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人類学バトル [研究集会]

人類学バトル「ポストコロニアル論争は人類学にとって自殺行為だった」『くにたち人類学研究』第3号:69-138.

ひょんなことから、隣で9年前にこんなイベントが行われていたことを知った。

日時:2007年10月7日
場所:一橋大学
主催:日本文化人類学会 関東地区研究懇談会

「「シリーズ・人類学バトル」は、だれもが気にかけてはいるものの、これまで面と向かって論じることの少なかった「熱いトピック」を、「バトル」形式で議論する場です。毎回、それぞれのトピックについて一家言ありそうな論客を招いて「バトル」の口火を切ってもらい、その後、観戦者も巻き込んで「場外バトル」を繰り広げ、最後に、全員の投票で勝敗を決めます。
今回の争点もまさに、未だに決着を付けにくい悩ましいトピックです。そこで多様な立場から争点を浮き彫りにし、議論を大胆に「闘わせる」ことで、問題の核心に迫りたいと思います。「バトル」とは半ば見せ物で、半ば真剣勝負の場です。重い話も軽く語れる場、原稿を読み上げる場には求めにくい、口頭でやり合うスリルに富んだ場、普段言いにくいことも思わずズバリと言ってしまいたくなる場にしたいと思います。」(69.)

何だか楽しそうである。そのための様々な仕掛けが施されている。
主催者である日本文化人類学会 関東地区懇談会 運営委員は「バトル興行主」を名乗り、4名の問題提起を受けて、延長戦可能な出席者からのコメント(場外バトル)、論者からのリコメントを受けて投票、勝負結果発表、さらに夜9時スタートの場外懇親会、バトルの記録化、研究誌への掲載、リポジトリによるネット配信に至るまで、羨ましい限りの用意周到さである。

それに対してこちらは、相変わらずの、発表者が何人か発表して、最後に全員が登壇して形だけの討論をやり、予め会場に居るしかるべき研究者にコメントを依頼して当たり障りのない意見が述べられて、はい、時間もなくなってきましたので…という、出席してストレスだけが溜まる「いつものパターン」である。

「人類学バトル」には、先行例がある。1988年から93年にかけてイギリスの「人類学理論討論グループ」(Group for Debates in Anthropological Theory)という研究集団が行なっていた「バトル」に、日本の興行主の一人が観戦する機会を得て、日本に輸入したということである。
第1回は「人類学は役に立つ人類学を目指すべきか」と題して2006年10月に、第2回は「人類学は単なる地域研究でいいのか」と題して同年11月に、そして今回が第3回、さらに第4回が「人類学にはナショナルな伝統がある」と題して2008年2月に行なわれている。

バトルの参加者は約90名、バトル後の懇親会参加者は50名で、その活力は羨ましい限りである。
第2考古学でも「遺跡問題」をテーマに、こうした「バトル」を構想したことがあったが、こちらにはこうした活力が育つには至らず、あえなく夢と消えた経緯があるだけに。

問題提起、駁論、提起再論、再駁論と4名の大学教員が発表した後に、場外バトルとして会場から11名の方がコメントし、さらに発表者のリコメントがなされた。
コメントをした11名のうち、大学教員は8名、院生が2名、フリーの方が1名と、主体は大学に所属するいずれも「一家言ありそうな論客」ばかりだが、そこに院生が果敢に食い込んでいるというのが何よりも羨ましい。こうした精神風土が、今の「日本考古学」に存在するだろうか? 答えは明らかである。そもそも「日本考古学」のこうしたレベルの研究者に、発表者としてこうしたイベントへの参加を要請して、どれだけの人が出席してくれるだろうか?

内容については、文化を語る権利とか異種混淆論とか様々なことが論じられているが、要は「自文化中心主義批判ということ自体が本質主義的だ」といった自己批判をもって、「内旋化」「自傷行為」としているようである。
私は、まずテーマ自体に「自殺行為」といった擬人的な用語を選択したこと自体に違和感を覚えるし(まだ「自虐」の方がまし)、こうした批判の応酬を単に否定的に捉えるのではなく、そうしたプロセスを経た先に新たな展開を見るべき、経なければ見れないだろうと考える。内旋化という見方自体がえらく内旋化しているように思われる。
しかし、これもまたあくまでも一周ないし二周遅れている隣からの憶測に過ぎない。

いずれにせよ、これらが「日本考古学」よりも数歩先を行っている議論であることは確かである。それは彼の学問が欧米と同じ土俵(フィールド)で遣り取りされている、せざるを得ないという学問的性格に起因するであろうことも改めて確認できた。
なぜなら「私は太平洋をフィールドにしています」という限り、リネキンだろうとトーマスだろうとリンドストロームだろうとどんどん読まなければ話しにならない訳で、その点では南関東の加曽利E式土器について研究している外国人研究者はまずいないだろうから、そうしたたぐいの英語論文を読む必要もないこちらとは大違いである。

こうした些細な事情が積もり積もって、結果的に今に至る姿勢の違いとなっているのだろう。
それはこうしたイベントを開催しうる「日本文化人類学会」が、「日本考古学協会」よりも数段問題意識が高く、自由度が高いチャレンジ精神に満ちておりかつ遊び心も溢れているということであり、その点については大方の賛同が得られることだろう。
日本で「考古学バトル」が開催できるのは、いったいいつのことだろうか。


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