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赤星2015「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」 [論文時評]

赤星 純平 2015 「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」『駿台史学』第154号:147-182.

現在調査中のエリアからも「旧石器時代初頭における石斧」とされる資料が出土しているので、遅ればせながら読んでみたのだが……… 最初から最後まで分からないことだらけである。ここまで訳が分からない論文も珍しい。

国武1999「石材消費と石器製作、廃棄による遺跡の類別」という論文を読んで、その論文時評のようなもの(五十嵐2002「石器資料関係論」)を書き、エンゲルスの『反デューリング論』冒頭の一節を引用して本ブログで紹介したのが、もうかれこれ10年以上前のことである。
その時から、日本の旧石器研究は確実に劣化していることを確認した。

「では、正しく打製石斧が「石斧原形」で磨製石斧が「石斧完成品」であったかどうかを、石斧の平面形態、刃部角、打製石斧と磨製石斧の組成、遺存状態から検討していこう。」(161.)

従来は、刃部に研磨痕跡が認められない資料を「打製石斧」、認められる資料を「(局部)磨製石斧」と呼び分けてきたのだが、それが単一器種の製作段階の違いであるとする新たな見解の提出である。
本来ならば、それだけで十分に一つの論文となる重大な問題提起である。

平面形態については、10cm以上の大形品と以下の小形品が存在するとして、「石斧の外形比較」という輪郭をグリグリなぞった挿図を見せられるのだが、どう見ても連続的に推移しているようにしか見えない。
「打製石斧と磨製石斧のどちらも同じ傾向が見られる。すなわち、打製石斧と磨製石斧は、同一の製作工程の中で作られ、形態的なまとまりを有している。このことから打製石斧と磨製石斧は、形態的に「石斧原形」と「石斧完成品」に分類できる。」(161.)

もし仮に大形品と小形品に区分できるとして、そのことがどうして「同一の製作工程の中で作られ」ることになるのか、さらにそのことがどうして「形態的に」「原形」と「完成品」という製作工程の違いとして結論付けられるのか?

刃部角は打製石斧よりも磨製石斧の方が鋭角であるという。このことがどうして「製作技術上、打製石斧と磨製石斧は「石斧原形」と「石斧完成品」に分離できる」ことに結び付くのか?

以下、逐一論評をするのも憚られるが、磨製石斧の割合が半数以上であることや、打製石斧の破片率がおよそ6割であることが根拠となされているのだが、いったいどれだけの人がこうした立論に納得できるだろうか?

「ここまでの検討をまとめると、磨製石斧と打製石斧では、石斧の形態、組成の割合、依存状態から磨製石斧は「石斧完成品」であり、打製石斧は「石斧原形」であると位置づけられる。」(161.)

思い込みとしか考えられない。
以下、こうした記述に満ちている。

「再加工による器形の変化を見ていくと、再加工以前と以後では、元の器形よりも小形になることで共通している。」(166.)

リダクションを宿命とする石器資料において、再加工に限らず剥離を行なうことで「元の器形よりも小形になること」は当たり前ではないのか? こうした当然の事柄を、ことさら意味ありげに述べる意味は何か?

「遺跡における石斧の出土例を見ていくと、環状ブロック群において、異なるブロック間で破損品が接合している。破損品がブロックを別にして接合するということは、大形破損品を再加工するためにブロック間を移動し、持ち出している根拠となるだろう。」(171.)

集中部間接合の解釈は、本当に「移動し、持ち出している」という解釈だけなのだろうか?

末尾に6頁にわたって「関東地方の石斧出土遺跡一覧」という表が掲載されている。
それぞれの単位も不明なものが多く(例えば、「鈴木遺跡 住宅」という「遺跡名」はどの資料を指しているのか?)、手始めに手元にあった「武蔵国分寺関連武蔵台西地区遺跡」というのを東京都埋蔵文化財センター調査報告第149集(2004)で確かめてみたが、「完成品・小形(1)、破損品・大形(1)、破損石斧(3)、石斧総数(3)」という内容を確かめることができなかった。
「武蔵国分寺関連武蔵台西地区遺跡」で出土したとされる長さ10cm以下の磨製石斧は、どの報告書の何頁に掲載されているのか?
同じく「武蔵国分寺関連武蔵台遺跡」から出土したとされる「破損品・大形(3)」というのは、いったいどの資料を指しているのか?
(以下略)

参考文献でも欠かせない論考が数多く抜け落ちている。
杉原1953や1965を載せて、例えば須藤隆司2007「石斧革命」『旧石器研究』第3号を落とすというのは、どういうことだろうか?
そもそも「移動生活の復元的研究」という論題名を掲げながら、これまでなされてきた論及すべき数多くの関連研究(たとえば国武1999など)について一切言及がないというのはどういうことだろうか。
現在に至る経緯を一切欠落させて「再加工の工程連鎖」とか「遺跡間の連鎖」と言われても、納得できないのは当然であろう。

ある種の論文を提出した者には、当然そうした論文の内容に関する説明責任が生じる。
同時に、そうした論文の提出を承認して掲載した人びと(学術誌の編集者・査読者)にも、相応の責任が生じるであろう。
刊行された論文を読んで何も言わない(言わなかった)研究者たちにも、相応の責任が生じるであろう。


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