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<もの>に取り憑かれている学問 [総論]

考古学ほど<もの>に取り憑かれている学問はない。

考古学をしている考古学者からして、<もの>に取り憑かれている。
食い入るようにあるいは舐めるように、土器や石器を見ている人を見たのも二度や三度ではない。
もちろん、人から見れば私もそうした人たちの一人であろう。
しかしここで述べようとしているのは、そうした人たちの生態についてではない。

土地を掘り起こし、地中に埋まっている<もの>たちを掘り出す。
掘り出された状態を記録し、掘り出した<もの>たちを記録する。
こうした行為(発掘調査)は、「報告書」と呼ばれている刊行物を出版すれば、ひとまず終了すると思われているが、実はそれで終了しないのが「取り憑かれている」所以である。

記録された考古資料は、しかるべき場所でしかるべき状態できちんと保管されている、はずである。
しかしどれだけの<もの>が、あるべき状態で保管されているだろうか。
都内の某所における光景が、時々蘇えることがある。悪夢にうなされるように。
広大な倉庫のような場所に延々とスチール・ラックの列が並ぶ。
それぞれに「遺跡名」を貼り付けたプラスチック製の収納箱がギッシリである。
棚にキチンと納められているのはまだましな方で、ある部分ではとりあえず棚の前面に積み上げたものだから、奥に納められた資料を取り出すのも容易ではない。
それが蔓延する病原体のように、一度「それ」をしてしまうと、次から次へと広がっていくのだから始末に困る。担当者も職務とは言え、半ば「諦め」モードである。
行けども行けども、そうした列が続いている。初めての人は、迷子になりかねない。
夜間に一人で彷徨いこんだら、それこそ<もの>たちの怨念で圧倒されそうである。

問題は、本来そこにあるべき<もの>たちが、そこにあるのなら良いのだが、そうでない<もの>たちの扱いである。ここから、問題は「返還問題」へと連なっていく。
そこにあるのは、<もの>を所有するという私たちの欲望と現状を変更したくないという億劫さ(怠慢)である。

こうした<もの>に纏わる問題だけでなく、<もの>を記録した刊行物という<もの>に纏わる問題についても、先年世間を騒がせた某全国学会における「所蔵図書問題」を引き合いに出すまでもなく、周知の事実であろう。
そして私たちの世代が会うたびに話題になるのが、個人で自宅で所有している「報告書」を初めとする蔵書群の扱いについてである。
先端的な人びとは、スキャンしてデジタル記録化することで、アナログ印刷物はドンドン処理しているという。
最近先駆的な人びとの努力が実り「全国遺跡報告総覧」という名前で全国的な組織での情報公開が始まったので、これからそうした流れが広がっていくのは確実であろう。
しかし個人レベルでそこまで踏み切れない人びとは、家族からの無言の圧力に耐えながら、そして将来は遺された人びとの迷惑さもひしひしと感じながら、どうしようもない遣り切れなさを感じていることだろう。

これまたある場所(大学図書館)の光景が脳裏をよぎる。
行けども行けども、遺跡の報告書の列が延々と続く書架群の光景である。
「北海道」からはじまって、「青森」「岩手」……
ここからも、形を変えた<もの>たちの叫びが聞こえてきそうで恐ろしい。
夏の夜の夢である。

「「精神」は、そもそもの初めから物質に「取り憑かれて」いるという呪いを負っており、ここでは物質は運動する空気層、音、要するに言語という形で現われる。言語は意識と同い年である。」(マルクス/エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』岩波文庫34-124-3 新編輯版2002:56-57.)


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