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下原・富士見町遺跡Ⅲ(2) [考古誌批評]

東京都三鷹市・調布市 下原・富士見町遺跡Ⅲ 後期旧石器時代の発掘調査(2) 石器接合資料とその分布 2004~07年度明治大学附属明治高等学校・明治中学校新校舎建設予定地における埋蔵文化財発掘調査報告、明治大学校地内遺跡調査団調査研究報告書6、明治大学校地内遺跡調査団編、学校法人 明治大学 2016.7

日本全国の旧石器研究者が注視していた10年以上に及ぶビッグ・プロジェクトの最終成果品である。

「個体類型、MB、MC、MFの最初の1桁のMは個体を表しており、2番目のB、C、Fはそれぞれ折れ、石核、剥片の意味である。よって、MBは折れ・折り接合のみによって接合している個体を表している。MCは接合個体の中に石核を含む接合個体を表し、MFは剝離接合のみで、石核を含まない接合を表している。」(鈴木:15.)

そもそも、といった事柄から論じなければならない。

「「割る」という行為と、「割る」ことによって生じる「(剥片)剝離(剝離面)」(removal)という現象(痕跡)が区別される。こうした1回の打ち割り動作によって生成される石器資料(主に剥片および石核)を「石器単位」とする。(中略)
「折る」という行為についても、「折る」ことによって生じる「折損(折損面)」(breakage)という現象(痕跡)を区別する必要がある。打ち割りによって生じた「石器単位」に対して、その「石器単位」が「折れる」ないしは「折る」ことによって分割された破片(fragment)を「石器要素」とする。」(五十嵐2002「旧石器資料関係論」『研究論集』第19号:35.一部改変)

提示された「MB」・「MC」・「MF」という接合個体類型は、同等の、すなわち同じレベルの類型といえるのだろうか?
折損面での接合(私の「2類接合」)に対応するのは、剝離面での接合(私の「1類接合」)だけなのではないか?
どうしても剝離面接合個体において、石核が含まれるか含まれないかを識別したいのならば、階層を一つ落とした区分、亜類型としなければならないのではないか?
そもそもなぜ、それほど石核が含まれるか含まれないかにこだわるのだろうか?
ここから、ぼんやりと「砂川神話」が透けて見えてくる。

「…実際、接合関係を空間分布に落としてみたところ、集中部の垂直分布(垂直区分帯)を越えた接合関係があまりにも多くみられ、その関係を整理することは容易ではなく、よって、いわゆる母岩の単位を抽出することも難しいことが判明したのである。こうした母岩分類分析が持つ問題についてはかねてより指摘はされていたが(五十嵐2002、1992)、実際の石器群の報告に際してどのように表現するかについては一定の了解を得ている方式はこれまで存在しない。
そこで、接合作業の上では母岩と同じ意味合いで石材を分類した単位を「石質細分」という用語で扱うことにした。「石質細分」という用語を用いたのは、石材を石質によって分類したという意味と、石材の下位に主として原産地などが推定できる特徴的な「石質細分」を中心に複数の「石質細分」を単位をまとめた「石質」という階層を設けたことによる。
ただし、この「石質」という階層がすべて同一のレベルに位置づけられるものというわけではない。むしろ、いくつかの特徴的な「石質」を抽出できるようにするためであった。」(鈴木:4.)

新たな概念、新たなシステムを作り出した経緯が述べられている文章だが、もって回った表現となっており、意味がストレートに把握しにくい。
石材―石質―石質細分という3つの階層は、全体―部分という包含関係にあると理解される。例えば、黒曜石という「石材」の中に「透明」とか「不透明」といった「石質」があり、透明な石質をさらに「黒い縞」とか「黒線」とか「黒色」とかに細分した「石質細分」があるというように。
しかし石材と石質と石質細分の区分コードは、全く連動していない。石質細分のコードは「石材別、石質・石質細分とその特徴」という表(5~14頁)で延々と記載されているが、そのコード付けに何の脈絡もない。また石材のコードは刊行物の何処を捜しても見当たらず、付録のDVDに納められているのみで、その番号もどのような脈絡で付されているのか理解が困難である(例えば黒曜石(10)、安山岩(21)、凝灰岩(22)、ホルンフェルス(23)、砂岩(24)、トロトロ石(26)、チャート(31)など)。石質に至っては、コードすら存在しないという(担当者の御教示による)。
これは、いったいどうしたことだろう。
石器資料の記載法について、「一定の了解を得ている方式はこれまで存在しない」といったレベルの話しではないだろう。
例えば「黒曜石」という「石材」の透明の「石質」の灰色・霜降り状の模様がある「石質細分」を「1-1-1」と表記することがなぜできないのだろうか(私はそもそも黒曜岩という石材の非接合資料をこのように細分することができるという考え方自体に懐疑的であるが)。

膨大な資料に翻弄されたとか、余りにも長期間の整理作業で引き継ぎ作業がうまくいかなかったとか、後述するように最後のまとめの段階で破綻をきたしたとか、いろいろな事情はあるだろうが、こうした基礎的なシステムを構築するのは物事に取り掛かる際の最初になされる作業のはずである。

引用文の持って回った表現と提示された実態の紙背を読み解くと、どうやらはじめに何も考えずに所謂「母岩」ごとの分類作業が進行しており、それにとにかく番号を付けていった。そのため「石質細分番号」というのはランダムで、石質ごとどころか石材ごとですらなくなってしまった。これではいけないと軌道修正を試みて、最終段階で石質という当然あるべき階層を設定したのだが、結局全体を体系的に再構築するには至らず、中途半端に終わってしまった、すなわち「母岩識別」という呪縛から最後まで脱け出ることができなかった、ということだろうか。恐ろしい話しである。

延々と記載される「石質細分とその特徴」という表を眺めていると、そうした様々なドラマやら葛藤が浮かび上がってきて、何とも言えない気分になる。そしてここにも「砂川神話」という亡霊が見え隠れしているようである。

本書(Ⅲ(2))では、1冊丸ごとが石器接合の記載に費やされている。
しかし礫接合については、Ⅲ(1)で全体図に垂直区分帯ごとの結線図が示されるのみである(35-58.)。
恐らく「礫接合編」として削減の憂き目にあった1分冊分が当てられていたのであろう。
残念なことに、今回の最終刊行物では礫資料の総接合個体数すら記載されていない(担当者の御教示によれば、3,164個体とのこと、これは単独の調査成果としては日本最多ではないだろうか)。詳細を知るには、読者自らが付録DVDの属性一覧を集計する作業に委ねられている。

いったいこれだけの成果を得るために投入されたコスト・労働時間・エネルギーはどれほどだったであろうか。ある種の悲しさを通り越して、茫然としてしまう。「日本考古学」のある側面を確実に表している事柄であろう。
語られていない膨大な語りが語られないままになっている。

「その後、調査研究員の補充がままならない中、2015年の9月を迎えて再度の見直しが必要となり、2016年の4月に5分冊を3分冊にする最終決定を下したのである。併せて、『下原・富士見町遺跡Ⅳ』の刊行も見送りとなった。」(Ⅲ(1)安蒜:3.)

当初の7分冊+1冊計画が2015年3月には5分冊+1冊に縮小され、最後には3分冊にまで切り詰められることとなった。
最終的な決断が下された2016年4月には実務を担うべき調査研究員は既に一人も在籍しておらず、その時点で編集主体である「明治大学校地内遺跡調査団」の構成員として存在が確認できるのは、調査団長と副団長のお二人のみである。


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