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藤山2013「“利器としての剥片”から考えるために」 [論文時評]

藤山 龍造 2013 「“利器としての剥片”から考えるために -その認識に向けて-」『駿台史学』第147号:203-225.

前回記事(赤星2015)の背景を探るために遡って辿り着いた論考である。

「以上のように、ここでは無加工の剥片が主力になっている。それらは確然たる目的によって区別されることなく、むしろ極めて多様な作業に向けられている。また、はじめから規格性を希求しておらず、その時々の作業に見合った剥片が”道具”になるという点で、我々が思い描く石器群とは大きく論理を異にしているわけである。こうした石器群を”型の論理”で処理しようとすれば、その本質は十分に認識されないことになるだろう。
このことは歴史上の石器群を取り扱ううえで極めて示唆に富んでいる。先史時代の石器群では、あらかじめ幾つかの器種が作り分けられ、それぞれの目的ごとに使い分けられる。我々はこのようなモデルを描きがちだが、上記の事例は暗黙の前提を大きく揺るがすことになる。器種の区別が不鮮明であるばかりか、ときには加工自体が欠如していることは、今後の方向性を模索するうえで大きな問いを落としている。」(210.)

「落としている」とされる「大きな問い」とは、何だろうか?
 誰が、いつ、どのような問いを「落としている」のだろうか?
「思い描く」とか「描きがち」とされる「我々」に、私たちも含まれているのだろうか?
以下の一文を噛み締めるべきである。

「一般に石器の形態が意味をもつとするならば、それはヒトが製作した形態であるからか、あるいはその形態がヒトの使用意図に適合し、実際に使われたからの2つの場合が考えられる。当然のことながら、ヒトが石器製作を行なう場合、機能を意図し、それに基づいて求める形態が技術を駆使して作りだされている。したがって石器を観察する時には、石器の作られ方(技術)とその使われ方(機能)の両方に留意しなければならない。石器の形態には製作時の技術が反映されていると考えて体系をたてようとするのが技術形態学であり、石器の形態にはその機能意図が反映していると考えて体系をたてようとするのが機能形態学である。」(山中 一郎1979「技術形態学と機能形態学」『考古学ジャーナル』第167号:13.)

「“利器としての剥片”を”落伍者”として排除」(206.)したり、「逸脱した難物として疎外」(207.)したり、「冷遇が正当化」(同)されたりしているように思われたとしても、それはあくまでも表面的なことがらに過ぎず、1979年以降の日本の旧石器研究者の心の奥底には「技術形態学と機能形態学」という認識枠組みがしっかりと根付いていたはずである。

誰が、どこで、「大きな問い」を「落として」しまったのだろうか。

「これまで繰り返してきたように、“利器としての剥片”には分析上の難点がある反面、定形石器だけでは捉えにくい先史社会の一断面を提供する可能性がある。あいにく、そうした無加工の剥片に正面から取り組んだ研究はほとんど見られない。それどころか、後述する幾つかの例を除けば、不定形な石器に対する取り組み自体が充分に進められていない。(中略)
以上の現実を踏まえるとき、今後の研究に必要とされるのは規則性を探求することばかりではあるまい。むしろ、それらが明確な“型”を指向しておらず、“不定形”である事実を重視しなくてはならない。もちろん、ことさら“不定形”を強調したところで、何らことは解決しないだろう。ここで優先すべきは、不定形石器を石器群全体のなかで評価してゆくことである。不定形石器と定形石器との関係性に注目する試みと言っても差し支えない。」(211.)」

本論では同じように「定形石器」と対比している“利器としての剥片”と「不定形石器」の相互関係は、どのようなものなのか。
両者は同じなのか、違うのか。違うとしたら、どこがどのように違うのか?
何度読んでも、判然としない。

「ここで言う不定形な石器とは、いままで「使用痕のある剥片」、「石器の疑いのある剥片」、「不定形石器」などと呼ばれていた、定形的な石器以外で、石器としての機能が考えられる全ての石片を包括したものである。」(大塚 真弘1971「いわゆる不定形な石器の検討」『古代文化』第23巻 第8号:193.)

「「不定形石器」という不思議な名称がある。「定形石器」以外の打製石器を指すという、ネガティブな定義内容をもつ術語であり、特に縄文時代の二次加工の施された一群の剥片石器に対して用いられてきた。(中略)その内容は、主に剥片を素材とし、その周縁の一部(まれに周縁全体)に調整加工が施されたもので、素材の形態も一定せず、二次加工にも特に一定形態を作り出す規則性が認められないものをいう。」(阿子島 香1984「不定形石器分析の視点」『文化』第47巻 第3・4号:24.)

筆者の「不定形石器」は大塚1971とは重なるようだが、阿子島1984とは差異があるようだ。
ここで注意しなくてはならないのは、大塚論文は1979年以前、阿子島論文は1979年以後という点である。
今少し丁寧な議論が必要ではないか。
「第5図 “利器としての剥片”をめぐる概念図」(214.)として、「剥片」「使用剥片」「微細剥離のある剥片」三者の相互関係がベン図として示されているが、筆者のいう「不定形石器」は、この概念図のどこにどのように位置するのだろうか?

「使用剥片は決してプリミティヴな道具ではない。ましてや定形石器と対置され、劣位に甘んずる存在でもない。それらは先史人類の一連の活動のなかで等しく残された資料である。たとえ無加工の剥片といえども、ときには定形石器に優るとも劣らない情報を秘めているはずである。煩雑さを理由に脇に追いやるのではなく、それらを進んで取り込んだ堅牢な研究を目指さなくてはならない。この意味では、今後の石器研究が問われていると言っても良い。」(221.)

「技術形態学と機能形態学は両者とも、原理的には成立するであろう。しかし両者の研究方法は、石材の割られた跡を追求する技術形態学と、残されたキズを追求する機能形態学とでは、それぞれ異なっている。方法の異なるものは2つの体系としてまとめるのがよい。この異質な手段で成立する2つの研究を混同することは避けねばならない。」(山中 一郎1979:167.)

37年前にこうした忠告を私たちに与えた故人は、本論をどのような思いで読まれるだろうか。
「劣位に甘ん」じたり「甘ん」じなかったり、「脇に追いや」ったり「進んで取り込んだ」りする以前に、「混同してはいけない」と述べているのだ。

私たちが目指すべき「堅牢な研究」とは、どのようなものなのか。
「この意味では、今後の石器研究が問われていると言っても良い。」
確かに。


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伊皿木蟻化(五十嵐彰)

なお第3図の写真、第4図の挿図については出典が明記されていませんが、著者が自ら撮影・作成されたのでしょうか? 
もし他者の論文からの引用であれば、許諾を得ているのでしょうか? 
こうした基本的なアカデミック・マナーについて、査読の際に何も意見はつかなかったのでしょうか? 
他人事ながら心配になります。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2016-08-03 17:50) 

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