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山本2017「マテリアリティとしての敷石とその場所が創る特異な景観」 [論文時評]

山本 典幸 2017 「マテリアリティとしての敷石とその場所が創る特異な景観 -縄文時代中期終末の石棒を残す敷石遺構-」『理論考古学の実践』Ⅱ 実践編、安斎 正人編、同成社:204-234.

「前稿の註8(山本典2016a:225-226)で、緑川東遺跡の敷石遺構SV1の機能や大型石棒のライフサイクルに関する問題提起に加えて、それらの分析経過と予測を述べた。少し長いが、一部の文章を入れ替えるとともに遺構名や遺物名、挿図の引用箇所などを補足した上で、以下に示す。」(206.)
として、旧稿の文章がほぼそのまま再録されている。その旧稿の文章については、五十嵐2016「緑川東問題」:17.にて、以下のように述べた。
「「まるで置かれていたかのような状態」とは、「置かれていたように見えるが、実は置かれていない」という理解を示している。「4本のほぼ未使用と推測された」という根拠も不明である。」(五十嵐2016:17.)

ところが、こうした事柄に関する応答は記されていない。というより五十嵐2016「緑川東問題」という論稿そのものに関する言及が一切なく、「引用・参考文献」にも挙げられていない。引用・参考に値しないとの判断なのだろう。同じような主題である前回紹介した中村2017と大きく異なる点である。

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中村2017「縄文時代中期末葉から後期初頭柄鏡形住居床面の石棒・土器・屋内土坑」 [論文時評]

中村 耕作 2017 「縄文時代中期末葉から後期初頭柄鏡形住居床面の石棒・土器・屋内土坑 -国立市緑川東遺跡SV1をめぐって-」『史峰』第45号、新進考古学同人会:1-18.

「その後、当該事例については多くの研究会や論文などで取り上げられたが、2016年になり、五十嵐彰(2016)が敷石構築時の石棒設置の可能性を提起した。つまり、a:一般的な敷石住居のb:廃絶後に、c:敷石が除去されて石棒がd:廃棄されたとする報告者の見解に対し、五十嵐は、b':当初から石棒をd':並置するa':特殊施設としてその部分にc':石を敷かずに構築されたという見方もできることを示した。この背景には、五十嵐が考古時間論、部材論(遺構/遺物論)など考古学的な思考方法を理論的に議論してきたことがある(五十嵐2011など)。」(1.)

問題提起に至る背景にまで言及して頂き、有り難いことである。

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タグ:緑川東問題
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「とてつもなくない」という評価について考える [雑]

「…五十嵐が示す根拠である「大形石棒の特殊性」については、長田が当日資料に記したようにあくまでも私達の主観的な考えにすぎず、それを考古学的事象、特に今回の発掘調査によって得られた情報によって証明することは難しい。「廃絶時設置」説の影に、五十嵐が言うとおり「石棒の廃絶時儀礼」という呪縛があるとすれば、五十嵐の側にも「大形石棒を「とてつもない」と感じる」ことが「あたりまえの感覚」(五十嵐2017)という呪縛があるように筆者には感じられた。」(合田 恵美子 2017「公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」」『東京の遺跡』第108号:1.)

言わば「呪縛返し」である。しかしどうも「筋」がずれているようである。
この「呪縛返し」の前提は、以下の文章である。
「あの4本の大形石棒が生み出されるにあたって膨大な時間と労力が費やされた、そこに当時の人びとの壮大な思いが込められていたという想定を否定する人はいないのではないか。」(五十嵐2017a「緑川東・廃棄時設置という隘路」『東京の遺跡』第107号:3.)
「とてつもない代物を「とてつもない」と感じる当たり前の感覚と、それを整合的につなげていく当たり前の論理が求められているのではないか。」(同:4.)

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五十嵐2017c「接合空間論」 [拙文自評]

五十嵐 2017c 「接合空間論 -<場>と<もの>の認識-」『理論考古学の実践』Ⅰ 理論編、安斎 正人 編、同成社:137-164.

「本稿では、接合という考古学的な空間事象が示す意味について考える。まず多様な接合様態について、水平方向の離散関係と垂直方向の重複関係に区分して、その全体像を確認する。次に石器および礫資料の実際の接合分布状況について、10m以上の長距離接合事例を中心に概観する。その際には特に「離散単独」という分布形態に着目する。さまざまな接合分布形態の内実を明らかにするために、異なる<場>から出土した2枚の剥片という最も単純な仮想例に製作と移動という基本モデルを組み合わせて実際の接合資料を説明する手立てとする。異なる場所から出土した資料が接合することによってもたらされる<場>と<もの>の相互関係が紡ぎだす豊かな語りについて考える。」(139.)

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公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」自由討論記録 [研究集会]

「公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」自由討論記録」『東京考古』第35号:1-20.(2017年5月

キーワードは2つ、「合わせ技」と「為にする議論」である。

「合わせ技」(3.)とは、「技あり」を2回取ったときに合わせて一本勝ちとなることをいう。すなわち「技なし」をいくら合わせても「一本」にはならない。問題は廃棄時説の4条件それぞれに「技あり」が認定されるかどうかである。更なる説明を求めたい。

「為にする議論」(10.)とは、「ある意図の下にあらかじめ結論を決めて、都合のいい論拠だけを挙げるような議論」(「はてなキーワード」より)である。どこかで聞いたような文言である。

「すなわちそれは何らかの考古事象の観察によって「敷石の除去」という判断がなされて、その結果として「廃棄時設置」という結論が導かれたのではなく、最初に「廃棄時設置」という結論があり、そのことを補強するために「敷石の除去」という説明が持ち出されたのではないか、という疑念である。」(五十嵐2017a「緑川東・廃棄時設置という隘路」『東京の遺跡』第107号:4.)

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タグ:緑川東問題
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緑川東問題の深層心理学(サイコアナリシス) [総論]

「そもそも緑川東問題が生じるに至った直接の契機は、「なぜ廃棄論者たちはあれほど「敷石の除去」にこだわっているのか」という素朴な疑問であった。」(五十嵐2017a「緑川東・廃棄時設置という隘路」『東京の遺跡』第107号:4.)

*なぜ、敷石除去にこだわるのか?
  なぜならば、一般住居の廃棄時設置だから。
*なぜ、一般住居の廃棄時設置なのか?
  なぜならば、石棒並置は石棒の使用形態ではないから。
*なぜ、石棒並置は石棒の使用形態ではないのか?
  なぜならば、石棒の使用形態は樹立だから。
*なぜ、石棒の使用形態は樹立なのか?
  なぜならば、石棒は男性器(男根)を模した<もの>だから。
*なぜ、男根を模した<もの>の使用形態は樹立なのか?
  なぜならば、男根の使用形態は樹立だから。

「石棒神話」すなわち樹立願望(マスキュリニズム)を明らかにしていかなければならない。
リビドーといったことも考えなければならないだろう。

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「返還考古学」という新しい枠組みへ [拙文自評]

五十嵐2017b「「返還考古学」という新しい枠組みへ -第8回世界考古学会議で考えたこと-」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報2017』第6号:9-13.

本稿は、2016828日から92日にかけて京都・同志社大学今出川キャンパスで開催された第8回世界考古学会議(WAC8)において文化財返還問題がどのように論じられたのかについて述べるものである。2016831日から921日にかけて発表した拙ブログの各記事(第2考古学)20161010日発行の『東京の遺跡』第106号(東京考古談話会)所収の「WAC-8が浮かび上がらせた世界の中の「日本考古学」」(106-34)と題する短文、2017128日に北海道大学アイヌ・先住民研究センターで開催された先住民考古学ワーキンググループ2016年度第1回ワークショップにおいて「返還問題から見る先住民考古学の位相 -返還考古学という視座-」と題して行なった口頭発表を基にしている。」(9.)

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緑川東の「必要」と「安易」 [考古誌批評]


2017年2月19日に開催された公開討論会における討論個所の記録化作業も進んでいるようである。
例年通りの発行ならば5月下旬には『東京考古』の最新号に掲載されるだろう。

「一方の敷石除去に関しては遺物出土状況からは確証が得られない。しかし、接合礫02・04・10・12などに床面レベルと壁ぎわ上部の接合が認められる点や(第82図)、のちに石棒上に投入される大形の接合礫09・53が除去された敷石の可能性を有する(図版7)といった状況証拠はある。また竪穴南西部に必要以上に積み上げ、あるいは敷石上に放置された礫の状態からも(図版7)、剝がされた敷石の行方を推測することができよう。」(黒尾・渋江2014「遺構における遺物の出土状況」『緑川東遺跡 -第27地点-』:131. 下線強調は引用者)

先の『公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」資料集』にも「敷石遺構SV1出土石棒の「並置」のタイミング」(3-4.)と題してわざわざ再録された文章である。いわば「廃棄時説」のカナメとも言えよう。

その中で気になるのは「必要」という言葉である。
この場合の「必要」とは、誰にとっての、どのような「必要」なのだろうか?
当然のことながらSV1を構築した当事者にとってどの程度壁面に礫を積み上げる「必要」があったかなどは、私たちに推し量る術もない。ということはあくまでも現代の私たちが、おそらく彼ら/彼女らにとってはこの程度は「必要」なのだろう、これ以上の高さに積めば「必要」以上なのだろうと推測した限りでの私たちの価値観を投影した「必要」なのであろう。

ところが、ここから次なる問題が生じる。
すなわち「廃棄時説」の根本は、通常の敷石住居(SI)を再利用して(中央部分の敷石と炉を除去して)大形石棒を設置して特殊な遺構(SV)にしたという「通常住居再利用説」なのだが、この場合の「通常の敷石住居」なるものを規定している要件こそが、正に「必要以上に積み上げない」という壁面敷石状況の「必要」性なのである。だから「必要以上に積み上げている」と考えたSV1という遺構は、「必要以上に積み上げない」「通常の敷石住居」ではないと自ら公言していることになりはしないか?

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ジョンソン2017『入門 考古学の理論』 [全方位書評]

マシュー・ジョンソン(中島 庄一訳)2017『入門 考古学の理論』第一企画(Matthew Johnson 2010 ARCHAEOLOGICAL THEORY: An Introduction. 2nd Edition, John Wiley & Sons Ltd.)


序 理論の抱える矛盾
第1章 常識だけでは通用しない
第2章 ニューアーケオロジー
第3章 科学としての考古学
第4章 ミドルレンジ・セオリー、民族考古学と物質研究
第5章 文化とプロセス
第6章 思想とイデオロギー
第7章 ポストプロセス考古学と解釈学的考古学
第8章 考古学、ジェンダー、アイデンティティ
第9章 考古学と文化進化論
第10章 ダーウィンの進化論と考古学
第11章 考古学と歴史学
第12章 考古学、政治及び文化
第13章 結論 理論の未来
用語解説
より深く学びたい人のために


隣接諸科学、例えば文化人類学、地理学、地質学などでは、こうした欧米における一般的な教科書がいくつも翻訳されており、それらを読むことで学部生や初学者が欧米における基礎的な知識を身に付けることができるように配慮されているのだが、「日本考古学」でもようやくそうした環境が整いだしたことを感じさせる一書である。

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タグ:翻訳 理論
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境<遺跡>問題 [遺跡問題]

富山県朝日町の翡翠や蛇紋岩を用いた石器の製作工程を明らかにした「境遺跡」ではない。
正確には「行政境界を含むあるいは接する<遺跡>問題」となろうか。
第2考古学の主要な部分を占める<遺跡>問題の一分野である。

私の数少ない発掘調査経験の中でも、そうした事柄に接触したことが2度ほどあった。
であるからして、全ての「遺跡」と称されている「包蔵地」における境<遺跡>の占める割合は1割(10%)とまではいかなくても、1分(1%)ぐらいは占めているのではないだろうか?

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緑川東討論会・その後 -「使用」概念を巡る若干の考察- [総論]

「…緑川東遺跡の敷石住居をどのような眼差しで観るのかということが明示されることが必要である。もちろん、すでに、触れたように、できる限り事実のネットワークの抵抗が少ない眼差しである。
だとすれば、四本の大型石棒が並置され、それは石棒の機能の一つを継続中なのだと考えること、敷石住居の建築部材の一部であると考えること、などなどの「気づき」はどのように仮説化されるのか、あるいは、どのように、最も事実の抵抗のネットワークの抵抗の少ない言明にすることはできるのかを考えなければならない。」(G・Gの考古学な毎日:公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」2017年2月26日

2月25日から3月10日にかけて5回に分けて公開討論会の感想が記されている。
おそらく拙ブログ記事「緑川東遺跡の大形石棒について考える(報告)」【2017-02-24】を読んで頂いたのであろう。
ビンフォードからシャンクス&ティリーまで種々述べられていることでよく理解できない部分もいくつかあるのだが、何より一つの反応を示されたということが大変有意義だと思う。

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過去への向き合い方 [学史]

「過去への批判は、過去の歴史と歴史遺産とどう向き合うかという、すぐれて現代の私たちの実践とかかわる問題である。」(春成 秀爾2016「日本考古学の父、濱田耕作」『通論考古学』岩波文庫(青N120-1):290.)

「南京陥落時の祝賀式で「南京陥落の快報は至れり。吾人皇国の臣民たる者欣喜の情景に譬ふるもの無し……」の訓示を垂れ、教練学生の閲兵などで濱田は総長として「厳然たる御姿」を見せた(寺田俊雄「濱田先生の追憶」『濱田先生追悼録』京都帝国大学文学部考古学教室、1939年)
しかし、本心はそうではなかったのである(「春成秀爾「二つの「古代の遺物」-濱田青陵」『考古学者はどう生きたか』学生社、2003年)」(同:293.)

さて、その「本心」とは?

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大島2014『月と蛇と縄文人』 [全方位書評]

大島 直行2014『月と蛇と縄文人 -シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観-』寿郎社

「…考古学の世界では出土品などの分類が目的化してしまい、ほかの学問の成果を取り入れて縄文人の精神性を明らかにするという作業を長い間怠ってきたのです。次から次と掘り出される資料の分類につねに翻弄されていて、その余裕がなかったともいえますが。
どんな学問もそうですが、考古学もまた「人間とは何か」を明らかにするためにあります。ですから縄文人についても、もっと人間としての側面から研究することが必要なことは明らかです。科学も文字もない社会で生きていくためには、もっぱら「人類の根源的なものの考え方」を用いて「世界(自然)を認識する」ことが必要だったはずです。」(6-7.)

著者は2月19日の公開討論会にわざわざ北海道から参加されて、励まされる意見を頂いた。
「合理的・科学的思考でものを考える、あるいは経済的価値観を至上とするような現代社会に生きる私たち」に対して刺激的で示唆に富むコメントだった。

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緑川東遺跡の大形石棒について考える(報告) [研究集会]

公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」
日時:2017年2月19日(日)
場所:東京都埋蔵文化財センター 2階会議室
主催:東京考古談話会 
後援:東京都埋蔵文化財センター・国立市教育委員会 
協力:セツルメント研究会

「報告書の刊行後に、大形石棒が設置されたのが「敷石遺構SV1」の廃絶時以降という報告書の所見に対して、製作時の可能性も否定できないのではないか、むしろそう考えるべきではないのかという疑義が、『東京考古』および『東京の遺跡』誌上で提示され、またそれに対する反論も出されています。」(東京考古談話会・企画担当 黒尾・追川・中村2017「公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」の開催にあたって」『公開討論会「緑川東遺跡の大形石棒について考える」資料集』)

「報告にしっかり目を通せば理解してもらえると信じている」(黒尾2016「考古学的判断の妥当性とは」)というのが「反論」に値するのか疑問とせざるを得ない。

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下原・富士見町遺跡Ⅲ<承前> [考古誌批評]

石材-石質-石質細分の非連動性以上に問題なのは、石材や石質や石質細分と接合個体の非連動性である。

「接合番号:接合個体を識別するIDで4桁の数字で表されている。0001番から接合した順序に新しい番号を与えていったので、最初は連番になっていたが、接合個体同士が接合した時に2つの接合番号が統合され、1つの番号(原則として若い方の番号)になった時、もう1つの番号は間違えのないように欠番としたため、抜けている番号がある。」(Ⅲ(2):16.)

ある接合個体は、ある石質細分あるいは石質あるいは石材に含まれるのではないのか?
こうした基本的な事柄が、どうして関連付けられずに「接合した順序に新しい番号を与えていった」という場当たり的な命名システムになってしまうのだろうか? 
述べられるべき問題は、欠番があるとかないとかではなく、より本質的な事柄が指摘されていたはずである。

「石材・原産地・母岩(非接合資料を含む)・接合(石核と剥片を含む場合は個体)・石器(石核・剥片など)という整合的な資料提示が必要である。」(五十嵐1998「考古資料の接合 -石器研究における母岩・個体問題-」『史学』67-3・4:120.)
「基礎データの提示としての報告書も、自らの報告内容の中だけで完結する自己満足的な提示方法ではなく、あらゆる状況に対応しうる提示方法と用語体系の構築が意図されなければならない。その上で、ただ接合すればよいというのではなく、接合実測図や接合分布図を材料として何をいかにして見い出していくのかという明確な意図が示される必要があろう。本稿で提示した問題の所在が受け止められ、生産的な議論がなされることによって現在の石器研究におけるもつれた糸が少しでも解きほぐされることを願う。」(同:121.)

未だに「整合的な資料提示」がなされずに、糸はもつれたままということの原因は何なのだろうか?
非整合的で自己満足的な資料提示の方が単に楽だから、といったことなのか?
遺物群の垂直方向の区分(「垂直区分帯」)や集中部の設定(Ⅲ(1):12-20.)には、あれだけ詳細で緻密な作業がなされているにも関わらず。
おそらく接合資料の表示システムを石材などと連動させないほうが、より有益であるとの判断に基づくのだろう。

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下原・富士見町遺跡Ⅲ(2) [考古誌批評]

東京都三鷹市・調布市 下原・富士見町遺跡Ⅲ 後期旧石器時代の発掘調査(2) 石器接合資料とその分布 2004~07年度明治大学附属明治高等学校・明治中学校新校舎建設予定地における埋蔵文化財発掘調査報告、明治大学校地内遺跡調査団調査研究報告書6、明治大学校地内遺跡調査団編、学校法人 明治大学 2016.7

日本全国の旧石器研究者が注視していた10年以上に及ぶビッグ・プロジェクトの最終成果品である。

「個体類型、MB、MC、MFの最初の1桁のMは個体を表しており、2番目のB、C、Fはそれぞれ折れ、石核、剥片の意味である。よって、MBは折れ・折り接合のみによって接合している個体を表している。MCは接合個体の中に石核を含む接合個体を表し、MFは剝離接合のみで、石核を含まない接合を表している。」(鈴木:15.)

そもそも、といった事柄から論じなければならない。

「「割る」という行為と、「割る」ことによって生じる「(剥片)剝離(剝離面)」(removal)という現象(痕跡)が区別される。こうした1回の打ち割り動作によって生成される石器資料(主に剥片および石核)を「石器単位」とする。(中略)
「折る」という行為についても、「折る」ことによって生じる「折損(折損面)」(breakage)という現象(痕跡)を区別する必要がある。打ち割りによって生じた「石器単位」に対して、その「石器単位」が「折れる」ないしは「折る」ことによって分割された破片(fragment)を「石器要素」とする。」(五十嵐2002「旧石器資料関係論」『研究論集』第19号:35.一部改変)

提示された「MB」・「MC」・「MF」という接合個体類型は、同等の、すなわち同じレベルの類型といえるのだろうか?
折損面での接合(私の「2類接合」)に対応するのは、剝離面での接合(私の「1類接合」)だけなのではないか?
どうしても剝離面接合個体において、石核が含まれるか含まれないかを識別したいのならば、階層を一つ落とした区分、亜類型としなければならないのではないか?
そもそもなぜ、それほど石核が含まれるか含まれないかにこだわるのだろうか?
ここから、ぼんやりと「砂川神話」が透けて見えてくる。

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先住民考古学ワーキンググループ・第1回ワークショップ [研究集会]

先住民考古学ワーキンググループ 2016年度 第1回ワークショップ

日時:2017年1月28日(土)
場所:北海道大学アイヌ・先住民研究センター 会議室
13:00- 趣旨説明
13:15- 話題提供1 友田 哲弘(旭川市教育委員会)
13:45- 話題提供2 猪熊 樹人(根室市歴史と自然の資料館)
14:30- 話題提供3 八幡 巴絵(白老町アイヌ民族博物館)
15:00- 話題提供4 五十嵐 彰(東京都埋蔵文化財センター)

「返還問題から見る先住民考古学の位相 -返還考古学という視座-」と題して発表した。
話しの内容は、昨年の夏に行なわれたWAC-8における返還を巡る状況そして先住民考古学と植民地考古学の相互の関係など最近考えていることである。
一つの見通しは、アイヌ考古学―先住民考古学―植民地考古学―近現代考古学という階層の異なる入れ子状態の部分-全体関係である。

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緑川東遺跡の大形石棒について考える(予告) [研究集会]

【公開討論会】 緑川東遺跡の大形石棒について考える(予告)

日時:2017年2月19日(日)13時~17時(開場12時30分)
場所:東京都埋蔵文化財センター2階会議室

主催:東京考古談話会
協力:セツルメント研究会
呼びかけ人:五十嵐 彰・黒尾 和久・小林 謙一
【趣旨】
2012年6月30日に、国立市緑川東遺跡の「敷石遺構SV1]と名付けられた遺構から長さ1mを超える大形石棒が4本並んで出土しました。発見当初から大きな話題となりましたが、未だにその評価が定まりません。特に大形石棒が設置されたのが「敷石遺構SV1]の製作時なのか、それとも廃棄時なのかという点について異なる意見が提出されています。今回は、両方の論者を招いてそれぞれの論拠を示してもらい、会場の参加者と一緒に4本の大形石棒を巡る諸問題、考古学的な事象から導かれる私たちの判断・解釈・説明のありかたについて円卓形式で自由に議論をしたいと思います。
【タイム・テーブル】
13:00- 趣旨説明(小林) 13:10- 基調報告(黒尾) 13:30- 対論提示(五十嵐)
13:50-17:00 コメント・自由討論
*参加費は無料、申し込みも不要です。できるだけ多くの方々に参加して頂くことを希望しています。ただ緑川東遺跡の報告書(ダイサン編2014『緑川東遺跡 -第27地点-』)とその対論(五十嵐 彰2016「緑川東問題」『東京考古』第34号)が議論の前提となりますので、予め目を通していただければ理解の助けになるかと思います。また『東京の遺跡』(東京考古談話会)でも、調査速報(99号)、報告書紹介(101号)、シンポジウム紹介(102号)、考古学的判断の妥当性とは(106号)、廃棄時説という隘路(107号)など関連した文章が掲載されていますので、ご参考にして下さい。

以上、配布チラシより

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これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書(案) [総論]

北海道アイヌ協会・日本人類学会・日本考古学協会2016『これからのアイヌ人骨・副葬品に係る調査研究の在り方に関するラウンドテーブル報告書(案)』

「従来の研究者の取り組みには、開拓史観や適者生存・優勝劣敗的な古い社会進化論的発想が含まれ、植民地主義や同化政策の負の歴史につながるものが見られた。他者の文化を議論しているという意識が欠落し、アイヌの声を聞いてこなかった側面が多くあった。またアイヌへの研究成果の還元も十分なされてきたと言い難く、一部の研究においては、アイヌへの社会的偏見を助長する事例の存在を認めざるを得ない。
考古学では、アイヌの歴史を日本列島の一地方の問題として捉え、全国的な課題として、また隣接地域との関係から位置づける視点が欠け、人類学においてはアイヌが先住民であるか否か、アイヌと縄文時代人と関係があるかなどの研究が進んだが、両学会とも日本国における先住民族問題、民族差別問題との関わりを意識する視点が欠けていた。

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考古学的撞着論法 [総論]

世に「考古学的撞着論法」(archaeological oxymoron)なるものが存在する。

【経緯】
当初は一般的な敷石住居(SI)として調査していたが、結果として炉の不在および大形石棒の存在を理由として特殊な敷石遺構(SV)に改められた。
「確認当初は、竪穴構造の住居跡(SI1)と認識した。その後、調査の過程で石積みの壁を有し、床に一部敷石をもつことが確認された。しかし完掘時において炉址が検出されず、また床面上に大型石棒が並置されていたことから、遺構種別を住居から敷石遺構(SV1)に変更した。」(12.L)

【論点】
廃絶時説の大前提は、大形石棒が並置されて「SV」とされる以前は「SI」であった、すなわち一般的な住居(SI)を再利用して特殊な遺構(SV)に改変したというものである。
「実態としては、残存するSV1の内外観等にもとづき施設の主軸に合わせて石棒を並べたと考えるのが妥当と思われる。」(131.R)

自らが否定した存在を、今度は自らが証明しなければならない訳である。

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