So-net無料ブログ作成
論文時評 ブログトップ
前の10件 | -

緑川東問題2018(その2) [論文時評]

前回の和田2018に引き続いて掲載されているのが、以下の文章である。

本橋 恵美子 2018 「東京都国立市緑川東遺跡の敷石遺構SV1について」『東京考古』第36号:113-128.

「SV1は、上屋構造をもつ竪穴建物で、敷石は中央の土坑を造ってから石棒とともに配されたものとみられる。」(114.)
敷石と石棒の同時構築、すなわち「石棒設置敷石住居製作時説」である。

惜しむらくは、引用ミスが頻発していることである。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

緑川東問題2018(その1) [論文時評]

新たな論点が提示された。

和田 哲 2018 「緑川東問題について -特殊遺構・石棒配置の証明-」『東京考古』第36号:103-112.

「ここでは、多岐にわたる問題があるが、敢えて、論点を下記の2点に絞って論証したい。
 ①、敷石遺構SV1は一般的敷石住居ではなく、特殊な祭祀遺構であること。
 ②、4本の石棒は敷石を一部剥がして、その部分を平坦にならして並置されたこと。」(104.)

前者(①)は私と同意見なので、後者(②)について感想を述べてみよう。
後者(②)は、4点(a, 多摩川中流域の敷石住居構築の地域的特徴 b, 敷石を剥がした証拠について c, 床下土坑と敷石の関係 d, 石棒の並置について)に分けて述べられているが、特に「b, 敷石を剥がした証拠について」(109.)が焦点となる。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

黒尾2017「韓国・昌寧古墳群の出土品「鉄道貨車二台分」は「事実」か?「伝説」か?」 [論文時評]

黒尾 和久 2017 「韓国・昌寧古墳群の出土品「鉄道貨車二台分」は「事実」か? 「伝説」か? -『韓国の失われた文化財』出版を機に省察する-」『二十一世紀考古学の現在』山本暉久先生古稀記念論集、六一書房:681-690.

「本稿は、『韓国の失われた文化財』を媒介にして、自らの歴史認識について省察を行う、その一里塚である。」(681.)

筆者が本論を記すに至った経緯をまとめると以下のようになる。

金 泰定1988「『日本書紀』に現れた対韓観」『先史・古代の韓国と日本』で昌寧の出土品が「鉄道貨車二台分」になったという記述に対する編者である斉藤 忠1988「本書の編集にあたって」『先史・古代の韓国と日本』の「伝説化」という「釘刺し」、そして李 亀烈1993『失われた朝鮮文化』における金1988と同様の記述から、その根拠が梅原 末治1946『朝鮮古代の文化』ではなく、同1947『朝鮮古代の墓制』であることを確かめて、斎藤の「釘刺し」は「退けられるべき」との結論を得る。
最近になって、黄 壽永編(李 洋秀・李 素玲訳)2016『韓国の失われた文化財 -増補 日帝期文化財被害資料-』の解題(李 基星)によって、原書(黄1973)の誤り(梅原1946ではなく1947であること)が正されていることを確認する。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

藤森1969「日本考古学への断想」 [論文時評]

藤森 栄一 1969 「日本考古学への断想」『中央公論』第987号(第84巻 第11号)1969年11月1日発行:264-276.

「玩物趣味から生きた人間生活の復原探求へ 日本考古学と共に歩んだ学究の回顧と反省」と記された半世紀前の文章である。以前に紹介した『心の灯』は、本論の2年後に出版された。

冒頭の小見出しは、「資料のつぶて」である。
本文が記された時代背景を知らないと、何のことか皆目見当がつかないだろう。

「この正月の夢を破った東大紛争の頂点、安田砦の攻防戦で、なによりも私をおどろかせたのは、文学部考古学教室の、明治以来たくさんの考古学者が命をかけて世界の各地から将来した考古学資料が礫に割られて投石の弾になったという、ごく一握りの学生たちのハプニングであった。
追いつめられれば、むろん人間はダイヤでも金貨でも投げるだろう。(中略)
わたしにとって、それはそれはあまりに強いショッキングな事実であった。大学というところへは、とうとう縁がむすべず、それでもなお、地方の混沌たる生活の中に浮きしずみしながら学問を恋いつづけ、大学をしたいとおしてきた、私という一人の研究者にとっては、呆然と旬日を送ってしまうほどの凄いパンチだったといえる。」(264.)

続きを読む


nice!(2)  コメント(2) 
共通テーマ:学問

長澤2011「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考」 [論文時評]

長澤 裕子 2011 「日韓会談と韓国文化財の返還問題再考 -請求権問題からの分離と「文化財協定」-」『歴史としての日韓国交正常化Ⅱ脱植民地化編』法政大学出版局:205-234.

抜き刷りを頂いた(長澤 裕子2017「解放後朝鮮の対日文化財返還要求と米国 -日本の敗戦から対日講和条約締結まで(1945~1951)-」『朝鮮史研究会論文集』第55集:113-146.)。しかしまずはこちらを読んでおかないと、ということで今回はこちらを。

「…韓国文化財の問題が、日韓会談の最大争点である請求権問題のなかでいかに位置づけられたかという問題を中心に考察したい。とくに、日本側が韓国文化財の政策を決定する過程とその根拠を、請求権の枠組で分析する。そのため、先行研究の焦点が集中した文化財小委の開催期の1958年以降だけではなく、予備会談開催時の1951年にまでさかのぼり、そこから1965年の「文化財および文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(以下、「文化財協定」と略す)の締結までの期間全般を考察する。さらに「文化財協定」については、「両国間の文化交流、文化協力」という「大きな見地」の「一環として」、「文化財返還問題が文化協力問題の一環に矮小化」された「日韓の外交の妥結点」として見る。そして、「歴史観の欠如」した日本側を相手に、韓国側が文化財の「返還」を保証しない協定に合意した理由と過程を再考する。これらの作業は、いまもなお存在する文化財問題における日韓会談の位置づけを考えるために必要な試みと考える。」(205-6.)

続きを読む


タグ:文化財返還
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

吉田ほか2017「未来考古学 第1回 ペットボトル」 [論文時評]

吉田 泰幸+編集部 2017 「未来考古学 第1回 ペットボトル」『縄文ZINE』第7号、ニルソンデザイン事務所:24.

論文というよりエッセイというか、B5版1ページに満たない実測図つきの短文である。
吉田 泰幸氏は、金沢大学の文化資源学セミナーで中心的な役割を果たされていた。

「金属製長方形祭壇に伴う容器型製品が発見された「みなとみらい遺跡」は、人工的な地層に形成された遺跡である。地層は2000年代前後に作られ、比較的年代を推定しやすい。このころの二ホンはエド期という安定期が終わってすぐの時代で、短い期間に革命や戦争が立て続けに起こったため、混乱期だったと言えるだろう。そうした不安定な時代の精神的側面を支えていたのが容器型製品であるというのは、4000年代の研究者によってすでに指摘されている。」

ということで、今から何千年か後の未来の考古学者が現代の物質資料を考古学的に観察したらどうなるかということを真面目に?論究したものである。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

東村2013「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの」 [論文時評]

東村 岳史 2013 「アイヌの頭蓋骨写真報道が意味するもの -過去の「露頭」の発見と発掘-」『国際開発研究フォーラム』第43号:1-16.

「各地の報道の仕方に感じられるのは、その地域でははじめての発掘・発見で地域特性を示すから貴重という持ち上げ方である。これは児玉の「アイヌは白色人種である」という主張を報じた記事(『毎日新聞』北海道版1954.6.23)にある、「体質に現われた地方差」を解明しようとする人種主義的視線とも合致する。このような持ち上げ方なら、各地でアイヌ人骨が発掘されればされるほど研究に役立つという論理しか出てこないだろう。「道内に散在する遺跡を片っぱしから発掘すること」の正当化は児玉以外の記事でも肯定的に適用される。児玉はその代表格ではあるものの、児玉のみのことではなく、他の研究者も新聞社も共犯関係である。」(7.)

前々回記事「返還問題2017」【2017-09-30】で言及したように、私はかつての児玉研究室の写真を見て「これみよがし」という感想を抱いたが、これまた現時点だから言い得るもので、当時はそうしたことを想起したひとは殆どおらず、たとえ居たにしてもそのことを文字に記すことはなかったことを、当時の新聞記事を通じて確認することができた。
ある意味で「今だから言える」物言いではあるが、だからこそ「今こそ言わなければならない」物言いでもあると思う。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

長田2014「国立市緑川東遺跡を石棒から読む」を読む [論文時評]

長田 友也 2014 「国立市緑川東遺跡を石棒から読む」『緑川東遺跡 -第27地点-』:157-165.

はじめに今年の2月19日に行われた公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」自由討論の記録から。
「(山本 典幸)…今日の討論の最初に確認したい点があります。報告書の中で、長田さんが緑川東の事例を住居廃絶行為との関連から石棒の廃棄儀礼として解釈することに妥当性を見出しました(報告書p.159, 161, 164)。その一方で、彼は遺構内に石棒を並べて置く、ないし埋めておく(埋置)、そうした行為が石棒を日常的に安置する場であるのか、石棒を再利用するための一時保管場であるのか、遺構、石棒ともに廃棄されたものなのかなど、いずれも解釈が可能だと指摘しています。そして現状では限定的な意味づけは困難だと指摘されているわけです。」(『東京考古』第35号:4-5.)

自由討論における前半での発言である。発言者は自らの発言の前提として考古誌に掲載された当該論文について以上のように要約した訳だが、これではその論文がSV1を「廃棄儀礼として解釈」したのか、それとも「いずれも解釈が可能」としたのか、よく分からない。果たしてこのような要約が適切なのか、当該論文を改めて読んでみよう。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

佐藤1989「植民地の「開発」は侵略の手段である」 [論文時評]

佐藤 正人1989「植民地の「開発」は侵略の手段である -”アジア侵略の理想とエネルギイの復権”を阻止するために-」『アジア問題研究所報』第4号:3-24.

「「いわゆる「王道楽土」は、欺瞞的なものであったと烙印をおされているが、そう簡単に見棄てられぬものがあったのではないか。結果として「満州国」は、中国側から言う「偽国」におわったが、その過程には、多くの理想とエネルギイが投入されたのだから、そのすべてを無益にしたくはない。当然、ある部分については復権を考えてみる必要がある」
「日本国民のかなりの部分が、植民地生活の体験をもっている。植民地でうまれた世代も成長している。彼らのそれ自体として自然な郷土喪失感(?)が、放置され、屈辱に押し込められている現状は、正常ではない」(「満州国研究の意義」、『週刊読書人』1963年10月21日号)。
中国東北部を侵略した日本人の「理想とエネルギイ」なるものの一部分を「復権」したいという恥知らずな妄言を、日本経済の高度成長が開始された時期にのべていたのは、当時「満州国研究会」という小グループ活動をやっていた竹内好という日本ナショナリストの一人である。」(3.)

良心的と信じ込んでいた知識人に対する幻想が吹き飛んだ瞬間である。
本論の論旨は、全て表題の一文に凝縮されている。
佐藤氏には、10年前のセミナーで発表していただいた。

続きを読む


nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

岡本2017「縄文の原則」 [論文時評]

岡本 孝之 2017 「縄文の原則」『郵政考古紀要』第67号(通巻76冊)、大阪・郵政考古学会:1-15.

「縄文を誤解する風潮はずっと続いている。九州有文土器文化や西日本無文土器文化を縄文視するなど、なんでもかんでも縄文とするのは、日本国の領土と一致させる以外に理由はない。地域性をキーワードとして違いを理解することは、前提としての日本国の領域があってその辻褄を合わせているだけのことである。弥生の東西の差異を地域性とする指摘も同じで、できるだけ広い領域を取りたいだけのことであり、真摯に縄文・弥生を考察したものではない。強調される多様性、地域性という指摘はことばの罠である。」(10.)

ということで、「縄文の原則」(2.)として以下の9ヶ条が示される。
1.縄文の理想 原始(縄文)は、民主、平等、共産の社会であること
2.古代の否定 原始(縄文)は、古代(弥生)に否定される
3.弥生への疑問 古代(弥生)以降の支配隷属関係(階級制)を疑うこと、文明を疑うことである
4.戦争の廃絶 戦争は文明であり、その廃絶は原始(縄文)の立場からしか達成できない
5.縄文の発見 近代考古学は、原始(縄文)を発見した
6.考古学の意義 考古学は原始、古代、近代の全歴史を総括できる唯一の科学である
7.近代は未完成 近代は、未完成であり、原始(縄文)像もまた、未完成である
8.近代の否定 未完成の近代は、原始(縄文)を受け入れず、誤解し、無視するだけでなく、考古学においては弥生に発展するとして縄文の理想を否定する
9.縄文の復権 原始(縄文)の世界観にたつこと

続きを読む


nice!(2)  コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問
前の10件 | - 論文時評 ブログトップ