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五十嵐2013c「遺構と遺物の狭間」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2013c 「遺構と遺物の狭間 -考古二項定理批判-」『日本考古学』第35号:113-125.

一言で表現すれば「大それた」(audaciousな)論文である。
何故か?
濱田耕作をはじめ、八幡一郎、チャイルド、大井晴男、森浩一、近藤義郎、横山浩一、坂詰秀一、田中琢、小野山節、鈴木公雄、斉藤忠、佐原真、泉森皎、山中敏史(以上敬称略)など並居る先人たちが形成してきた、そして私たちがその存立を微塵も疑うことの無い「二項定理」という考古学的常識へのアンチ・テーゼの提出だからである。

「遺構/遺物の定義として不動産/動産という性格規定が与えられ、遺構+遺物=遺跡という考古学的な二項定理が一般的な了解事項として受容されている。こうした二項定理を維持するために、構造物を構成する部材について、製作・使用の状態を保っていれば遺構の一部とし、遊離した状態であれば遺物とする「状態変容論」が提起されている。」(113.)

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五十嵐2013b「異状態接合研究」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2013b 「異状態接合研究 -集石構成礫を端緒として-」『貝塚』第68号、物質文化研究会:1-8.

本論もこれまた紆余曲折あって難産の末に生まれた。
詳細については、また述べる機会もあるだろう。

「今までに地球上で何例の接合個体が観察され報告されてきただろうか? そしてこれからも引き続きなされていくことだろう。そうしたなかで外観が異なる資料同士の接合個体、すなわち異状態接合はどれほど存在しているのだろうか? そしてそのことが示す意味を、私たちはどれほど読み解いてきただろうか?」(6.)

<遺跡>の発掘調査が行われ報告のために資料整理作業が行なわれるときに、今や接合作業は不可欠である。今日も、日本の至る所で、そして世界のあらゆるところで、ばらばらになった<もの>たちをセメダインやらヤマト糊でくっつける接合作業が行なわれ、接合個体のデータを記録した接合台帳が作成され、接合個体の実測図が描かれ、接合資料の出土分布地点を結んだ接合分布図の作成が行なわれていることだろう。
しかし接合資料の意味を探求する「接合研究」は、どれほどなされているだろうか?
様々な材質の様々な形態の「型式研究」は、なされている。
またどのような分布を示すか「分布研究」も、なされている。
時代ごとの、あるいは遺物や遺構ごとの各種研究会も網羅されている。
ただ「接合研究会」なるものは、存在していないようだ。

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五十嵐2013a「石器資料の製作と搬入」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2013a 「石器資料の製作と搬入 -砂川三類型区分の再検討-」『史学』第81巻 第4号:125-140.
機関リポジトリにて全文ダウンロードできます。

「「非常に微細な(小指の爪より小さい程度の)剥片や石器の調整剥片」(戸沢1968,16頁)である砕片を含む全ての石器資料を同一であるという母岩別に区分するのはもともと無理があり、なおかつそうした砕片が存在したかどうかによってその母岩資料がその<場>で製作されたのか搬入されたのかという行動解釈の根拠とするのはなおさら無理があり、本来7つの類型に区分すべき母岩類型をわずか3つに区分して全てを説明する「砂川モデル」は甚だしく無理があると言わざるを得ない。」(138.)

本論については、昨年の7月に草稿を読んでもらうべくご自宅に郵送し、何度かのやり取りが続いていた最中の9月上旬、突如入院の知らせを受けて驚愕、原稿の受理、掲載号決定と終始病床にあって拙論の行方を気にして頂き、ある思いを以て校了年月日とした2012年12月26日が最後にお会いした時となってしまった。

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五十嵐2012「型式組列原理再考」 [拙文自評]

五十嵐 彰 2012 「型式組列原理再考」『縄文研究の新地平(続々) -縄文集落調査の現在・過去・未来-』小林 謙一・黒尾 和久・セツルメント研究会編、考古学リーダー21、六一書房:223-234.

「細かいことに熱中する等個人的な傾向が強いメンバーが多いこともあり、一つのテーマにこだわりがちな事が多いが、個別のテーマは総体として先史を含む人類社会解明へ向けての方途であり、物質文化研究の統合化が第一の目標である。そのためにも、五十嵐氏には井戸尻編年の位置づけを含め、集落調査史から遺物研究・編年研究への横断的な視点として、型式論への提言を頂いた。今後の方向性の一つとして模索していきたい。」(小林謙一「序 -縄文集落研究の新地平の15年を巡って-」:6.) 

「即物的で細かい話題提供が中心になりがちな「新地平グループ」であるが、「私たちに要請されているのは、諸型式の組合せから物質文化の同定という方向性を志向する<もの>の製作時間に基づく<もの>組列に対して、<もの>の廃棄時間に関わる<場>組列の関係を明らかにしていくことであり、このことは<場>と<もの>の相互関係を明らかにする考古学という学問の根本問題である」というまとめは、示唆にとみ、納得がいく。」(黒尾和久「結 -縄文集落研究の足場-」:238-9.)

どうも「細かい」に対応する構図が示されているようであるが、当人としては少し「的外れ」との思いがしないでもない。

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タグ:考古時間
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「生きる」ということは、どのようなことなのだろう。 [拙文自評]

2012「「生きる」ということは、どのようなことなのだろう。」『教会だより』第30号、由木キリスト教会:4-5.

(1月下旬、私より年若い身近な人が幼い3人の子供たちを残して自死した。
 以下は、そのことを契機に記したものである。)

私たちが「生きる」とは、どのようなことなのだろうか?
特にキリスト者として「生きる」とは?
これは人間が自らのことを考え始めた遥か昔から考えられてきた問いであり、哲学や宗教が繰り返し問い続けている永遠の課題である。
それ故、未だに考えがまとまらず、多くが未解決の問題として投げ出されたままのものであるが、現時点で考えたことを少し記してみたい。
 

「生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。」
(コヘレトの言葉95節)

 

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晋州シンポジウムに参加して、日本の国宝問題に想いを巡らす [拙文自評]

2012「晋州シンポジウム(韓日文化財交流大会)に参加して、日本の「国宝問題」に想いを巡らす」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報2012』No.1、韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議編:11-13.

「2010年6月にスタートした私どもの連絡会議のささやかな活動ですが、さらに内外にネットワークを広げながら、文化財の調査を進め、解決の道筋を一緒に考えていきたいと願っています」として、5月1日に創刊された『年報』に、当ブログに掲載した2つの記事、「韓日文化財交流大会」【2011-12-22】と「「国宝」という問題」【2012-01-05】を合わせて一部修正した文章が掲載された。

先日、新聞紙上において中国大陸における遺棄化学兵器による被害が報じられていた。
現在、内閣府大臣官房の所管で「遺棄化学兵器処理担当室」という組織が現地での発掘・回収作業を進めている。まさに、近現代考古学である(【2007-07-19】も参照のこと)。どのような部隊が、どのような指揮系統のもとでいつどのように遺棄したのか、詳細な「発掘調査報告書」が待たれる。
戦争という非常時に、隣国に攻め入った国が、自らにとって都合の悪い<もの>を現地に埋めてきて、それが今に至って地域住民に被害を及ぼしている。
それに対して、自らにとって、欲しい<もの>を力を背景にして奪ってきたのが、「略奪文化財」である。本来的には、遺棄化学兵器と同様に、内閣府大臣官房の所管で「略奪文化財返還担当室」といった組織が設立されて然るべきと考える。
勿論、一方は住民に対して直接肉体的な被害を与える緊急性を要する事業である。事態の収拾に責任を負う国家が主体となるのは、当然である。
しかし、もう一方についても直接的で肉体的な被害こそ与えないまでも、暗い収蔵庫から目に見えないそして人の尊厳を損なう倫理的な被害をもたらし続ける。
両者は、身勝手さの合わせ鏡のような存在である。

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「論文展望」 [拙文自評]

以下は、『季刊 考古学』第117号(2011年10月25日)に掲載された「論文展望 遺構時間と遺物時間の相互関係」のために用意した当初の、すなわちオリジナルの文章である。ところが、何と論文の内容に至る以前の問題提起の部分を書き連ねただけで、要求されている分量(800字)を遥かに超え出てしまった(およそ1400字)。ここからおよそ半分にしなければならないわけである。肉を削ぎ、骨を断つしか手はない。結果は・・・
もとよりある論考を、およそ800字で紹介するということ自体が、どだい無理な注文のように思われて仕方ない。もちろんそうした技芸を難なくこなす達人もおられることとは思うのだが。
そもそも自らの論文を自らが紹介するという趣向そのものに、かねてより首をかしげていたのだが、今回その役回りを自らが演ずるようになるとは・・・
論文要旨ならば論文そのものの冒頭に付されているわけだから、それをなぞるような文章を改めて掲載する意図は測りがたい。ならば、論文の内容を縮約するのではなく、問題提起だけであったとしてもそれはそれで受容されるのではないか。そもそも「展望」という用語には、そうした意味も込められているのではないか、と無理にでも自らを納得させたのだが。

ある遺構が作られて使われた時間を知るには、どうしたらいいだろうか。

ある遺構から出土した遺物が示す時間を、その遺構が使われていた時間と考えていいのだろうか。

離れて位置するいくつかの遺構を同じ時期あるいは異なる時期とするのは、いったいどのような根拠に基づいているのだろうか。

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五十嵐2011「遺構時間と遺物時間の相互関係」 [拙文自評]

五十嵐 2011 「遺構時間と遺物時間の相互関係」『日本考古学』第31号:39-53.

いろんな経緯から「懸賞論文」ならぬ「懸案論文」と呼んでいたものなのだが、ようやく日の目を見た。
当初は昨年の夏に、岡山に本部がある研究団体発行の刊行物に投稿したものである。その後、年末になって掲載に値せずとして返却されてきた。理由は既発表論文と重複が大きいこと、先行研究の取り扱いが不十分であることという???
年明け後、今回刊行されることになった『日本考古学』に投稿して、条件として付せられた9点の修正意見に対応したうえで刊行に至った訳である。

「捨てるカミあれば、拾うカミあり。」
いろんなカミがいるわけである。

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「第二考古学入門」 [拙文自評]

五十嵐 2010b 「第二考古学入門」『共に歩む』第97号、障がいを負う人々・子ども達と「共に歩む」ネットワーク・会報:16-22. 発行:日本キリスト教団調布柴崎伝道所内「共に歩む」ネットワーク 問い合わせは以下のアドレスへ(aoki-michiyo@nifty.com)

早春の3月に調布で、考古学に全く縁のない人たち数人を相手に話しをした。その内容が活字になった。題名は、恩師50歳の時の著書『考古学入門』(1988、東京大学出版会)にちなんだ訳だが、内容・ボリューム共に遠く及ばないのは勿論のことである。ただ「考古学という学問の体系化を考える」という一点において、同じ志しを持つ者である。「第2」の「2」が、漢数字の「二」になってしまったが、まぁいいか。文末に記された筆者肩書は、「遺跡発掘研究者」である。確かに<遺跡>を発掘している研究者であることには間違いない。

話しの内容は、「3匹の子豚」という童話にもとづく世界のマクドナルド化から吸殻集中部、パストラミ・サンドイッチの半額シールにまで及ぶが、以下では小見出しと部分的な引用をもって簡単な紹介とする。

【考古学とは】
「考古学と聞いて、イメージすることは何でしょうか? スコップで古代の<遺跡>を発掘することでしょうか? 同じ古いものを掘り出すのでも、恐竜の骨を発掘するのを考古学とは言いません。なぜでしょうか?」(16.)

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タグ:研究 もの
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2010a「統一<場‐もの>論序説」 [拙文自評]

五十嵐 2010a 「統一<場‐もの>論序説」『季刊 東北学』第22号:146-159.

「現代物理学では、物質および物質間の相互作用を支配する実体は同質のものであるとみなし、ともに素粒子としてとらえることができる。それらはどちらも場の理論によって記述される。すべての場の存在の必然性と、それらの間の相互作用を統一的観点から演繹しようとする試みを統一場理論、あるいは統一理論という。」(Yahoo! 百科事典「統一場理論」より)

考古学という学問において用いられている主要な方法である「型式概念」と「接合事象」について、考古学的な<場>である「加重複」(重なり合い)と「減重複」(切り合い)の中に位置づけ、「それらの間の相互作用を統一的観点から演繹しよう」と試みたものである。

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タグ:痕跡
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