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2016:年の瀬 [雑]

12月17日にはSV1出土の土器を実測・トレースしたという方をゲストにお招きして、「緑川東問題」に関する想定討論を行なった。ゲストの方にも真摯にご対応いただいた。ありがとうございました。
当初は「廃棄時説」を述べられていたが、最後には「製作時説」について納得して頂けたことと思う。

別の所にも少し書いたが、1年前の「緑川東問題」提出時は大枠での総論的な印象に留まっていたが、この1年間で個々の論点について少しずつ考えも深まり、「緑川東問題」の所在がかなり明確になってきた。
その真意は、第2考古学の核心に関わる重要問題である、というものである。

関わる焦点(focal point)はいくつかあるが、そのうちの一つは「もし廃棄時説に立つのなら、必然的に存在するはずの「浅い掘り込み」はなぜ確認できなかったのか?」という点にある。
これは、「廃棄時論者は、大形石棒の設置場所に存在したという敷石の除去について言及するが、当然存在したはずの炉の除去にはなぜ言及しないのか?」という更なる疑問に結び付いていく。

いずれにせよこうした諸論点についても、2月19日には全て明らかにされることだろう。

「緑川東問題」は、第2考古学の主要な論点である「考古時間論」と「部材論」と「ジェンダー考古学」の重複領域に位置する学史上重要な未解決問題である。

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鈴木2007-2009「樹立される石棒」 [論文時評]

鈴木 素行2007・2008・2009「樹立される石棒(上)・(中)・(下) -石棒研究史を学ぶ(中編)-」『茨城県考古学協会誌』第19号:23-53. 第20号:15-44. 第21号:55-91.

「とかく人は、「石棒」を立てたがる」(2007:23. 2008:15. 2009:56.)をキーワードに3年ごしで掲載された研究史である。
男性考古学者が、いかに石棒の「樹立」にこだわっていたか、延々と記されている。亡き恩師も名前を連ねていて切ない(2009:56.)

「石棒研究史を辿りながら、検討のために本稿が準備した視点は、「石棒」が立てられていたと考える根拠に確実な事例はあるのか、立てられていた確実な事例の「石棒」は完形であるのか、という2つに要約される。(中略) 石棒研究史に登場した事例を逐一に検討してみたが、「石棒」が完形のまま立てられていた事例は無く、破片が頭部を上にして立てられていた確実な事例も認められない。写真で目にするこのような光景は、ことごとく近世以降の民間信仰と現代の研究者により創造されたものであった。事例ごとの想定と創造が積み重ねられて、「石棒」は立てられていたことが議論の前提として固定する。完形の「石棒」の法量と形態の印象のみが先行して、小破片についても「直立」「樹立」「屹立」などと形容されることにもなった。」(2009:76.)

衝撃的な内容である。ここで述べられている「想定と創造」は、言い換えれば「捏造」と紙一重である。
ただ「樹立される石棒」ではやや婉曲的で意味が判りづらい。個人的には「バイアグラな男たち」とでもしたいが。

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石棒研究にジェンダー視点を! [総論]

先週12月2日(金)に「緑川東問題」と題して、所内で発表した。来年開催予定の公開討論会の予行演習という位置づけである。

「大型石棒の儀礼行為としては、樹立使用が指摘できよう。石棒を樹立させていた痕跡と考えられる石棒自体の変色や、胴部上半のみを据えた堂ノ上遺跡例など論拠となる事例は少ないが、大型石棒を「樹立」させる行為は存在したものと推測したい。しかしいずれの事例も樹立したままの状態ではなく、本来樹立していたであろう遺構から抜き取られ、廃棄されたもの、あるいは折損後に素材として再利用されたものである点を踏まえる必要があろう。」(長田 友也2008「大型石棒にみる儀礼行為」『考古学ジャーナル』第578号:11.)

なぜ「大形石棒」についてのみ、「樹立」に拘っているのだろうか?
なぜ「推測したい」といったような自らの願望が述べられてしまうのだろうか?
もっと直截に言えば、実は「樹立させたい」ということなのではないのか?

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