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小杉2017「遺跡形成論と遺跡化分析」 [論文時評]

小杉 康 2017 「遺跡形成論と遺跡化分析 -縄文草創期後半における「相対的な定住性の高まり」仮説の再検証-」『理論考古学の実践 Ⅰ 理論編』安斎 正人 編、同成社:228-258.

まず簡単な経緯を記しておこう。
1986~88:日影山遺跡発掘調査 → 1989:同報告
1988:TNT No.200遺跡第1次調査 → 1989・1996:同報告
1994~96:TNT No.200遺跡第2・3次調査 → 2002:同報告
2006:及川「撚糸文期住居跡が崩れた」
2017:小杉「遺跡形成論と遺跡化分析」

2006年に10年前に自らが携わった<遺跡>調査の報告について自己批判を行なった及川2006では、およそ20年前になされた自組織の調査報告および近隣の調査事例として日影山の報告についても検討された。
その際に及川氏は、五十嵐1999「遺跡形成」(2004a「遺跡形成」)・2004b「考古記録」・2004c「痕跡連鎖構造」などを参考に「遺跡形成論」や「考古記録」について述べられていた。今回の小杉2017では、こうした点についてシファーの「行動考古学」や「文化的形成過程」に関する五十嵐の理解が、「正確ではない」(242.)あるいは「何が説明されたのかよくわからない」(244.)として、自らの「考古学的資料の形成過程」と題する挿図を提示されている。小杉氏には、私の至らない理解を正して頂いた点を謝すると共に、ご迷惑をお掛けした及川氏に対してお詫び申し上げたい。

そこで改めて確認したいのは、以下の2点についてである。
1.及川2006の日影山遺跡報告批判によって、小杉1989(「日影山遺跡における石器経営の解明に向けて」『真光寺・広袴遺跡群Ⅳ』:373-396.)は影響を受けるのか?
2.今回の小杉2017による及川2006批判によって、及川2006自体は影響を受けるのか?

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山本2017「マテリアリティとしての敷石とその場所が創る特異な景観」 [論文時評]

山本 典幸 2017 「マテリアリティとしての敷石とその場所が創る特異な景観 -縄文時代中期終末の石棒を残す敷石遺構-」『理論考古学の実践』Ⅱ 実践編、安斎 正人編、同成社:204-234.

「前稿の註8(山本典2016a:225-226)で、緑川東遺跡の敷石遺構SV1の機能や大型石棒のライフサイクルに関する問題提起に加えて、それらの分析経過と予測を述べた。少し長いが、一部の文章を入れ替えるとともに遺構名や遺物名、挿図の引用箇所などを補足した上で、以下に示す。」(206.)
として、旧稿の文章がほぼそのまま再録されている。その旧稿の文章については、五十嵐2016「緑川東問題」:17.にて、以下のように述べた。
「「まるで置かれていたかのような状態」とは、「置かれていたように見えるが、実は置かれていない」という理解を示している。「4本のほぼ未使用と推測された」という根拠も不明である。」(五十嵐2016:17.)

ところが、こうした事柄に関する応答は記されていない。というより五十嵐2016「緑川東問題」という論稿そのものに関する言及が一切なく、「引用・参考文献」にも挙げられていない。引用・参考に値しないとの判断なのだろう。同じような主題である前回紹介した中村2017と大きく異なる点である。

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中村2017「縄文時代中期末葉から後期初頭柄鏡形住居床面の石棒・土器・屋内土坑」 [論文時評]

中村 耕作 2017 「縄文時代中期末葉から後期初頭柄鏡形住居床面の石棒・土器・屋内土坑 -国立市緑川東遺跡SV1をめぐって-」『史峰』第45号、新進考古学同人会:1-18.

「その後、当該事例については多くの研究会や論文などで取り上げられたが、2016年になり、五十嵐彰(2016)が敷石構築時の石棒設置の可能性を提起した。つまり、a:一般的な敷石住居のb:廃絶後に、c:敷石が除去されて石棒がd:廃棄されたとする報告者の見解に対し、五十嵐は、b':当初から石棒をd':並置するa':特殊施設としてその部分にc':石を敷かずに構築されたという見方もできることを示した。この背景には、五十嵐が考古時間論、部材論(遺構/遺物論)など考古学的な思考方法を理論的に議論してきたことがある(五十嵐2011など)。」

問題提起に至る背景にまで言及して頂き、有り難いことである。

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タグ:緑川東問題
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鈴木2007-2009「樹立される石棒」 [論文時評]

鈴木 素行2007・2008・2009「樹立される石棒(上)・(中)・(下) -石棒研究史を学ぶ(中編)-」『茨城県考古学協会誌』第19号:23-53. 第20号:15-44. 第21号:55-91.

「とかく人は、「石棒」を立てたがる」(2007:23. 2008:15. 2009:56.)をキーワードに3年ごしで掲載された研究史である。
男性考古学者が、いかに石棒の「樹立」にこだわっていたか、延々と記されている。亡き恩師も名前を連ねていて切ない(2009:56.)

「石棒研究史を辿りながら、検討のために本稿が準備した視点は、「石棒」が立てられていたと考える根拠に確実な事例はあるのか、立てられていた確実な事例の「石棒」は完形であるのか、という2つに要約される。(中略) 石棒研究史に登場した事例を逐一に検討してみたが、「石棒」が完形のまま立てられていた事例は無く、破片が頭部を上にして立てられていた確実な事例も認められない。写真で目にするこのような光景は、ことごとく近世以降の民間信仰と現代の研究者により創造されたものであった。事例ごとの想定と創造が積み重ねられて、「石棒」は立てられていたことが議論の前提として固定する。完形の「石棒」の法量と形態の印象のみが先行して、小破片についても「直立」「樹立」「屹立」などと形容されることにもなった。」(2009:76.)

衝撃的な内容である。ここで述べられている「想定と創造」は、言い換えれば「捏造」と紙一重である。
ただ「樹立される石棒」ではやや婉曲的で意味が判りづらい。個人的には「バイアグラな男たち」とでもしたいが。

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御堂島2016「石器実験痕跡研究の構想」 [論文時評]

御堂島 正 2016 「石器実験痕跡研究の構想」 『歴史と文化』 小此木輝之先生古稀記念論文集、青史出版:103-120.

駿河台のM大から、西巣鴨のT大へ。
質の違いが、歴然としている。

「実験痕跡研究の枠組み」(五十嵐2001『考古学研究』47-4:76-89.)を提示してから15年、日本では数少ない「トラセオロジスト」から世界的な研究動向を踏まえた上で日本語としての用語・枠組み共に良く吟味・整備された「石器実験痕跡研究の構想」が提示された。
望むべくは、こうした内容の論文が私よりも若い研究者(30代せめて40代)から提出されることなのだが、それは高望みともいうべきか。
学問の進展・歩みというものを、目の当たりにする思いである。

「様々な実験により把握された人間行動・自然現象と痕跡との関係は、ブラインドテストによる検証が行われる必要がある。使用痕跡分析ではよく行われている(Keeley and Newcomer1977; Odell and Odell-Vereecken1980; Newcomer et al.1986; 御堂島1987など)が、石器石材の原産地推定(朽津・柴田1992)、や動物(魚介類)遺存体分析(Gobalet2001; Milner2001)、植物珪酸体分析(Pearsall et al.2003)、炭素年代測定(Olsen et al.2008)などでも行われている。ブラインドテストは、痕跡からどの程度正しく人間行動・自然現象が推定できるかという分析能力を評価するものであると同時に問題点を明らかにし、方法的改善を図るための強力な手段となる(Evans2014)。ただし、ブラインドテストは設定条件によって成績が大きく左右されるものであり、有意味な条件設定を行う必要があるが、少なくとも実験と同条件においては(高い確率で)正しく推定できなければ、把握された関係は単なる思い込みに過ぎないということになってしまう。」(107.)

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藤山2013「“利器としての剥片”から考えるために」 [論文時評]

藤山 龍造 2013 「“利器としての剥片”から考えるために -その認識に向けて-」『駿台史学』第147号:203-225.

前回記事(赤星2015)の背景を探るために遡って辿り着いた論考である。

「以上のように、ここでは無加工の剥片が主力になっている。それらは確然たる目的によって区別されることなく、むしろ極めて多様な作業に向けられている。また、はじめから規格性を希求しておらず、その時々の作業に見合った剥片が”道具”になるという点で、我々が思い描く石器群とは大きく論理を異にしているわけである。こうした石器群を”型の論理”で処理しようとすれば、その本質は十分に認識されないことになるだろう。
このことは歴史上の石器群を取り扱ううえで極めて示唆に富んでいる。先史時代の石器群では、あらかじめ幾つかの器種が作り分けられ、それぞれの目的ごとに使い分けられる。我々はこのようなモデルを描きがちだが、上記の事例は暗黙の前提を大きく揺るがすことになる。器種の区別が不鮮明であるばかりか、ときには加工自体が欠如していることは、今後の方向性を模索するうえで大きな問いを落としている。」(210.)

「落としている」とされる「大きな問い」とは、何だろうか?
 誰が、いつ、どのような問いを「落としている」のだろうか?
「思い描く」とか「描きがち」とされる「我々」に、私たちも含まれているのだろうか?
以下の一文を噛み締めるべきである。

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赤星2015「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」 [論文時評]

赤星 純平 2015 「旧石器時代初頭における石斧製作と移動生活の復元的研究」『駿台史学』第154号:147-182.

現在調査中のエリアからも「旧石器時代初頭における石斧」とされる資料が出土しているので、遅ればせながら読んでみたのだが……… 最初から最後まで分からないことだらけである。ここまで訳が分からない論文も珍しい。

国武1999「石材消費と石器製作、廃棄による遺跡の類別」という論文を読んで、その論文時評のようなもの(五十嵐2002「石器資料関係論」)を書き、エンゲルスの『反デューリング論』冒頭の一節を引用して本ブログで紹介したのが、もうかれこれ10年以上前のことである。
その時から、日本の旧石器研究は確実に劣化していることを確認した。

「では、正しく打製石斧が「石斧原形」で磨製石斧が「石斧完成品」であったかどうかを、石斧の平面形態、刃部角、打製石斧と磨製石斧の組成、遺存状態から検討していこう。」(161.)

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和田2016「続・多摩の敷石住居」 [論文時評]

和田 哲 2016 「続・多摩の敷石住居」『多摩考古』第46号、多摩考古学研究会:18-34.

「続・緑川東問題」である。 

「石棒の性格や祭祀のあり方に関する議論は多様で、長田友也氏は四本の石棒がSV1で使用された証拠はないとする。厳密にはその通りであろうが、通常の敷石住居とは考え難い特殊な遺構に埋置された石棒は、第一義的に本遺構と密接な関係を有すると捉えるべきと筆者は判断している。」(22.)

本論の発行日が2016年5月27日、五十嵐2016c「緑川東問題」が5月29日なので、当然のことながら両者共にお互いに言及することは叶わなかった。

筆者は、緑川東の本報告作成に関わられた研究者たちの中でも、微妙に立ち位置が異なるように思われる。
それは、SV1について「極めて祭祀性の強い敷石遺構」、「通常の敷石住居とは考え難い特殊な遺構」とその特殊性を繰り返し強調されているからである。
さらに和田氏はかねてより、SV1の主軸が他の敷石住居とは異なり、向郷・緑川東からは冬至の日没が富士山頂に沈むことも指摘されている(和田2004など)。

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「考古学研究史の新機軸」 [論文時評]

「考古学研究史の新機軸 -史資料は何を物語るか-」『考古学ジャーナル』第686号、2016年7月号

総論 歴史研究としての「考古学史」研究(星野 達雄):3-4.
政治史としての「考古学研究史」(星野 達雄):5-8.
社会経済史研究としての考古学史研究(森本 和男):9-12.
日本考古学史における近世と近代(平田 健):13-17.
「現地人」の視座(武井 則道):18-21.
世界考古学会議からみる「考古学史」(溝口 孝司):22-26.

通読して、第1論文から第5論文と第6論文との間に広がる隔たりといったものに思いを巡らさざるを得なかった。
それは、私がある特定の(すなわち偏った)視点でもって通読したからに他ならない。
すなわち日本の考古学の専門誌における特集として「考古学研究史」あるいは「考古学史」を採用した時に、「日本考古学」における文化財返還問題はどのように取り扱われるのか、言い換えれば「日本考古学研究史」あるいは「日本考古学史」において戦時期の半島・大陸における日本人考古学者の活動(すなわち侵略考古学)はどのように取り扱われているのか、という視点である。
こうした視点こそが、「新機軸」という言葉に相応しいのではないか。

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崔2016「日本帝国の外地朝鮮統治と古蹟発掘、そして文化財の行方」 [論文時評]

崔 錫榮(金 廣植 訳) 2016 「日本帝国の外地朝鮮統治と古蹟発掘、そして文化財の行方」『博物館という装置 -帝国・植民地・アイデンティティ-』石井 正巳編、勉誠出版:336-366.

崔 錫榮氏には、4月23日に早稲田大学で行われた研究集会「植民地朝鮮における帝国日本の古代史研究」において、お目にかかっていたのであった。

「本稿では、日本帝国が外地朝鮮で行った古蹟発掘調査とそれに関連する法の制定・運用、植民地博物館の創立とその営みなどを検討し、日本帝国と外地の間で行われた文化制度の「差別的」運用こそが終局的に今日の文化財返還の歴史的背景に繋がっているということを明らかにしたいと思う。」(337.)

かつての植民地支配あるいはそれを支える植民地主義を肯定する人ないしは否定するにしても「それでも」とか「なお」といった留保を付す人は、すべからく「差別的運用」あるいは差別そのものを何らかの意味で肯定していると考えなければならない。

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