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考古累重論(承前・解題) [総論]

1. 起点において既に問題の根幹が示されている。すなわち「一括性」に関わる文章において、遺物製作時間(同時代に作られた)と遺物廃棄時間(同時に埋められた)の違いが明瞭に示されている。

2. 「上下の位置関係が、時間的な前後関係に置き換えられる」という原理が述べられるが、繰り返される「残された」という用語から、この文章における「時間的な前後関係」とは、すなわち「遺物廃棄時間」の意であることも明らかである。

3. 1969年に土器型式には「製作の同時性」と「廃棄の同時性」という異なる時間認識があるとの提言がなされ(鈴木1969)、1973年に包含される遺物(≒型式)と包含する層(≒層位)の前後関係を区別すべきとの提言がなされ(林1973)、1970年代から80年代の「日本考古学」では、こうした認識が広く共有されていたことを窺うことができる文章である。

4. 型式は製作時間に、層位は廃棄時間に関わり「両者は全く異なる範疇に属する」ことが明確に述べられた点で、決定的に重要な意義を持つ文章である。このことは2000年に出版された『考古学の方法』という一般書籍でも述べられている(30頁)。

5~8. ところが90年代になると、上層の(に堆積した)ものが下層の(に堆積した)ものよりも新しいという「地層累重の法則」を注釈なしに「遺物・遺構などの新旧関係を決定する」と結びつけるようになってしまう。読む私たちは、問わなければならない。いったい「遺物・遺構の(何の)新旧関係」なのか、と。「製作時間の新旧関係」なのか、それとも「廃棄時間の新旧関係」なのか。

9. そうした中で、鈴木(保)2002は、製作時間と廃棄時間の違いを明瞭に認識している点で突出している。

10. 一方で相変わらず限定なしに「下の遺物が古く、上の遺物が新しい」のは「当然」とする論説も見られる。本当に「当然」なのか?

11. こうした現状を憂慮して、2006年に鈴木(公)1969と林1973に着目して、遺物(<もの>)と層(<場>)の相互関係を「鈴木-林テーゼ」と名付けて、大方の注意を喚起した。

12. ところが、こうした提言も受け止められることなく、相変わらず「出土「面」の把握」や「出土地点の総合的な検証」といった曖昧なことのみが述べられている。

13. あるいは説明されるのは、江戸時代や弥生時代・縄文時代といった大枠に関わる事柄のみである。同じことが、例えば縄紋時代の中期加曾利E3の12a期と12b期に属する土器についても、言いうるだろうか?

14. あるいは事柄を石器文化(インダストリー)に置き換えても同様である。1類接合の石器資料、すなわち最初に剥がされた剥片と次に剥がされた剥片の双方についても、言いうるのだろうか?

15. 「地層累重の法則」を考古資料に適用する際に「留意しなければならない点」は、単層内のラミナには適用できないことと二次的に変形した地層には適用できないといったことだけではないはずである。
こうした状況の中、2011年に「遺構時間と遺物時間の相互関係」と題して、改めて「鈴木-林テーゼ」の重要性について述べたが、そのことに対する応答は今に至るまで確認できない。

16~18. そして相変わらず「上層のものは下層のものよりも新しい」といった曖昧な説明が繰り返されている。「上層のもの」の「もの」とは、「層」なのか、それとも「遺物」なのか? 「新しい」とか「古い」と言われるのは、埋没した時間(廃棄時間)なのか、それとも作られ使われた時間(製作時間)なのか? 何度読み直してみても、判然としない。判然としない文章が繰り返し述べられており、それを読む私たちはその曖昧さを繰り返し受け入れている。

19. ついには小学生に対して「上の遺物は、下の遺物よりも新しい」と断言されることになる。留保条件なしに。

20. さて2017年は、どのような展開を見せるだろうか?

*ある人は、遺物の製作順序と廃棄順序が対応しない場合、すなわち「並行しない場合」について「他地点に一括廃棄されたものが、そこから徐々に流れ込んできたものであり、住居址の竪穴に直接廃棄されたものではない」という「流れ込み(二次堆積)仮説」を示している(小杉1989「日影山遺跡における石器経営の解明に向けて」『真光寺・広袴遺跡群Ⅳ』:381.)
もちろんそうした場合も有り得るだろうが、はたしてそれだけと断定できるだろうか?

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