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岡本2017「縄文の原則」 [論文時評]

岡本 孝之 2017 「縄文の原則」『郵政考古紀要』第67号(通巻76冊)、大阪・郵政考古学会:1-15.

「縄文を誤解する風潮はずっと続いている。九州有文土器文化や西日本無文土器文化を縄文視するなど、なんでもかんでも縄文とするのは、日本国の領土と一致させる以外に理由はない。地域性をキーワードとして違いを理解することは、前提としての日本国の領域があってその辻褄を合わせているだけのことである。弥生の東西の差異を地域性とする指摘も同じで、できるだけ広い領域を取りたいだけのことであり、真摯に縄文・弥生を考察したものではない。強調される多様性、地域性という指摘はことばの罠である。」(10.)

ということで、「縄文の原則」(2.)として以下の9ヶ条が示される。
1.縄文の理想 原始(縄文)は、民主、平等、共産の社会であること
2.古代の否定 原始(縄文)は、古代(弥生)に否定される
3.弥生への疑問 古代(弥生)以降の支配隷属関係(階級制)を疑うこと、文明を疑うことである
4.戦争の廃絶 戦争は文明であり、その廃絶は原始(縄文)の立場からしか達成できない
5.縄文の発見 近代考古学は、原始(縄文)を発見した
6.考古学の意義 考古学は原始、古代、近代の全歴史を総括できる唯一の科学である
7.近代は未完成 近代は、未完成であり、原始(縄文)像もまた、未完成である
8.近代の否定 未完成の近代は、原始(縄文)を受け入れず、誤解し、無視するだけでなく、考古学においては弥生に発展するとして縄文の理想を否定する
9.縄文の復権 原始(縄文)の世界観にたつこと

「縄文の理想」とか「復権」といっても、巷で流行る「それら」とは全くベクトルというか方向性というか360°以上の隔たりがある。だからこそ… いや、改めて考えてみると、案外同じ部分があるのかも知れない。

「私は、弥生になることを否定する。縄文から弥生へと発展、変化したことについて異議を唱える。弥生の否定を甘受しない。そこから考えるべきとする。弥生が縄文を否定する運動性を否定する。弥生の縄文否定の歴史を明からかにすることによって、今日の全ての問題の解決を見い出したいと考えている。」(5.)

40年以上前に提出された「所信」と殆どブレがないことを確認する。多くの方が、年を経て齢を増し加えるに従って「丸く」なるのとは異なり、未だに「とんがったまま」というのは驚異的だし心強い限りである。解決すべき「問題の全て」というところに、縄文に対する思い入れの強さを感じざるを得ない。

「平等自由民主共産の社会を否定して、人が支配する社会へ変化することを発展とみなしてきたこれまでの考古学の成果を疑う。人が人を支配するという生物界にはない仕組みを生み出した人間は、歪みを合わせ待つことになった。この歪みは歴史にさまざまな問題を提示してきた。それを糺すには征服史の逆を構想しなければならない。それは縄文が基礎、基準となるのである。縄文にはない弥生以降の支配隷属関係の打破である。人間だけが人間同士を支配隷属関係に導いている。これを悪とする。根源的な悪であるゆえに打破の対象となる。天皇制は廃止される。天皇は支配・被支配関係の象徴的存在であるから、究極のテーマとなる。天皇の呪術は、縄文の呪術と敵対しているゆえに解体される。王制(天皇制)の廃棄である。」(8.)

すこしマンネリ化が危惧される「縄文ZINE編集部」には、是非著者と藤岡みなみ氏との対談を企画・実現して縄文界?に新たな風(突風?)を巻き起こして欲しい。

「新しい世界への道筋はまだ明らかではないが、縄文を知ることによって初めて獲得できるものであることは確かであろう。問題の解決は縄文にある。それは弥生人とその継承者を震撼せしめることになろう。」(9.)

発展史観に対する否、すなわち「縄文革命」である。
以下は、そうした革命思想に共鳴する文章。

「出会い、発見、大規模なストライキ運動、地震。これらすべての出来事は、世界におけるわれわれのあり方に変更をせまり、真実を生み出す。逆に、現状確認はわれわれの関心を引かず、われわれを変化させず、なんの責任も負わない。現状確認にとどまるものは真実の名に値しない。それぞれの振舞い、実践、関係、状況といったものの背後にはなんらかの真実が隠されている。真実を回避し、管理することが習慣となり、それが多くの人びとをこの時代に特徴的な迷走へと至らせている。だが、じっさいにはあらゆる事柄があらゆる事柄に関わっている。嘘にまみれて生きていると感じること、これもまたひとつの真実だ。重要なのはその感覚を手放さないこと、まさにその感覚から始めることである。真実とは、世界についてのなんらかの見解ではなく、われわれを世界にしっかりと結びつけるもののことだ。真実とは、われわれが所有する何かではなく、われわれを支えるものである。真実は、私を作り、私を解体する。私を構成するとともに、私から個人という位格を剥奪する。私を大勢の者から遠ざけると同時に、真実を知る人びとと結びつける。真実にこだわって孤立する者は、自分に似た仲間と運命的な出会いを遂げる。じっさい、蜂起のプロセスが開始されるのは、譲歩することのできない真実からである。」(不可視委員会2010『来るべき蜂起』:99-100.)


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ましこ

当方は、たとえば縄文時代という時空に、原始共産制といったユートピア的な空間をみいだしたりすることは、今後もないとおもいます。

ただし、いわゆる日本人の縄文時代イメージ、縄文文化論の政治性については、以前から危険視してまいりました。
たとえば、もう15年もまえの著作ですが、『日本人という自画像』という論集で、「「縄文人=原日本人」イメージの浮上や稲作文化論の洗練化」といった問題提起をして、アイヌ民族や琉球列島への帝国支配の合理化と、人種主義が現代も清算されたわけではないことを指摘してまいりました。
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/100.htm

学位論文をもとにした『イデオロギーとしての「日本」』や、10年ちかくまえに発表した『幻想としての人種/民族/国民』なども、縄文論こそ展開していないものの、現代日本人の共時的地理感覚と、自明視された日本通史と形質人類学や考古学等が、「国家のイデオロギー装置」として機能しつづけてきたこと、そのことを相対化する機会を公教育がまったくあたえていない点を批判している点では、通底しています。
by ましこ (2017-08-17 23:00) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

有難うございます。「たとえばヤマト王権の成立起源を確定するといった作業自体無意味という世界史的普遍性がある」と言われても、殆どの日本人考古学者は、ピンときていないというか、訳分かってないのではないかと愚考します。次作では、この辺りについてもご意見うかがえればと希望しています。今後とも宜しくお願いいたします。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2017-08-18 08:33) 

ましこ

昨日は 誤操作で二重投稿になってしまいました。もうしわけありません。

考古学はもちろん、王権成立史についても、単なるしろうとにすぎませんが、確実にいえることは、政治学が自明視してきた国土/国民/政府という国家の3要素について、不変不動の空間など皆無という現実。政府の法的連続性はともかくかならず政権はかわるし、国土・国民にもかならず変動があります。
では、生命体になぞらえて、新陳代謝等をへても同一である(時空上=境界線内の連続性がある)と主張しうる根拠はなにかです。すくなくとも、「国境」「国民」の境界線を一義的に決定することは不可能です。現実問題として「当座のとりきめ」にすぎませんから。

(西欧的な)近代史学は、(科学性をいくら主張しようが)そういった国家的同一性を学問的に根拠づけるための御用学問として成立しましたし、考古学は形質人類学などとともに、一国史学の「最古層」を文献以外の遺物・遺跡によって、したざさえしようという学問体系とみえます。
欧米の史学は、ギリシア・ローマ、あるいはオリエントに起源をもとめるといったアクロバティックな論理をもちいて連続性をうたうでしょうが、おおくの国は、数世紀まえに「△△王国」が成立した、それと かくかくしかじかの連続性をもっている、といった、かなり脆弱な「根拠」しかだせませんが。

拙著『幻想としての人種/民族/国民』は、こういった通史をもって、国家を学問的にいくら科学主義的な根拠づけようとしても、そもそも砂上の楼閣なのだ、という問題提起を一般読者むけにといたものです(かくれた読者層として、地歴科教員や史学周辺の研究者も想定)。
近代日本にかぎらず、世界中の地歴科教育がかかえこんでいる無自覚な病理だとおもわれますが。
http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/224.htm


言語研究や社会学調査の政治性については、うむことなく社会学的解析をくりかえしてまいりました。
つぎは学校教育やメディアに発信される歴史的知識の配給もととしての史学界にメスをいれねばなりません。
ただし、当方が実証史家ではないために、史学者のみなさんは、黙殺されるとおもいます。かねもちケンカせずでしょうから。
個人的には、古代王権論などには、まったく関心がもてませんので、国家アイデンティティーに拘泥される層むけに、戦争責任・植民地清算問題をとりあげ、俎上していく方針です。その際、「返還考古学」は、非常に親和性のたかい方向性だと確信しております。
今後とも、ご教示たまわりますよう、おねがいいたします。

超長文失礼いたしました。
by ましこ (2017-08-18 17:15) 

伊皿木蟻化(五十嵐彰)

もう20年も前に帰省した際に近畿圏のとある小さな書店で偶然手にした『イデオロギーとしての「日本」』、衝撃を受けつつ様々な書き込みをしながら読了したことを思い出します。何よりも「…反論があればうけてたちたい」(24.)といった姿勢を学びました。また「教科書を教えるのではなく、教科書で問題が提起できるように」(247.)といったことにも。
by 伊皿木蟻化(五十嵐彰) (2017-08-19 13:00) 

ましこ・ひでのり

過分のおことば、恐縮です。

なお、前便でかきおとしましたが、いわゆるダークツーリズムの教育効果などもふくめ、特に近代考古学の意義はたかいとおもっております。
たとえば松代大本営など有名な遺跡・遺構はもちろん、マッドサイエンティスト集団(731部隊etc.)や軍組織、企業等が証拠隠滅に失敗した残骸などが発掘されることがあれば、史資料はもちろん、オーラルヒストリーになんくせをつけてきた右派勢力などを沈黙させるはずだからです。
不毛な教科書論争をおわらせ、メディア・作品で反復される偽史を封ずる証拠にもなるはずです。
今後も、職務に埋没することなく、貴ブログほか、今後も勉強させていただきます。
by ましこ・ひでのり (2017-08-20 14:22) 

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