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五十嵐2016c「緑川東問題」 [拙文自評]

五十嵐 2016c 「緑川東問題 -考古学的解釈の妥当性について-」『東京考古』第34号、東京考古談話会:1-17.

「2012年6月30日、多摩川中流域左岸からおよそ500mの青柳段丘面に位置する緑川東遺跡第27地点の「敷石遺構SV1」と名付けられた遺構の中央部から、4本の大形石棒が並んだ状態で確認された。
この発見は「これまでの石棒研究の「常識」を覆す」(清水2013d:101.)と評されたが、私もこうした事例は単に石棒研究に限られない「前代未聞」「百年に一度の大発見」と考える。だからこそ緑川東遺跡の4本の大形石棒をどのように評価し、その意味についてどのように解釈するのかという点について、様々な立場から多様な議論がなされることを望んでいる。本論は、そうした問題提起を目的とする一つの試論である。」(1.)

これからは、「6月30日」を「石棒の日」として提唱したいくらいである。
『東京考古』に投稿したのは、17年前の「旧石器資料報告の現状」(五十嵐1999『東京考古』第17号)以来である。
事ここに至るには、それなりの経緯があった。

2014a「縄文研究の地平」(研究集会)【2014-03-08】、2014b「緑川東遺跡」(考古誌批評)【2014-07-02】、2014c「大型石棒の謎に迫る」(研究集会)【2014-12-03】、2015a「落穂拾い」(論文時評)【2015-05-27】、2015b「石棒研究の現状」(考古記録)【2015-11-25】と本ブログを通じて継続的に「緑川東問題」を提起してきたが、何の反応もなく未だに孤立無援状態である。
原報告(遠藤・渋江2014、黒尾・渋江2014、長田2014a、和田2014a)を始め、特別展図録(長田2014b、和田2014b)、『多摩考古』(清水2015a、和田2015)、『考古学ジャーナル』(清水2015b、谷口2015)といった専門誌あるいは概説書(安孫子2015)といったことごとく全てが「敷石撤去」を前提とした「廃棄時設置説」である。その中で異質なのが、「置かれていない説」(山本2016)である。

そうした状況での「製作時設置説」の提出である。
正に前回記事で述べた「オープン・スペース」論そのままである。
さて、そのオープン・スペースへのパス、すなわち「様々な立場からの多様な議論」はなされるだろうか?

「過去の当事者たちの具体的な行為をモノや遺跡から読み取ること」(谷口 康浩 2015「大形石棒の残され方」『考古学ジャーナル』第678号:4.)という課題そのもの、すなわち「考古学的解釈の妥当性」が問われている訳である。

「…「部材的な<もの>の用法」として認識し得るかどうか、本事例に即して言えば敷石遺構SV1から出土した大形石棒を「本来的な石棒儀礼」が中断・終了した後の安置・廃棄された状態とみなすのか、それとも「本来的な石棒儀礼」の状態を維持したものとして解釈するのか、ということである。このことはひいては、この大形石棒が特殊な遺構の構築時に設置されたと解釈するのか、それとも通常の住居の廃棄時に設置されたと解釈するのか、両者どちらの解釈により妥当性があると考えるのかという前述の議論に繋がる問題である。どちらの立場に立つのか、それはあくまでも私たちの眼差し次第である。私の立場を言えば、どちらが正しいかということを明らかにすることよりも(もちろんそのことも重要であるが)、本来対立するはずの仮説があたかも存在しないかのごとくに流通している私たちの認識そのものに問題があると考える。「自らの眼差しを問う」という第2考古学的な意義が成立する所以である。」(14.)


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