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これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書(案) [総論]

北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会2016『これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書(案)』

「従来の研究者の取り組みには、開拓史観や適者生存・優勝劣敗的な古い社会進化論的発想が含まれ、植民地主義や同化政策の負の歴史につながるものが見られた。他者の文化を議論しているという意識が欠落し、アイヌの声を聞いてこなかった側面が多くあった。またアイヌへの研究成果の還元も十分なされてきたと言い難く、一部の研究においては、アイヌへの社会的偏見を助長する事例の存在を認めざるを得ない。
考古学では、アイヌの歴史を日本列島の一地方の問題として捉え、全国的な課題として、また隣接地域との関係から位置づける視点が欠け、人類学においてはアイヌが先住民であるか否か、アイヌと縄文時代人と関係があるかなどの研究が進んだが、両学会とも日本国における先住民族問題、民族差別問題との関わりを意識する視点が欠けていた。

とりわけ深刻な問題は、過去の研究目的の遺骨と副葬品の収集である。遺骨と副葬品の収集に際して、経緯について不明確なものや、アイヌへの趣旨の十分な事前説明と発掘行為への同意取得がなされず、今日の研究倫理の観点からのみならず発掘当時でも盗掘との判断を免れ得ないような記録が残されている。また、戦前のアイヌの遺骨収集を目的とした墓の発掘調査では、詳細な記録保存がなされておらず、時代性や文化的特性についての情報が欠落している。そのため現在の研究水準から見て、学術資料としての価値が大きく損なわれた。学術界や研究者は、収集経緯について可能な限り明らかにすべきであり、アイヌを含む社会に対して説明する義務がある。
さらに発掘後の遺骨と副葬品の保管状況については、人の死と関わる深刻かつ繊細な問題である点が十分に配慮されずに、必ずしも誠意ある対応がなされてこなかった。このことについて研究者は深く反省し、今日社会的に批判される状況にあることをしっかりと受けとめるべきである。
上記のようなこれまでのアイヌの遺骨と副葬品について行なわれてきた調査研究や保管管理の抱える課題について、学術界と個々の研究者は人権の考え方や先住民族の権利に関する議論や国際的な動向に関心を払い、その趣旨を十分に理解する努力が足りなかったことを反省し、批判を真摯に受けとめ、誠実に行動していくべきである。今後、研究者には、研究の目的と手法をアイヌに対して事前に適正に伝えた上で、記録を披瀝するとともに、自ら検証していくことが求められる。学術界と個々の研究者は、このような検証なくして、自らの研究の意義や正当性を主張する根拠が希薄となることを自覚しなければならない。」(3-4.)

ようやくここまで…
40年前に提起された「批判を真摯に受けとめ、誠実に行動して」いたら、「日本考古学協会」も粉砕されることはなかったであろう。

「アイヌ問題をさけて通ろうとした日本考古学協会は粉砕される。
1975年10月9,10日、札幌市経済センタービルで開催された日本考古学協会(委員長、乙益重隆国学院大学教授)の50年度大会は、「アイヌ問題を故意に欠落させた大会は中止せよ」と叫ぶ全国考古学闘争委連合によって、1日目の大会と2日目の午前中の大会は、演壇占拠によって事実上”粉砕”されたのであった。
全国考古学闘争委員会連合機関誌から引用すると、
「『北海道の長い歴史の中で、大自然と闘い抜いて生き続けてきたのはアイヌだった』とアイヌ人が、高らかに宣言するのを何人も否定し得ない。そして北海道考古学界にとって『アイヌ問題』が避けて通ることのできない課題であることも明白である。私たちは北海道大会において『アイヌ問題』が研究至上主義的なレベルで取り扱われることを危惧している。又、逆に故意に避けて通ることを危惧する。」
と、このように若い考古学研究者によって内部から、日本考古学が告発されたのである。」(結城 庄司1980『アイヌ宣言』三一書房:33.)

「日本考古学」も「全国的な課題として、また隣接地域との関係から位置づける視点」が求められている。

「アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会」結成趣旨 初代会長 故新谷 幸吉(会長 山本 一昭)
74年間続いた共産党独裁体制によるソ連邦が崩壊し、民主化が急速に進む中、私たちアイヌ民族を抜きにして今、「北方領土」問題が日ロ間で論議されている。
「四島返還」「二島返還」「段階的返還」など様々に取りざたされる北方領土のクナシリ、エトロフ、ハボマイ、シコタンは、いずれもアイヌ民族が先住していたアイヌ・モシリ(人間の大地)である。この島々の名がアイヌ語であることが、その何よりの証であり、クナシリは「黒い島」、エトロフは「岬の多い島」、ハボマイは「母なる所」、シコタンは「本当の村」を意味する。私たちアイヌ民族の祖先は、これら北方諸島に何千年も前から住み、「国境」という概念に縛られることなく自由に往来し、豊かな自然環境の下で狩猟・漁労などをしながら平和に暮らしてきた。
そこへ、17-18世紀に日本とロシアが南北双方から侵略してきたのである。強大な武力を背景に、日本はアイヌ民族の生活と権利を略奪して北上する一方、ロシアは南下政策を取りながら、領土の拡大を図ってきた。両国家の侵略の狭間で、アイヌ民族は長い間苦しめられてきた。
1789年には、クナシリ・アイヌとメナシ(道東)・アイヌが連帯して松前藩の搾取に抗議し、蜂起した(ノツカマップの戦い)経緯もある。
ロシアと日本は1875年、樺太千島交換条約をアイヌ民族不在のまま結び、樺太をロシア領とする代わり、ウルップ島以北18の島を日本領とした。そのために樺太アイヌが強制移住させられ、多数の犠牲者がでた。
こうした両国の一方的利害に翻弄されてきた私たちの祖先は、権利と収奪と忍従を余儀なくされ、北方諸島への自由往来も厳しく制限されてきたのである。
しかし、アイヌ民族のエカシ(長老)、フチ(おばあさま)から自然観や文化、伝統を学び続け、少数民族にされようとも、今も誇り高く生き続けている。
世界は過去の冷戦構造に終止符を打ち、宇宙規模で平和を希求する「国境なき時代」に入りつつある。その中で、再び「北方領土返還」に名を借りたアイヌ民族無視のアイヌ・モシリ略奪を私たちは座視することはできない。
私たちは、歴史的にアイヌ民族の領土である北方の全島々の領有権を主張し、アイヌ・モシリとしての自治区を取り戻すことを世界に向かって宣言し、運動を展開する。」(アイヌ・モシリの自治区を取り戻す会編1992『アイヌ・モシリ -アイヌ民族から見た「北方領土返還」交渉-』お茶の水書房:326-327.)

日本考古学協会が直面する返還問題は、アイヌ人骨に伴う副葬品だけではない。
半島・大陸由来の文化財については、未だに2013年4月の「議案第143号」で示された「国政レベルでの事案である」から検討対象とはしないとする議決が効力を有している。
いつまでもこうした姿勢を維持すれば、「自らの研究の意義や正当性を主張する根拠が希薄となることを自覚しなければならない。」


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