュール文化であることがどうして皆にはわからないのか」とのべていた。それほど典型的な石器群である。」(竹岡俊樹2015「「考古学崩壊」その後 -松藤和人氏・佐藤宏之氏による批判に答えて-」『異貌』第32号:14.)

短文だが、疑問符だらけである。
そもそも阿部氏が「富山遺跡の石器を実際に見たかどうかを」最初に問題にしたのは、竹岡氏ではなかったのか? 「阿部は実際の資料を見ていないと判断される。」(竹岡俊樹2014『考古学崩壊』:232.)
それを今さら「どのような意味があるのか?」と問われても、答えようがない。ご自分で答えを出していただきたい。

阿部氏が「藤村石器を前期旧石器と信じていた」かどうかについては、氏が発覚以前に発表した文章を読まれた読者がそれぞれ判断するだろう。

「松藤氏・佐藤氏」の「相変わらずの理由」も典拠文献が示されていないので、確かめようがない。
まさか『考古学崩壊』でも引用されていた松藤和人2010『検証 「前期旧石器遺跡発掘捏造事件」』:122-123.ではないだろう。
「加藤稔の発掘も参照」も意味不明である。加藤 稔氏の、どの発掘を、どのように参照すればいいのだろうか?
新たに提示された証言についても、発言者も聞き手も共に物故者であり、真偽の確認の仕様がない。
「それほど典型的」ならば、せめて活字になったものを論拠として示してもらわないと・・・

「しかし、彼ら(松藤・佐藤氏)は私の『考古学崩壊』は読んでいませんね。読めば、たとえば富山についてもそんな馬鹿な批判(P.10)はできないはずです。」(16.)
「(ページ数は『考古学崩壊』)」(7.)

当該書籍の指定されたページをみても、「そんな馬鹿な批判」らしき文章を見出すことができないが、もしかして、ここだけ掲載誌のページを意味しているのか? それにしても・・・

本論の主たる内容については、副題に掲げられた研究者から、それぞれ相応の反応がなされると思われるので、ここでは本ブログに関連する「富山問題」についてのみ言及した。
ただ一般の読者は、「「考古学崩壊」その後 -松藤和人氏・佐藤宏之氏による批判に答えて-」と題された本論の論題を読んで、「『考古学崩壊』という著書が出版された後に、それを読んだ両氏によってなされた批判に対して、今回は竹岡氏がそれに答えたのだな」と考えるだろう。ところが2014年12月9日掲載の新聞記事で引用されている両氏の見解以外は、『考古学崩壊』が出版された後になされた批判ではなく、全て『考古学崩壊』で既に引用されている「「考古学崩壊」以前」のものであり、あまつさえ「彼らは『考古学崩壊』を読んでいませんね」とまで決め付けられてしまっているのだから、これはいったい・・・

緑川東遺跡に関する論考が2本、発表された。
関係者の間では、いずれも「大型石棒設置時敷石除去説」で意見の一致をみているようだ。

「石棒の出土範囲からは敷石が認められないことと、石棒の下面半部が埋まっていることから、住居として使用した後に、当該部分の敷石を剥いで浅い掘り込みを設けた後に石棒を設置したことが推測されている。」(清水 周2015「緑川東遺跡と四本の大型石棒 -緑川東遺跡第四次調査の成果と課題について-」『多摩考古』第45号:20.)

「出土状況は石棒の置かれたところは、敷石が撤去され、地面をならして安置されたと考えられる。石棒は敷石上面から10センチほど下にあり、埋置したと見る向きもあるが、埋めたにしては浅すぎると考えられる。」(和田 哲2015「緑川東遺跡の敷石遺構と石棒をめぐって」『多摩考古』第45号:25.)

大型石棒並置敷石遺構構築時説は、依然として孤立無援である。

他人の文章の間違いを指摘するのは、気が重い作業である。
しかし多少とも関係のある箇所なので、ここで指摘しておこう。

深澤 靖幸2015「東京都」『日本考古学年報(2013年度版)』日本考古学協会:180-185.
1.180頁 1行目:当年度の調査としては、北区の桐ヶ谷遺跡が注目される。→ 北区の桐ケ丘遺跡
2.同 5行目:黒曜石製の楔形炻器 → 楔形石器
3.183頁 下から4行目:五十嵐彰「炻器的な<もの>と土器的な<もの>」 → 「石器的な<もの>と土器的な<もの>」

2点目はともかく、3点目では全く意味が異なってしまう。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

「この時ぺルグランさんは山形県埋文に足を運ばれ、富山遺跡の出土資料に眼を通してくださり、主として剥片資料について、縄紋時代石器製作のときに出たとしても矛盾はないと断じられました。藤村新一さんが直接関与していない資料なのに「ねつ造」検証委員会のメンバーが観察に行かれたのに、観察の評価が出されないので、ぺルグランさんの意見を求めたのです。」(山中 一郎2014「日本考古学への遺言」『異貌』第31号:12.)
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2017-08-13 16:11) 

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