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『日本考古学』の考古学 [学史]

「他の多くの学会と異なり、当協会は1948年の創立以来、会員の研究成果を発表する定期刊行物を持たないまま今日に至りました。これは、創立当時、先発の日本考古学会との間に交わされた紳士協約にもとづき、両学会の事業の重複と競合を避けるためにとられた措置であります。(中略) 日本考古学会の了承を得た上で機関誌を発行し、学会としての形を整えることを決定しました。」(横山浩一1994「創刊のことば」『日本考古学』第1号:巻頭.)

先行学会の了承を得ないと発行できない機関誌とは、どのようなものなのか?
なぜ「他の多くの学会と異なり」、そのような「紳士協約」などというものを結ばなくてはならなかったのか?
法人化という外圧が生じるまでは手を触れることさえなかったその「紳士協約」という名の縛りは、如何なるものなのか?
そもそも「学会としての形を整えること」がなかったとされた46年間とは、いったい何だったのか?
こうした疑問は、私一人だけのものではなかったようである。

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大湯環状列石 [学史]

「帰京後、朝日新聞社の後援で日本古代文化学会で本環状組石群の再調査の計画を練り、後藤守一博士を調査主任として甲野勇先生、塩野半十郎、吉田格氏なども加わり、筆者も加えて、計五名が大湯ホテルに泊りこみで調査を実施することになった。」(江坂輝弥1968「大湯環状組石遺跡調査の頃」『甲野勇先生の歩み』多摩考古学研究会編:77. 下線引用者、以下同)

「甲野氏と共に熱心に発掘に関係せられた江坂輝弥氏の書簡によって当時の状況を述べる事にする。(中略) 又一月下旬乃至二月中旬遺物と遺跡の写真展を朝日新聞後援にて日本古代文化学会と慶応義塾大学文学部、民族学、考古学研究室主催にて慶応の民族学、考古学標本陳列室にて開催致したいと考えて居ります。(中略)」右は昭和二十一年十二月八日附江坂輝弥氏の書簡であり、その当時から同氏が如何に活動していられたかよくわかるのである。」(大湯郷土研究会1973『特別史跡 大湯環状列石発掘史 全編』:65.)

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日本古代文化学会と日本考古学協会 [学史]

日本古代文化学会
創立 1941年
「本會ハ日本及ヒ東亜二於ケル古代文化ノ調査研究ニ努メ以テ皇國宏謨ノ由ツテ来ル所ヲ闡明スルヲ以テ目的トス」(會則第2條)
創立時本部委員(17名)
稲村担元 江上波夫 大場磐雄 桑山竜進 甲野 勇 後藤守一 篠崎四郎 杉原荘介 坪井良平 直良信夫 馬場 修 樋口清之 肥後和男 藤森栄一 丸茂武重 三森定男 矢島清作

日本考古学協会
創立 1948年
「本会は日本に於ける考古学者が提携して考古学の研究をすることを以て目的としそれに必要な事業を行う」(会則第2条)
創立時役員(11名)
藤田亮策 梅原末治 後藤守一 駒井和愛 八幡一郎 斉藤 忠 江上波夫 水野清一 石田茂作 山内清男 杉原荘介 

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日本古代文化学会 設立趣意書 [学史]

「肇国以来二千六百一年、萬世一系の天皇上に在しまし、皇思萬民に遍く聖徳八紘に光被す。臣民亦忠孝勇武父祖相承けて皇国の道義を宣揚し、君民一體以て国運の隆昌を致せるは国史に徴して瞭かなり。而して今や東亜善隣の諸邦と結んで共存共栄の実をあげ、独伊両国と締盟して世界新秩序建設の偉業を果さんとす。洵に壙古未曾有の秋といふべし。

翻つて考古学の学績を顧みるに皇国は文化の由って来るところ極めて悠遠、しかもその秀英を萬那に誇示し得べく、変遷幾千歳、終始日本文化の特性を発揮し来れるを明かにし、又東亜諸邦は各々自己の文化を展べつ々も互いに倚相り相通じ、以て世界に独歩すると共に、恒にその精華を我が国に朝湊せしめ来りしを具象し得たり。しからば皇国の偉業東亜共栄圏の淵源するところは既に遠古にあり、しかも派絡して今日に至りしことを闡明せんとするは斯学の本領たり、吾人の奉公すべき職域正に茲にありといふべし。

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学史研究 [学史]

「…学史に対する視角をややもするとなおざりにする論文が垣間見られる現状を勘案するとき、学史を等閑視すべきではない、と言う見解が多く表明されたのである。/他方、日本の考古学史を体系的に論じられ、関係史料の共有化を独自の視点から具現されている斎藤忠博士が百歳を超え、溌剌として学史研究を続けられている慶事を後学としてお祝い申し上げたい、との声望も語られたのである。そこで「斎藤忠先生百歳慶祝」を記念して日本考古学史学会を発足させることに意見の一致を見たのである。」(坂詰 秀一2011「創刊のことば」『日本考古学史研究』第1号:1.)

およそ20年前にも、似たような名前の雑誌が創刊されていた。
しかしそのスタンスは、かなり異なっている。

「『考古学史研究』では、考古学の歴史に対して距離を置き、客観的な視点から考察するという立場は採りません。逆に、過去の考古学のなかに分け入り、そこに身を置くことによって、現在の考古学を見つめる眼差しを得ようとするものです。従って、ある時は一見無意味な細部にこだわり続けることになるかもしれません。しかしそれは、現在の考古学を支えている根拠を過去に求めるという作業のなかで必ず意味あるものになるでしょう。『考古学史研究』は、私たち自身に対して距離を置くという試みに他ならないのです。」(京都 木曜クラブ1992「創刊のことば」『考古学史研究』第1号:2.)

特定の主題に焦点を当てたグループ研究か、それぞれ関心を寄せる研究者が行なう個人研究なのかといった研究会の形態とは異なる「会の立ち位置」、先学の慶祝を記念するのか、それとも自らに距離を置くのかといった違いが明瞭に見て取れる。

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