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石器をどうやって数えるか? [石器研究]

本日、同名の題名で、所内の自主サークルにて発表した。
【内容】
 1.赤星2015附表の信頼性について
 2.どうしてこのようなことになってしまうのか?
 3.不可算名詞(uncountable nouns)としての石器

元ネタは、14年前に発表した(五十嵐2002c「石器資料の基礎的認識と最小個体数」)。 
「個別の考古誌(遺跡調査報告書)にもあるいは石器研究の入門書にも、石器資料に関する計測の項目はあるが、計数の項目は見当たらない。(略)石器について個体数に関する議論がなされていないのは、石器の個体数概念(何をもって一個体の石器とみなすのか)について自明である、との前提が作用しているものと思われる。」(同:29-31.)

本ブログでも、4年前に取り上げた(「1個の石器とは」【2012-0126】)。
「ある石器をハンマーで叩いて10個の破片に砕け散ったら、10個の石器になるのだろうか?
 ある土器の破片が10個あり一個体の土器に復元されて、それを10個の土器とする考古学者はいないだろう。」(一部改変)

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タグ:石器 計数
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高崎2002、そして大坂金太郎 [全方位書評]

高崎 宗司 2002 『植民地朝鮮の日本人』岩波新書790

「元在朝日本人の朝鮮時代への対し方には、大きく分けて三つのタイプがあるようである。第一のタイプは、自分たちの行動は立派なものだったとするものである。第二のタイプは、無邪気に朝鮮時代を懐かしむものである。そして、第三のタイプは、自己批判しているものである。」(201.)

日本考古学協会の創立時委員メンバーに引き寄せて考えると、差し詰め第一のタイプは藤田氏、梅原氏に、第ニのタイプは斉藤氏が該当する。
その他に、第四のタイプとして学問にのみ専念したとする駒井氏、江上氏が、第五のタイプとして開き直るものとして八幡氏が該当しそうである。
第三のタイプとしては、創立時委員には加わらなかった和島誠一氏などが挙げられるであろう。

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櫻本1983『空白と責任』 [全方位書評]

櫻本 富雄 1983 『空白と責任 -戦時下の詩人たち-』 未来社

「わたしが以下に述べることは、従来の金子論にみられる誤謬を指摘し、それらを正すことではない。また、いまさら金子光晴の戦争責任をあげつらったり問責するつもりでもない。それらの誤謬からうかがえる戦後の詩人たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧するからである。そして、不幸にも戦後の詩人たちは、そんな自己の姿勢に無自覚であるように思えるからである。
戦争責任を論考することは、よく弾むボールを厚い壁に向ってぶつけるようなものである。ボールはまちがいなくはね返って来る。ぼんやりしていれば、顔面や胸にしたたかな反撃をもたらすだろう。他と共に問われているのは、常に自身のことである。しかし、壁がいったん<平和>の霞の彼方にかくれてしまうと、投じられたボールの行方も反動も忘却されてしまう。こうして戦争責任論は、「汚れていない白い手」や「おくれて登場した者の戯言」などという次元にすり替えられてしまった。
くりかえすが、わたしの危惧は真実めかして語られる虚妄を、まったく無批判に盲目的に、ひとかけらの検証精神もなく「前提」にしている戦後の詩人たちの、脆弱な姿勢である。
それは、あの戦争や日本軍を「聖戦・神軍」と歌った時代の詩人たちの、うら返しにすぎないのではないだろうか。」(88.)

引用文の「詩人」を全て「考古学者」に置き換えることができるだろう。
「戦後の考古学者たちの姿勢を、危険な傾向とみ、危惧する」点において、全く同意である。「ぼんやり」できない所以である。

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