So-net無料ブログ作成

「考古学研究史の新機軸」 [論文時評]

「考古学研究史の新機軸 -史資料は何を物語るか-」『考古学ジャーナル』第686号、2016年7月号

総論 歴史研究としての「考古学史」研究(星野 達雄):3-4.
政治史としての「考古学研究史」(星野 達雄):5-8.
社会経済史研究としての考古学史研究(森本 和男):9-12.
日本考古学史における近世と近代(平田 健):13-17.
「現地人」の視座(武井 則道):18-21.
世界考古学会議からみる「考古学史」(溝口 孝司):22-26.

通読して、第1論文から第5論文と第6論文との間に広がる隔たりといったものに思いを巡らさざるを得なかった。
それは、私がある特定の(すなわち偏った)視点でもって通読したからに他ならない。
すなわち日本の考古学の専門誌における特集として「考古学研究史」あるいは「考古学史」を採用した時に、「日本考古学」における文化財返還問題はどのように取り扱われるのか、言い換えれば「日本考古学研究史」あるいは「日本考古学史」において戦時期の半島・大陸における日本人考古学者の活動(すなわち侵略考古学)はどのように取り扱われているのか、という視点である。
こうした視点こそが、「新機軸」という言葉に相応しいのではないか。

そうした意味で、第1論文でも触れられている(星野:4.)京都木曜クラブの『考古学史研究』こそが「新機軸」であり、似たような名称の日本考古学史学会の『日本考古学史研究』とは大きく異なる点である。 

「根強く残る植民地主義的枠組みに対抗しながら、植民地主義の残した爪痕に対応する。学問的には、植民地主義下で歪められ、場合によっては疑似科学的に改ざん/捏造された固有の文化と歴史の再獲得と再構築。それからそのような過程の中で奪われた人々のアイデンティティの再獲得と再構築。それらのムーブメントを推進すること、また自らをそのような枠組みから解放することをWACは目標としている。」(溝口:23.)

日本など植民地主義国家が遂行した考古学的な爪痕こそが、文化財返還問題に他ならない。
「居住地考古学的方法」などヨーロッパにおける「政治史としての考古学研究史」は、語られる(星野:5-8.)。
北欧における貝塚研究については、語られる(武井:18-20.)
あるいはモールスと坪井正五郎については、語られる(平田:13-17.)
「存在感の乏しかった戦前の考古学」(森本:9.)というのは、本当だろうか?
たまたま最近戦時期に両帝国大学および東亜考古学会が出版した豪華報告書類を通読する機会があったのだが、あれらを手に取って観る限り、とても「存在感の乏しかった」とは言い得ないのではないだろうか。
「乏しい」と言い得るのも視点が国内(内地)に限られているからであり、植民地(外地)では実は「華やかだった」(梅原1947)のではないか?

「ここまでから明らかなように、考古学を巡る様々な案件への政治的な関与は「不可避」である。そして、そのことを自覚的に認識することにより、WAC創設以来、考古学が扱い得る、考古学がやっても良い、考古学に組み込んで良い、と認められる分野が格段に広がった。また、考古学という営みの政治性の認識の定着は、疑似科学を誘発する危険なバイアスに対する認識と、それを回避・脱構築するための取り組みも推し進めた。」(溝口:25.)

こうした文言を読むたびに、思い起こされるのは2010年の日本考古学協会6月理事会における議案第30号「過去の歴史的事実を研究することは可能であるが、様々な現代政治的問題が絡むこと」という文化財返還に関する問題提起に対する却下理由である。あるいは2013年の日本考古学協会4月理事会における議案第143号「国政レベルでの事案」だから総会の審議事項としては却下という認識である。
二十年も三十年も前の話しではない。数年前のことである。

「逆ギレせず、お互いの立場・言い分の偏りを反省しながら如何に対話を続けることが出来るか、そして、そのような対話の枠組み・雰囲気の構築を妨げる様々な要因(これはアイデンティティに関わるイデオロギー、バイアスや「科学万能主義」なども含む)、そのような要因そのものが、植民地主義が私たちに内面化させた、偏ったイデオロギー的常識に起因する場合も多いということも、我々は十分に意識しておかねばならない。」(溝口:25.)

十分に。
そう。
十分に。


nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

nice! 1

コメント 2

森本和男

私は、『考古学ジャーナル』第686号、2016年7月号、特集「考古学研究史の新機軸 -史資料は何を物語るか-」の執筆者の一人です。
正直言って、あたえられてテーマの「新機軸」がどういう意味なのか、漠然としていて分かりませんでした。旧い機軸、そして新しい機軸は何を指しているのか、議論や検討を深めなかった点を反省しています。

そもそも、考古学界・考古学者たちの間で学史の「新」と「旧」というと、遺跡・遺構の新発見があって、既存の見解・解釈が旧くなったという認識が一般的でしょう。
このような学史的認識を旧い機軸とするならば、新しい機軸とは、植民地主義や政治との関連性を考慮して、考古学の歴史を考察するということでしょうか。
新しい機軸として、まだ他にもいろいろなテーマが考えられると思います。

by 森本和男 (2016-07-07 05:58) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

コメント有難うございます。
私は「考古学史の新機軸」という言葉を見て、「ポストコロニアルな認識に基づく批判的な思考による日本考古学史の捉え直し」と考えました。当然その中には、戦前・戦時期の「日本考古学」を「乏しい」とするような「自分に都合のいい俗説を排する」ことも含まれます。こうした営みこそ「捏造された歴史の再構築」ということに該当するでしょう。 言い換えれば「自らの足元に広がる膨大で深遠な闇を見据える」ということです。このような試みを続けることでしか「日本考古学」の戦争責任に関するアカウンタビリティを果たすことはできないと考えています。
今後とも宜しくお願いいたします。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-07-07 12:10) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0