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梅原1947「現下の日本考古學」 [論文時評]

梅原 末治1947「現下の日本考古學 -その展望と将来の課題-」『人文』第1巻 第2号、人文科学委員会:45-57.

「考古學が古物を解釋する學問だとする為政者の誤った考えからして、實は過去十数年の激しかつた政治の學問に對する強壓下にあつて、この學ではさして研究上の自由を奪われることなく、関係者が基礎的な調査なり研究を続けることが出来たばかりでなく、一面強行された政治勢力の大陸なり南方への進出に便乗して、その活動の範囲をば是等の地方に及ぼした結果、今日では同地域ののこされた文化事業のやゝ見るべき業績の一とも言うべき趣をすら呈しているのである。彼の朝鮮並に南満洲に於ける我が考古學上の調査研究の廣い東亞考古學の成立への寄与の如きはその好例とせられる。か様な事情の下にあつた事が、いまや世情の一大變換期に際して、新たな一般の要求に應じて、歪んでいない幾何かの関係の知識を提供し得た所以なのであつた。たゞ考古學の取扱う對象にもとずくそれ自體の限界なり、またこの學問發達の迹を辿つて現状に及ぶの際、そこに今日あるを得しめた先學の數々の業績が思われると共に、いろいろと省みるべき點のあることが考えられて、それが學としての正しい発達の上に聯關する所の大なるものあることに思い及ぶのである。」(45-46. 下線は引用者、以下同)

何が言いたいのか、歯に物が挟まったような歯切れの悪い文章である。
要は戦時期においても官学に属する自分たちはさして不便を感じることなく(「研究上の自由を奪われることなく」)、「強行された」侵略戦争に「便乗して」、「見るべき業績」を挙げ、その結果、敗戦後の現下においても「歪んでいない幾何かの関係の知識を提供」することができ、自分たちのそうした「先学の業績」を尊重すること、それが「学としての正しい発達」なのだ、というのである。
1947年というこの時に、こうした発表媒体に、このような論題を掲げながら、このようなことしか述べ得なかった「現下の日本考古学」を思わざるを得ない。

「敗戦に伴う大陸に於ける考古學的活動が休止されたことについては、多くの人達の間にその将来に就いて危惧が懐かれている様である。華やかだつた自由な発掘の出来た面からのみすると、如何にも尤もなことに思われる。併し従来の不用意な調査が今の場合上記の様に検討せられて、學問の正しい発展に就いての眞の認識に役立ち得るならば、學問の國境がないのであるから、自から道は開けるのであつて、か様な點は深く懸念するに及ばないであろう。この分野での現下の課題こそは不充分のままになつてる既往の調査に就いての検討を、単なる過去の始末をつけると云うのでなく、それを通じて學自體の認識を深めるに役立たしめて行く立場に於いてなさるべきなのを信ずるのである。」(57.)

戦時期の「日本考古学」について、「華やかだつた自由な発掘の出来た」時代であったと述べる。
本論は、こうした当事者の本音が吐露されている一点をもって価値を有する。
少なくとも「大陸なり南方への進出に便乗」することができた官学を中心とする研究者たちにとって、戦時期の「日本考古学」は、決して「きびしい抑圧」を受けていたのでも、「日陰の雑草」のような存在でもなかった。
そしてこの方々が中心となって、戦後の「日本考古学」あるいは「日本考古学協会」が形成された。

私たちのなすべきことは、「現代政治的問題が絡むこと」や「国政レベルでの事案であること」といった時代錯誤な認識を表明して時代が要請する問題から逃避することではなく、私たちの先輩方が「華やかだつた自由な発掘」を行なった結果として日本にもたらされた負の遺産である半島・大陸由来の考古資料について、彼らの後継者として、現代社会に生きる者として「現下の日本考古学」の喫緊の課題として改めて検討することである。
このことこそが、「過去の始末をつける」ということだろう。

半世紀前に記された文章を引用する。

「反論したり声明を出したりすることは政治的であって、学問をする者のとるべき行為ではない、という尤もらしい思い上った態度があったのではなかろうか。とするならば、そこには、現実への無関心、現実からの逃避という考古学者の戦前からの学風がはっきりとみてとれるであろうし、それとともに、この学問自体が、制約をほんとうに制約として感じるほどの問題意識も体系も方法も成長させていなかったこと、学問がその復活によって深刻な打撃をうけるほどのなにものをも生み出していなかった、あるいは生み出しているとの自覚がなかったことの見事な投影があったとしてよいであろう。すべての考古学者が個々にそうであったというのではもちろんなく、反論した一部の人々をふくめて考古学の世界全体をおおっている支配的な性格を指摘しているのであるが、そこには、なんと鮮やかに、戦前的性格が牢固として貫かれているようにみえることか。」(近藤 義郎1964「戦後日本考古学の反省と課題」『日本考古学の諸問題』:317.)

51年前の文章である。
「なんと鮮やかに」…


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