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石棒研究の現状あるいは考古学的解釈の妥当性について [考古記録]

「石棒の出土範囲からは敷石が認められないこと、石棒の下面半部が埋まっていることから、住居として使用した後に、当該部分の敷石を剥いで浅い掘り込みを設けた後に石棒を設置したことが推測されている。」(清水 周2015「大形石棒の出土状況 -東京都緑川東遺跡の事例-」『考古学ジャーナル』第678号、特集 縄文時代の大形石棒:19. *【2015-05-27】で引用した「緑川東遺跡と四本の大型石棒」『多摩考古』第45号:20.とほぼ同じ文章である。というより、論文全体がほぼそのままの引き写しである。)

「当該部分(石棒の出土範囲)の敷石を剥い」だ、という解釈の根拠として、「石棒の出土範囲からは敷石が認められないこと」、「石棒の下面半部が埋まっていること」の2点が挙げられている。
しかし石棒が出土した範囲(石棒の出土範囲)は、当然のことながら石棒が出土しており、敷石は存在し得ない。当たり前である。敷石は、石棒が存在していない範囲に存在している。
そして石棒の下面半部が埋まっている(敷石面から浅い掘り込みを設けた)という事象が、どのような論証を経れば「当該部分の敷石を剥い」だということになるのか、理解不能である。

「清水周の報告する東京都緑川東遺跡の事例は、深い掘り込みをもつ敷石遺構の中央部の敷石を抜き取り、大形石棒4本を向きを揃えて並列して埋設したものである。」(谷口 康浩2015「総論 大形石棒の残され方 -放棄時の状況と行為のパターン-」『考古学ジャーナル』第678号、特集 縄文時代の大形石棒:7.)

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ブラウン(鈴木訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ』 [全方位書評]

ディー・ブラウン(鈴木主税訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ -アメリカ・インディアン闘争史-』上・下、草思社(DEE BROWN 1970 BURY MY HEART AT WONDED KNEE An Indian History of the American West.)

「その昔、この土地はわれわれの父のものだった。だが、川へ行ってみると、岸に兵隊のキャンプができていた。そこの兵隊は私の木を伐り倒し、私の野牛を殺している。それを見て、私の心ははりさけんばかりになり、悲しみでいっぱいになった。」(サタンタ、カイオワ族)

「この戦争はこのわれわれの土地でもちあがったものではない。グレート・ファザーの子らがわれわれにもたらしたものだ。彼らはここにやってきて無償でわれわれの土地を取りあげ、たくさん悪いことをした。この戦争の起こりは強奪行為だ。彼らがわれわれの土地をくすねたことから起こったのだ。」(スポテッド・テイル、スー族)

「彼らはみな私の友人だと言う。そして正しい取扱いを約束するが、その口から出る言葉はいずれも申し分がないのに、私の仲間にたいしては何の手もうたれず、ほったらかしにされているのがどうしてなのか、私には理解できない。マイルズ将軍はわれわれを自分の土地に帰してやると約束した。私はマイルズ将軍を信用した。そうでなければ、決して降伏なんかしなかっただろう。
私はあとからあとから話ばかり聞かされたが、何も実行されないのだ。言葉ばかりが立派でも、それによって何かが行なわなければ意味はない。言葉によって死んだ仲間の命はつぐなわれはしない。今や白人が踏み荒らしている土地がかえってくるわけでもない。…私はもう意味のないおしゃべりは聞きあきた。さんざん立派な言葉を聞かされ、たくさんの約束が破られたことを思うと、胸が悪くなる。」(ジョゼフ、ネ・ペルセ族)

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鈴木2015「岩宿時代集落研究と発掘調査報告書のあり方」 [論文時評]

鈴木 忠司 2015 「岩宿時代集落研究と発掘調査報告書のあり方」『古代文化』第67巻 第2号:98-105.

「発掘報告書のあるべき姿」を論じた、すなわち考古誌批評という稀なるジャンルの貴重な問題提起である。
ただ、その前提ともいうべき「岩宿時代の集落研究」を述べた幾つかの箇所において、若干の異論もあるので私見を述べておきたい。

「はじめに」と題した箇所において、岩宿時代の集落研究が十分になされていない要因として「集落遺跡全体のごく一部のみが調査される」ことが挙げられている。そしてその例外的な事例として埼玉県砂川遺跡が想起されている。
「遺跡規模と集落域の発掘の完結性」(98.)
本当にそうだろうか?

砂川遺跡は1966年の第1次調査で発掘されたA地点および1973年の第2次調査で発掘されたF地点が議論の対象となっているが、A地点の東・F地点の北およびA地点の南・F地点の西には未だに未調査のエリアが広がっているようである(例えば野口 淳2009『武蔵野に残る旧石器人の足跡 砂川遺跡』図15 砂川遺跡の広がりと地点、図27 砂川遺跡A・F地点の集中部といった挿図を参照のこと)。
岩宿時代の集落研究の第一の制約として「集落全体を含み込む発掘域の完結性」が述べられているが、砂川遺跡を事例として「集落域の発掘の完結性」を語るのは、如何なものだろうか。

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