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五十嵐2016a「動向の動向」 [拙文自評]

五十嵐 2016a 「動向の動向 -「日本考古学」の枠組み-」『東邦考古』第40号、山岸良二先生退職記念号、東邦考古学研究会:208-216.

慣例に従い奥付に記された発行年月日の早い順に紹介する。実際は、本論が最新作なのだが。
本論の基本的な部分については、10年前の2006年6月に集中的に本ブログで公開した記事に基づいている。
そうした意味では、旧作なのだが。10年越しの課題をようやく果たし終えた、ということになる。

1.はじめに
2.動向の変遷
3.項目の欠落
4.時期区分
5.地域項目の細分化
6.内国への自閉化
7.北と南
8.おわりに

『考古学ジャーナル』誌における最初の「動向」は、1967年発行の「1966年の動向」である。
50年前の「日本考古学」は、どのような状況にあったのか?
1回目の動向が掲載された『考古学ジャーナル』第7号の巻頭言には、以下のような文言がみられる。
「例えば、旧石器の専門家が寺院跡の緊急発掘にあたることはまず常識では考えられないのであるが、実際にはそれに近いことが公然と行われている。」(編集部1967「発掘と破壊」『考古学ジャーナル』第7号:1.)
私を含め今の若い人たちには想像も出来ないであろうが、半世紀前の「日本考古学」では「旧石器の専門家は旧石器の遺跡だけを掘っていた」し、「寺院跡の専門家は寺院跡だけを掘っていた」のが「常識」だったのだ。
言い換えれば、そうした「贅沢」が許された時代だったとも言えよう。

そうした時代から、50年が経過した。
「動向」についても、「5時代5項目」の牧歌的な時代から、今や「7時代47項目」である。

「「ジャーナル動向」は、今後どのような動向を示していくのだろうか。現在の「7時代47項目」をこのまま維持していくのか、あるいは更に細分化を志向するのか、それとも逆に統合化の方向性を示すのか。いずれにせよ現在の細分化された「時代」と「地域」の枠組みの中で関連する発掘調査や研究集会そして文献を網羅するだけの文章では、それこそ「記録保存」といった意味以上の意義は見出し難いように思われる。すなわち誰がその項目を担当しても大きな違いのない同じような文章にしか成り得ず、そこに執筆した研究者としての個性や独自の見解を提示する余地は殆ど存在しなくなっている。」(215.)

「ジャーナル動向」は、まず時代で区分する「時代主義」を採用してきた。それが「協会年報」のまず地域(都道府県)で区分する「地域主義」との大きな違いでもあった。
ところが、時代主義でスタートしたはずの「ジャーナル動向」が地域細分を推し進めた結果、何と「地域主義」の「協会年報」と大きく異なることがなくなってきた、似たり寄ったりになってきた!
「ジャーナル動向」の各時代における地域別の項目を切り分けて地域ごとに再編すれば、「協会年報」の幾つかの都道府県動向を統合したものと区別がつかなくなってしまう!

これが、「第1考古学」の行きつく一つの姿である。

「…現在の「時代」と「地域」で細分された「ジャーナル動向」に代表される枠組みは、あらかじめあらゆる調査・研究がその枠内に収まるという大前提に立った論評形式であり、こうした枠内に収まらないような調査・研究群については、僅かに「総論」という全体項目における言及対象でしかないのである。「世界考古学」とまでは言わないが「日本考古学」についてさえも、こうした認識枠組みで本来論評すべき調査・研究を網羅できていると言えるだろうか。」(215.)

その時代の枠組みがその時代に生きる私たちの認識をも規定してしまう。 
いかにして、こうした枠から抜け出すことができるか。

もっと多くの旧石器時代に収まらない考古学研究を!
もっと多くの古墳時代の北陸地方に収まらない考古学研究を!
もっと多くの「時代」や「地域」に区分されない普遍的な考古学研究を!


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