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境<遺跡>問題 [遺跡問題]

富山県朝日町の翡翠や蛇紋岩を用いた石器の製作工程を明らかにした「境遺跡」ではない。
正確には「行政境界を含むあるいは接する<遺跡>問題」となろうか。
第2考古学の主要な部分を占める<遺跡>問題の一分野である。

私の数少ない発掘調査経験の中でも、そうした事柄に接触したことが2度ほどあった。
であるからして、全ての「遺跡」と称されている「包蔵地」における境<遺跡>の占める割合は1割(10%)とまではいかなくても、1分(1%)ぐらいは占めているのではないだろうか?

1度目は、『西東京市 下柳沢遺跡 第5次調査』(2004年)東京都埋蔵文化財センター調査報告 第150集である。石神井川の中流域にあたる富士見池の西方で石神井川を横断する道路部分における配水本管工事に伴う調査であった。道路の中央に区-市境界(東側:練馬区、西側:西東京市)が引かれ、幅1m余りの工事範囲は道路中央から西側に寄っていたために西東京市の「下柳沢遺跡」として調査された。しかし同じ道路の東寄りには水道管と並走して下水管が通っており、その埋設に伴う調査では「練馬区富士見池西方遺跡」(1987)として行われていたのである。すなわち同じ遺構のあるいは同じ遺物集中部の西側半分は「西東京市下柳沢遺跡」に、東半分は「練馬区富士見池西方遺跡」に属するという状態を目の当たりにしたのであった。同じ遺物集中部内接合が同時に遺跡間接合でもありうるという摩訶不思議な状態である。これは衝撃的であった。

2度目は、『府中市 朝日町神明台遺跡』(2013年)東京都埋蔵文化財センター調査報告 第277集である。立川段丘面上の調布基地跡地における機動隊庁舎新築工事に伴う調査であった。調査範囲の97%は府中市の朝日町神明台遺跡(F35)に、わずか3%が調布市の飛田給北遺跡(C50)に属するということで、関係者の協議を経て全て「府中市朝日町神明台遺跡」として調査・報告することとなった。そもそもこの「飛田給北遺跡」自体が府中市(F21)と調布市(C50)にまたがる「境<遺跡>」なのであった。

本来ならば、この「飛田給北遺跡」のように同一の<遺跡>ならば位置する行政体が異なろうと同一名称を採用するのが理にかなっていると言えよう。しかし実際には、中々そう簡単に話しは進まない。
例えば、あの「下原・富士見町遺跡」である。三鷹市側は「下原遺跡」(M15)、調布市側は「富士見町遺跡」(C64)とされて、報告は両者を合わせた遺跡名称がナカグロでつないで採用されたわけである。

こうした簡単な回顧からも、「境<遺跡>」には幾つかのパターンがあることが分かる。
1「境<遺跡>」については、異なる行政体に属する別々の<遺跡>として押し通す。本来ならば一続きの<遺跡>であるが、異なる行政体に属するため異なる<遺跡>として扱われる。行政的な手法としては理解できなくもないが、考古学的には全くナンセンスである。【下柳沢ー富士見池西方パターン】
2.どちらかの<遺跡>によって代表させる。行政境界によって分割される割合が極端な場合に採用され勝ちなのではと想定される。【朝日町神明台パターン】
3.異なる行政体でも同一の<遺跡>は同一の名称とする。学問的にも一般社会的にも理解しやすいだろう。【飛田給北パターン】
4.異なる行政体で採用された異なる<遺跡名称>を便宜的に連ねて呼称する。連ねた適用範囲は何処までなのか、関連する全ての場合に連ねるのか、調査範囲に行政境界が含まれる場合だけなのか等々、派生する問題は数多い。【下原-富士見町パターン】

他にも様々なパターンがあることだろう。しかしこうした問題を討議し、何とか解決に向けた努力がなされたといった風聞に接したことがない。それぞれ遭遇した担当者が場当たり的に対処しているのが実態ではないだろうか?
文化庁や日本遺跡学会では、このような事態に関する問題意識は存在するのだろうか?

<遺跡>と「包蔵地」のもつれた糸を解きほぐしていかないと、境<遺跡>問題解決の糸口は見出せないように思われる。


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