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不可視委員会2016『われわれの友へ』 [全方位書評]

不可視委員会(HAPAX訳)2016『われわれの友へ』(Comite invisible A nos amis) 夜光社

「ひとつの文明の終りが/世界の終わりではない者たちへ
 なによりもまず蜂起のうちに/組織ぐるみの嘘と混迷と愚かさの支配にうちこまれた
 ひとつの裂け目をみとめる者たちへ
 たちこめる「危機」の霧の背後に/作戦と術策と戦略がくりひろげられた舞台の存在を
 ―それゆえ反逆の可能性をみいだす者たちへ
 攻撃する者たちへ/好機をうかがう者たちへ
 共謀の友をもとめる者たちへ/離脱する者たちへ
 試練をたえぬく者たちへ/みずからを組織化する者たちへ
 革命的な力をつくりだそうとする者たちへ
 革命的、なぜならそれは感覚的なものであるから
 われわれの時代を解明するための/ささやかな試論をここにささげる」
 (裏表紙より)

ヨーロッパはフランスの友からの呼びかけである。
本書は、八ヶ国語・四大陸で同時的に刊行された。
示唆に富む多くのことが、述べられている。

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黄編(李・李訳)2015『韓国の失われた文化財』 [全方位書評]

黄 壽永 編(李 洋秀・李 素玲 増補・日本語訳)2015『韓国の失われた文化財 -増補 日帝期文化財被害資料-』三一書房、国外所在文化財財団企画、荒井 信一監修(原書:考古美術資料第22集『日帝期文化財被害資料』韓国美術史学会、1973)

「わが国土が日帝に占領され、あらゆる文化の遺産が彼らによって蹂躙された今世紀初半の歴史は、悪夢のようにわれわれの脳裏から離れず、その痕跡はまた容易く癒されはしない。彼らはいわゆる「古蹟調査事業」を名目としているが、その成果のようなものは、彼らが犯した古代墳墓の掠奪のようなたったひとつの事例だけを挙げても、彼らは何を持って(ママ)補償し弁明するのだろうか。…
ここで考古美術資料集の一冊として、この間収集した日帝期、わが文化財の受難を中心とした各種資料をまとめた訳は、たったこれだけでも今日に至っては新しく揃えるのに、時間と力が要るという判断の下に、もしかしてこのように粗末な資料集が、私たちの過去のつらい事実を後世の人に伝え、今後その保存と研究のために、何か小さな助けになればという祈願からだ。この本が、そのような資料のごく少数しか載せられないことは、あまりに明白だ。今後このような小さな集成が基礎となり、われわれの文化財受難の諸相を伝えるのに助けになるのなら、それに勝る喜びはないだろう。」(黄 壽永 「序文」:24-26.)

正に「小さな助けになればという」祈りと願いが、実現したのだ。

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ブラウン(鈴木訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ』 [全方位書評]

ディー・ブラウン(鈴木主税訳)1972『わが魂を聖地に埋めよ -アメリカ・インディアン闘争史-』上・下、草思社(DEE BROWN 1970 BURY MY HEART AT WONDED KNEE An Indian History of the American West.)

「その昔、この土地はわれわれの父のものだった。だが、川へ行ってみると、岸に兵隊のキャンプができていた。そこの兵隊は私の木を伐り倒し、私の野牛を殺している。それを見て、私の心ははりさけんばかりになり、悲しみでいっぱいになった。」(サタンタ、カイオワ族)

「この戦争はこのわれわれの土地でもちあがったものではない。グレート・ファザーの子らがわれわれにもたらしたものだ。彼らはここにやってきて無償でわれわれの土地を取りあげ、たくさん悪いことをした。この戦争の起こりは強奪行為だ。彼らがわれわれの土地をくすねたことから起こったのだ。」(スポテッド・テイル、スー族)

「彼らはみな私の友人だと言う。そして正しい取扱いを約束するが、その口から出る言葉はいずれも申し分がないのに、私の仲間にたいしては何の手もうたれず、ほったらかしにされているのがどうしてなのか、私には理解できない。マイルズ将軍はわれわれを自分の土地に帰してやると約束した。私はマイルズ将軍を信用した。そうでなければ、決して降伏なんかしなかっただろう。
私はあとからあとから話ばかり聞かされたが、何も実行されないのだ。言葉ばかりが立派でも、それによって何かが行なわなければ意味はない。言葉によって死んだ仲間の命はつぐなわれはしない。今や白人が踏み荒らしている土地がかえってくるわけでもない。…私はもう意味のないおしゃべりは聞きあきた。さんざん立派な言葉を聞かされ、たくさんの約束が破られたことを思うと、胸が悪くなる。」(ジョゼフ、ネ・ペルセ族)

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水野1948『東亞考古學の發逹』 [全方位書評]

水野 清一 1948 『東亞考古學の發逹』古文化叢刊7、大八洲出版株式會社

「わが國の學者は明治以来敗戰のその日まで、終始東亞考古學のために力をつくしてきた。もちろん學者も、そのときどきの政情からまつたく超然たることはできない。そのためおほいに困難したときもあり、また反對に利便をうけたときもあつた。けれども、それらはしよせん、べつのことがらである。學術そのものとは、なんのかゝはりもない。わが國の學者たちは、概してさういふものからはなれ、純乎として學術の要請するところにしたがひ、まじめな努力をつゞけ、また公正な行動をとつてゐたやうにおもふ。たとへば、その古蹟を保存し、遺物の散佚をふせぐについても、つねに眞劍な努力がはらはれたことは、だれの眼にもあきらかなところである。いま四十年の足迹をかへりみて、先人のため、またわれわれみづからのためにひそかによろこぶものはこれである。學術こそは、いつのときにも明朗であり、公明でありうる。學術に國境がないといふ眞の意味もわかるやうにおもふ。」(157-158.)
 

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栗原2015『遺骨』 [全方位書評]

栗原 俊雄 2015 『遺骨 -戦没者三一〇万人の戦後史-』岩波新書1545

先に紹介した殿平2013と同じ書名である。
殿平2013は北海道における朝鮮半島出身の労働者の遺骨について宗教者が記したもの、こちらは東アジア全域に広がる日本人戦没者の遺骨について全国紙の記者が記したものである。両者の見据える方向は全く一致している。著者については、3年前に『20世紀遺跡』という著書を紹介した。

「同(1952)年6月17日、第13回国会衆議院において「海外諸地域等に残存する戦没者遺骨の収集及び送還等に関する決議」が採択された。
「苛烈なる戦火収束してよりここに7年、今や平和条約発効により独立を回復した今日、海外諸地域並びに本邦周辺海域で戦没した同胞の遺骨が未だに収容されないままあるいは埋葬地も荒れはてたまま放置されているものもあることは誠に遺憾なことであるとともに遺家族の心情察するに余りあるものがある。
ここにこれら未だ帰らざる遺霊を早急に故山に迎えることはわれわれの久しく念願していたところであつて、現状のまま放置されていることは国民感情上忍び難い問題である。
よつて政府は、これら戦没同胞の遺骨の速やかな収容送還並びに墓地維持のため、万全の対策を樹立するとともにこれが実現を図るべきである。」
同年7月11日、参議院でも同趣旨の「戦没者の遺骨収容並びに送還に関する決議」がなされた。」(130-131.)

遺骨と遺物(文化財)あるいは遺物と遺品の違いについて、考えている。

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西部2003『スローフット』 [全方位書評]

西部 謙司 2003 『スローフット -なぜ人は、サッカーを愛するのか-』双葉社

本日(7月8日)は、「ミネイロッソ記念日」である。
一年前の今頃はある現場の追い込みの時期だった。それにも関わらず翌日の昼頃までは脱力感で仕事が手につかなかった記憶が…

「86年ワールドカップ・メキシコ大会で世界一になった直後だったと思う。日本のニュース番組にゲスト出演していた。
「あなたは望むものをすべて手に入れたと思いますが、今、一つだけ願いが叶うとしたら、何を望みますか?」
その質問に対するマラドーナの答えは意外で、唐突といってもよく、このインタビューの中で唯一、僕の記憶に残った回答だった。
「あのころに、子供のころに戻りたい。無心にプレーしたあのころに。」
世界の頂点に立ち、称賛に包まれ、栄光の真っ只中にあったマラドーナだったが、そのときの彼はまだ25歳なのだ。まだまだこれから次のワールドカップも、その次のワールドカップも勝つ、と言うかと思っていたら…。
そのときのマラドーナは、とても寂しそうに見えた。戻りたくても、戻れないのはわかりきっている。でも、本気で戻りたがっている。
彼が戻りたかった場所には、何があったのだろう。」(5-6.)

休講の知らせを聞くと同時に、グランドに飛び出していったあの頃。
そして、かび臭い部室で黙々と土器の拓本をしていたあの頃。

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俵2008『境界の考古学』 [全方位書評]

俵 寛司 2008 『境界の考古学 -対馬を掘ればアジアが見える-』ブックレット<アジアを学ぼう>12、風響社

「日本考古学会が対馬で発掘に臨んだ志多留貝塚・大将軍山古墳(現上県町志多留)、賀谷洞窟(現美津町賀谷】等の報告をみると、「対馬に住んでいる日本人」の習俗から「南鮮」の影響をみながら、弥生式土器の出土に静岡県登呂遺跡の農耕集落を連想し、原史・古代においては、大陸・朝鮮半島の発掘事例を引用しながらも、「内地古墳の範疇に加えるにいささかも躊躇する必要がない」ということが強調されている。
日本考古学会のこうした解釈が、東亜考古学会のものと本質的に代わり映えしないことは驚くべきことではない。戦後民主主義の黎明期にありながら、ただ、先の近藤の文言にある「侵略」を、新しい「国民」や「国境」に置き換えればすむのである。すなわち、「国民」「国境」というものの無批判・無反省な容認・黙認の上に立って研究活動を展開すること自体、歴史的事実よりも新しい戦後の社会に対する理解の欠如を示し、それは日本の歴史を研究するものとして「重大な自己否定」となった。」(17.)

俵氏は、ベトナム考古学の紹介以来2度目、今回はご自身の出身地を題材にした論述である。

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殿平2013『遺骨』 [全方位書評]

殿平 善彦 2013 『遺骨 -語りかける命の痕跡-』かもがわ出版

ストレートな書名である。
著者を紹介するのは、2004年の『若者たちの東アジア宣言』、2006年の「土の中からの告発」『季刊戦争責任研究』に続く3度目である。

「死者は身近な人びとによって惜しまれ、その人と家族などの宗教あるいは心情によって追悼され、悲しまれ、その土地の文化によって葬送され、遺体あるいは遺骨が可能な限り心休まると思われる場所に埋葬あるいは安置される。いずれ忘れ去られるかもしれないにしても、その人を覚えている人たちによって懐かしがられ、思い出される。それらはすべて、その人の死であって、その人自身の生死の完結への歩みである。それらが遮断されることがあると、それはまさしく非業の死であり、プロセスとしての死は完了できない。
私たちは過去に、さまざまな死者を哀悼し、見送ってきた。それと同時にどれほど多くの死を無視し、放擲し、忘却してきたことだろうか。近代を振り返っても、無数の追悼されざる死があることに思いを致さざるを得ない。死を差別し、無視し、放擲してきたのは、もっぱら生者の側であり、近代がもたらした国民国家と敵国主義が大量の死者を非業の死へと追いやってきた。日本は明治期から太平洋戦争終結までの80年間にアジアとの戦争を繰り返し、植民地主義とレイシズムによって死者の数を増やし続けてきた。(中略)
死者はすでに生を終えているが、生者と無縁でいるのではない。私たち生者は死者に声を届けることはできないが、死者の声を聞くことはできる。生者と死者は重なっており、耳を傾けさえすれば、無数の死者の声が生者に届いていることに気づかされる。
過去の出来事と素直に向き合い、生者の周りに残された死者の痕跡に気づき、耳を澄ませば良い。無数の命が呟く歴史のかなたからのこだまが聞こえてくる。死者の声を聞くことができるなら、生者はもう少し思慮深くなり、冷静になることができるのではないか。」(15-18.)

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4:トリッガー2015『考古学的思考の歴史』 [全方位書評]

「外国の考古学的遺産、とりわけ古代の大文明がうみだした考古学的遺産を占有することによって、ヨーロッパ諸国は現代世界における自身の主導的役割を確認できた。1794年、勝利をおさめたナポレオン・ボナパルトは、多数のすぐれた古典美術作品をイタリアの美術館からパリへ組織的に運び去った。イタリアにあるよりもパリにあったほうが、フランスの卓越した文化によってそれらの真価をいっそう正当に評価できる、という理由からだった。大英博物館は1816年に、トーマス・エルギン卿から大理石像を購入した。それらはエルギン卿が1801~02年に、アテネのアクロポリスからもち去ったものであった。また19世紀前半には、フランスとイギリスの仲買人のあいだで、エジプトと北メソポタミアの古代芸術作品の獲得をめぐって、競争がつづけられていた。強大で富裕な国家のみが、まことに壮大な規模で、このような行為をなしとげる余裕があった。なかでも主要な国々が、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカであり、程度は少し劣るがイタリアであった。自国にとどまらず世界中の考古学的調査を実施することが、その国の優越性を表現する別途のやり方であった。上記の5国が、そうした努力においても抜きんでていた。このような行為は、その国の先史時代の理解に寄与することはなかった。しかし、その国の名声とプライドの源泉になった。この意味で大英博物館は、世界中から人工物を蒐集したとはいえ、そして近年では逆に批判にさらされているにもかかわらず、真に国家(ナショナル)の博物館なのである。」(184-185.参考文献は略、以下同)

著者は言及されていないが、日本がその「主要な国々」に連なることも明らかであろう。
「批判にさらされているにもかかわらず、真に国家(ナショナル)の博物館」とは、言い換えれば「原産地からの返還要求を拒み続ける限り、植民地時代の負の遺産を抱え続ける博物館」という意味である。

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3:トリッガー2015『考古学的思考の歴史』 [全方位書評]

「西洋では、機能論的な見方が、イギリスとアメリカの人類学における重要な潮流を代表しつつ急増し、洗練の度を増していった。1920年代には、考古学者がこの見方に背中をおされ、先史文化とは内的に差異化されつつも、ある程度は統合された生活様式だとみなしはじめた。ひるがえってこうした展開は、変化の外因だけでなく内因に関する考察をもうながした。当初、内因の検討は主として生態的・経済的要因に向けられていた。ただし、テイラーとクラークは、先史時代の生活パターンを復元するために考古学的データの使用を奨励するべく、多くのことをおこなったものの、考古記録に生じる変化の説明にはほとんど貢献しなかった。これと対照的にチャイルドは、社会変化に関するきわめて興味深いモデルをいくつか発展させたが、こうしたモデルをどうやって考古学的証拠の研究へと詳細に適用しうるか検討しなかった。これと逆に生態学的考古学とセトルメント考古学は、特定時点の先史文化とそれらの変化の仕方の両方に関する研究を促進した。エスニシティに拘泥する文化史的考古学は、ますます不毛なものになっていた。考古学的データにたいする機能的・プロセス的アプローチが発展をとげた結果、先史文化がどう機能し変化したかにたいする、活気に満ちた新たな関心が、文化史的考古学に徐々にとってかわっていった。」(277-278.)

「このうえなく華々しい考古学的発見を誰がどんな状況下でなしとげたかをつらつら列挙する、発見の年代記」(401.)ではなく、それぞれの調査・研究が先行する業績のどのような点を克服するべくなされたか、そのことがその後の業績にどのような影響を与えたかといった評価・賛否を的確に把握した上で、そのことに対する筆者の評価・賛否が述べられる。
これが、あるべき「学史研究」のあり方であろう。もちろんそのためには、相応の力量が求められる訳だが。

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タグ:説明 議論 解釈
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