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田中2017『文化遺産はだれのものか』 [全方位書評]

田中 英資 2017 『文化遺産はだれのものか -トルコ・アナトリア諸文明の遺物をめぐる所有と保護-』春風社

2007年にイギリスの大学に提出した博士論文をもとに、その後の成果も含めて昨春出版された。非常に重要な成果である。

「一般に、文化遺産の返還問題とは、盗難や売買など何らかの事情により本来あった場所から移動した文化遺産(考古学的遺物)に対して、そうしたものが本来あった場所にあるのが自然であるという考え方に基づいて、その返還を求めることである。すなわち、「文化遺産は誰のものか」、「文化遺産はどこにあるべきか」という、文化遺産の所有と保存されるべき場所の二点が争点の中心になっている。」(133.)

トルコは、ギリシャ・エジプトと並んで、数多くの文化財が国外に流出している「原産国」である。
トルコ北西部に住むある人は山に狩猟に出かけて「地面から鉄の棒のようなもの」が突き出ているのを見つけて、そのことを警察に届けなかったということで、逮捕されて刑務所に入れられてしまったという(29.)。トルコでは、いかに政府が考古資料の保全・管理に気を使っているかという逸話である。
その背景には、トルコにおいて遺跡の盗掘や遺物の不法流出が横行している問題がある。
ある人は、「トルコでは耕運機よりも金属探知機の方が多い」とすら言う。

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タグ:返還問題
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緑川東問題2018(その6) [雑]

どうも動きがないようである。
皆さまのご助力が必要です。
別種の「クラウドファンディング」である。

【東京国立博物館宛 公開質問状】

1.展示No.147の説明文にある「炉跡を挟んで」という文言は、どのような根拠に基づいているのか、ご説明下さい。もし説明できないのでしたら、どのような経緯でこのような文言が記載されるに至ったのか、その経緯についてご説明下さい。

2.本来借用資料に関する説明文は借用先の了解の下で記されているものと理解していますが、どのような了解が得られているのでしょうか? もし了解が得られていないのだとしたら、そうした在り方が東京国立博物館として通常の在り方なのかどうかについて、ご説明下さい。

とりあえず…

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タグ:緑川東問題
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緑川東問題2018(その5) [総論]

なかなか収束が見えない。

7月3日から9月2日まで開催されている東京国立博物館における特別展「縄文 -1万年の美の鼓動-」の展示キャプションから
「147 整然と横たえられた大形石棒 重要文化財 石棒
 東京都国立市 緑川東遺跡出土
 縄文時代(中期~後期)・前3000~前1000年
 東京・国立市(くにたち郷土文化館保管)
石敷きの建物跡の底面から、炉跡を挟んで2本ずつ4本が整然と横たわるように出土した。形や大きさなどに強い規格性がうかがえる。大形の石棒がほぼ完形で、かつ4本が整然とまとまって出土するのは極めて珍しい。」

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緑川東問題2018(その4) [論文時評]

「(緑川東遺跡の)敷石遺構(SV1)の周縁部には柱穴と推定されるピットと周溝があることから上屋をもつ建物跡と推定されるが、同遺跡で見つかっている柄鏡形敷石住居とは掘り方の深さや平面形が異なる。」(谷口 康浩2017「柄鏡形住居研究の論点と課題整理」『国史学』第223号:21.

 

「SV1は、他の調査地点の緑川東遺跡や周辺遺跡の柄鏡形住居の事例をみると、主体部の規模や竪穴の構造において何ら大きく異なる点がみつからない。また、敷石の間隙に小礫を埋める手法や対ピットが存在すること、柄鏡形住居の構造で特徴的な主軸を中心として左右対称である点、石棒が2本ずつ左右に配置されている点、石の敷き方で奥壁部空間や出入口部の石のない空間が存在する点などに柄鏡形住居の特徴がみられる。」(本橋 恵美子2018「東京都国立市緑川東遺跡の敷石遺構SV1について」『東京考古』第36号:125.

 

前者の「掘り方の深さや平面形が異なる」は「特殊遺構説」、後者の「主体部の規模や竪穴の構造において何ら大きく異なる点がみつからない」は「一般住居説」である。

ある一つの遺構に対して、ここまで異なる見解が生じているということが、他の世界の人びと、例えば物理学の研究者や運送業に従事する人びとは到底理解できないだろう。

果して、この両者に折り合える余地、妥協点は見出せるのだろうか?

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緑川東問題2018(その3) [論文時評]

「後期初頭の敷石遺構床面から四本並んで出土した石棒が重要文化財に指定され、企画展や研究会が開催された。緑川東問題とは、この石棒が敷石廃絶時に置かれたものとする報告書の見解に対し、敷石敷設時から置かれていたとも考えられることを端緒に、「敷石=住居説」や「石棒は樹立されるもの」という前提への異議を唱えた五十嵐 彰の語であり、様々な見解が提示されている。また、国史学会で柄鏡形敷石住居に関する研究会が開催され、その成果が刊行されている。この中で谷口康浩・山本暉久が緑川東例の評価も含め、それぞれの立場から研究の現状と論点・課題をまとめている。」(中村 耕作2018「縄文時代」『史学雑誌』第127編 第5号(2017年の歴史学界 -回顧と展望-)史学会:19-20、参考文献は引用略)

ということで、昨年末に提出された文章について確認する。

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いま『コロニアリズムと文化財』を考える [研究集会]

《荒井信一先生追悼シンポジウム》「いま『コロニアリズムと文化財』を考える -文化財をめぐる日韓・日朝の葛藤の歴史、現状と今後を語る-」

日時:2018年 6月 3日(日)14:00~17:00
場所:大阪経済法科大学 東京麻布台セミナーハウス2F 大会議室
呼びかけ・共催:韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議、東アジア歴史・文化財研究会
後援:岩波書店、国外所在文化財財団

1. 日本帝国の文化財略奪と『東洋史』(李 泰鎮)
2. 『コロニアリズムと文化財』の意義と課題(李 成市)
3. コロニアリズムと『文化的暴力』(康 成銀)
4. 日本に在る朝鮮由来の文化財、なぜ、ここに(李 素玲)
5. 『コロニアリズムと文化財』と考古学(森本 和男)
6. 『コロニアリズムと文化財』をどう読んだか -国際法の視点から-(戸塚 悦朗)

「荒井信一先生が昨年10月に逝去されてから半年が経過しました。晩年の先生のお仕事の中で、貴重で内外から高く評価されているのが、2012年に発行された岩波新書『コロニアリズムと文化財』でした。日韓併合100年の2010年に朝鮮半島由来の文化財の問題が注目され、2011年には「日韓図書協定」批准のための衆議院外務委員会に招かれて、参考人として意見を述べるなど議論を深めて、まとめられた著作でした。植民地期に流出した文化財の問題を、世界史的な視野で議論した画期的な著作で、韓国語にも翻訳され出版されました。同書刊行から6年近くがたち、その後に起きた出来事や葛藤もふまえて、改めて同書を読み、いま何を学び、今後に生かしていくべきかを語るシンポジウムを開催します。」(シンポジウム案内チラシより)

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緑川東問題2018(その2) [論文時評]

前回の和田2018に引き続いて掲載されているのが、以下の文章である。

本橋 恵美子 2018 「東京都国立市緑川東遺跡の敷石遺構SV1について」『東京考古』第36号:113-128.

「SV1は、上屋構造をもつ竪穴建物で、敷石は中央の土坑を造ってから石棒とともに配されたものとみられる。」(114.)
敷石と石棒の同時構築、すなわち「石棒設置敷石住居製作時説」である。

惜しむらくは、引用ミスが頻発していることである。

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緑川東問題2018(その1) [論文時評]

新たな論点が提示された。

和田 哲 2018 「緑川東問題について -特殊遺構・石棒配置の証明-」『東京考古』第36号:103-112.

「ここでは、多岐にわたる問題があるが、敢えて、論点を下記の2点に絞って論証したい。
 ①、敷石遺構SV1は一般的敷石住居ではなく、特殊な祭祀遺構であること。
 ②、4本の石棒は敷石を一部剥がして、その部分を平坦にならして並置されたこと。」(104.)

前者(①)は私と同意見なので、後者(②)について感想を述べてみよう。
後者(②)は、4点(a, 多摩川中流域の敷石住居構築の地域的特徴 b, 敷石を剥がした証拠について c, 床下土坑と敷石の関係 d, 石棒の並置について)に分けて述べられているが、特に「b, 敷石を剥がした証拠について」(109.)が焦点となる。

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2018b「考古累重論」 [拙文自評]

2018-5-26「考古累重論 -<場>と<もの>の相互関係-」『日本考古学協会第84回総会 研究発表要旨』:50・51.

「考古学における層位論に関連する文章では、「下層が古く堆積し、上層は新しく堆積した」という地質学の「地層累重の法則」に言及して「下層の遺物は古く、上層の遺物は新しい」と述べられることがある。しかし前者の法則から本当に後者のような論述を導くことができるだろうか? そこには「日本考古学」独特の論理の飛躍あるいは逸脱があるように思われる。考古資料を、<場>と<もの>の相互関係として捉えてみたい。」(50.)

ということで、まず型式論における「一括遺物」を「単層の場合」と位置付けて「面と点の関係」を確認し、次に層位論における「累重関係」を「重層の場合」として「<場>と<もの>の関係」から、両者を統一的な視点から認識した場合に、現在の「日本考古学」の言説状況をどのように評価できるかについて考えた。

昨年本ブログにおいて提出した夏休みの宿題【2017-07-22】とその暫定的な回答【2017-07-29】について、もう少し考えを深めた結果である。

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鞆谷2011『日本軍接収図書』 [全方位書評]

鞆谷 純一 2011 『日本軍接収図書 -中国占領地で接収した図書の行方-』大阪公立大学出版会

「本書は、2011年3月に受理された博士論文「第二次大戦中の中国における日本軍接収図書の研究」(大阪市立大学大学院創造都市研究科)を単行本化したものである。」(231.)

「第一の目的は、第二次大戦中の中国における日本軍接収図書の史実を明らかにすることである。
第二の目的は、史実を明らかにした上で、日本軍図書接収の目的について、筆者自身の検証結果を示すことである。(中略)
第三の目的は、国内の主な機関に搬入されていた接収図書の搬入経緯や、その後の扱い、敗戦後の返還状況を明らかにすることである。」(18.)

中国大陸における日本軍占領地における図書の接収・略奪(筆者は戦時期については「接収」を、戦後期については「略奪」という語を使い分けている)の状況が、華北・華中・華南・上海・香港・北部仏印を対象として詳細に記されている。植民地である台湾と満洲は対象外とされた。それは、1946年のGHQによる「略奪財産の没収と報告」という指令(SCAPIN885)の対象が、1937年7月7日以降であるからという(19.)。

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2018a「「生ける歴史」とは何か -渤海国半拉城址発掘を中心に-」 [拙文自評]

2018-5-1「「生ける歴史」とは何か -渤海国半拉城址発掘を中心に-」『韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議年報』第7号:8-10.

「「死せる歴史」ではない「生ける歴史」として過ぎ去った時代をどのように評価するのか、私たちの植民地支配に対する歴史的な責任が深く問われている。」(9.)

最近記した3本のブログ記事を元に、昨年亡くなられた先学に対する拙い献呈文とした。

偶然出会った対談記録、そこでは当時の満洲国の文化財担当者によって、関東軍が遺跡の発掘調査を秘密裡に強行したことが回顧されていた【2018-02-17】。回顧者は自らを「不逞な思想を持っていた」、「当時の軍は始末に負えなかった」と述べていた。早速本人の当時の著書を取り寄せたところ、そこには「軍によって文化財が保護されて時局に翼賛した」とか「満洲国の建国は歴史の必然である」といった、対談で述べられていたことと全く異なることが記されていた。

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黒尾2017「韓国・昌寧古墳群の出土品「鉄道貨車二台分」は「事実」か?「伝説」か?」 [論文時評]

黒尾 和久 2017 「韓国・昌寧古墳群の出土品「鉄道貨車二台分」は「事実」か? 「伝説」か? -『韓国の失われた文化財』出版を機に省察する-」『二十一世紀考古学の現在』山本暉久先生古稀記念論集、六一書房:681-690.

「本稿は、『韓国の失われた文化財』を媒介にして、自らの歴史認識について省察を行う、その一里塚である。」(681.)

筆者が本論を記すに至った経緯をまとめると以下のようになる。

金 泰定1988「『日本書紀』に現れた対韓観」『先史・古代の韓国と日本』で昌寧の出土品が「鉄道貨車二台分」になったという記述に対する編者である斉藤 忠1988「本書の編集にあたって」『先史・古代の韓国と日本』の「伝説化」という「釘刺し」、そして李 亀烈1993『失われた朝鮮文化』における金1988と同様の記述から、その根拠が梅原 末治1946『朝鮮古代の文化』ではなく、同1947『朝鮮古代の墓制』であることを確かめて、斎藤の「釘刺し」は「退けられるべき」との結論を得る。
最近になって、黄 壽永編(李 洋秀・李 素玲訳)2016『韓国の失われた文化財 -増補 日帝期文化財被害資料-』の解題(李 基星)によって、原書(黄1973)の誤り(梅原1946ではなく1947であること)が正されていることを確認する。

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2018『武蔵台遺跡・武蔵国分寺跡関連遺跡』 [考古誌批評]

東京都埋蔵文化財センター 2018 『府中市 武蔵台遺跡・武蔵国分寺跡関連遺跡 -都立府中療育センター改築工事に伴う埋蔵文化財発掘調査-』東京都埋蔵文化財センター調査報告 第334集(第1分冊 旧石器時代編・第2分冊 縄文時代以降編)

待望の考古誌である。
ここでは、第1分冊の「第4図 武蔵台遺跡・武蔵国分寺跡関連遺跡における調査地点」(20頁)という挿図を読み解くことを課題とする。

#1「本調査区」以外に以下の8種類の調査区が各種のスクリーントーンで表示されている。
#2「薄いトーン」武蔵国分寺跡関連遺跡(府中市教育委員会)
#3「薄いトーンに密な〇」武蔵国分寺跡関連遺跡(府中市遺跡調査会)
#4「薄いトーンに疎な〇」武蔵台遺跡(都立府中病院内遺跡調査会)
#5「やや濃いトーン」武蔵台東遺跡(都営川越道住宅遺跡調査会)
#6「濃いトーン」武蔵国分寺跡関連遺跡・武蔵台遺跡(東京都埋蔵文化財センター)
#7「濃いトーンに左下がり斜線」武蔵台遺跡(東京都埋蔵文化財センター)
#8「薄いトーンに右下がり斜線」武蔵国分寺跡関連遺跡(東京都埋蔵文化財センター)
#9「濃いトーンに幅のある横線」武蔵国分寺跡関連遺跡(武蔵台西地区)(東京都埋蔵文化財センター)

すなわち、5つの調査組織(府中市教育委員会・府中市遺跡調査会・都立府中病院内遺跡調査会・都営川越道住宅遺跡調査会・東京都埋蔵文化財センター)による4つの(あるいは5つの)<遺跡>(武蔵国分寺跡関連・武蔵台・武蔵台東・武蔵国分寺跡関連 武蔵台・武蔵国分寺跡関連(武蔵台西))の調査履歴が示されている。こうした複雑な関係が1枚の挿図に圧縮して表示されているが、その相互の関係を理解するのは容易ではない。そもそも9種類の微妙なトーンの差異を識別していく作業自体が難行である。

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早乙女・設楽編2018『新訂 考古学』 [全方位書評]

早乙女 雅博・設楽 博己編 2018 『新訂 考古学』放送大学教材 1554921-1-1811(テレビ)、放送大学教育振興会

放送大学の2018年度開講科目「考古学」の印刷教材である。2009年度開講科目教材の泉 拓良・上原 真人編2009『考古学 -その方法と現状-』と読み比べると、この間の「日本考古学」の「方法と現状」認識の推移が伺えて興味深い。以下、左に2018年の新『考古学』、右に2009年の旧『考古学』の章立てを対比して示す。

2018『新訂 考古学』                2009『考古学 -その方法と現状-』
1. 考古学とは何か(早乙女 雅博)            1. 考古学とは何か(泉 拓良)
2. 野外調査の方法と実際(西秋 良宏)          2. 発掘調査の歴史と実際(泉 拓良)
3. 年代決定論① -相対年代と編年-(設楽 博己)         3. 考古学があつかう年代(上原 真人)
4. 年代決定論② -絶対年代-(藤尾 慎一郎)           4. 年代の理化学的測定法(清水 芳裕)
5. 考古資料による空間分析(設楽 博己)         5. 層位学と年代(阿子島 香)
6. 自然科学とのかかわり(佐藤 宏之)          6. 型式学と年代(岡村 秀典)
7. 狩猟採集民の生活技術(佐藤 宏之)          7. セリエーションとは何か(上原 真人)
8. 農耕民の生活技術(藤尾 慎一郎)           8. 遺物の機能をさぐる(上原 真人)
9. 集落に暮らす人々(早乙女 雅博)           9. 使用痕分析と実験考古学(阿子島 香)
10. 精神文化(設楽 博己)               10. 民具と考古学(上原 真人)
11. 日本の考古学① -旧石器・縄文・弥生時代-(設楽 博己)11. 考古学と分布(泉 拓良)
12. 日本の考古学② -古墳時代-(早乙女 雅博)       12. 産地同定と流通(清水 芳裕)
13. 世界の考古学① -朝鮮半島-(早乙女 雅博)       13. 東アジア古代の青銅器分布(岡村 秀典)
14. 世界の考古学② -西アジア-(西秋 良宏)        14. 遺跡内での遺物分布(阿子島 香)
15. 考古学と文化財の保護(早乙女 雅博・設楽 博己)  15. 考古学の多様性(泉・阿子島・溝口・岡村・上原

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古谷ほか編2017『「物質性」の人類学』 [全方位書評]

古谷 嘉章・関 雄二・佐々木 重洋(編) 2017 『「物質性」の人類学 -世界は物質の流れの中にある-』同成社

前々回「奥野・石倉2018」【2018-03-17】、前回「インゴルド2017」【2018-03-31】といった世界の人類学の潮流(人類学の静かな革命すなわち存在論の人類学)に対する日本の人類学(考古学を含む)からの応答である。
2011~15年に国立民族学博物館でなされた「物質性の人類学 -物性・感覚性・存在論を焦点として-」と題する共同研究の成果報告である。考古学からは【物性の問題系】と題するセクションにおさめられた関 雄二「アンデスの神殿に刻まれた人間とモノの関係」、 溝口 孝司「モノの考古学的研究」、松本 直子「縄文土器と世界観」の3本である。

まずは主催者から考古学への呼びかけ。
「考古学は、人類学と違って生身の人間を直接に観察することができない。なかでも文献資料を活用することができない先史考古学の対象は、モノと物質以外にない。物質からなるモノを通して、かつて生きていた過去の人間たちの営みを回復することこそが、考古学の目的なのである。それゆえ必然的に、「物質性」は考古学研究の中心に位置する。しかし、考古学の最先端の議論を追いかけ始めてみると、外から見ていたときに思っていたほど話は単純ではないことがわかってきた。モノの物質性そのものは、実は考古学においても不当に等閑視されてきたという批判が、考古学者によってなされていたのである。(中略)
エジプトの新王国時代を専門とする考古学者であるメスケルによれば、「物質性とは、世界への私たちの物理的関与であり、世界という織物へと私たちを差し入れる媒体であり、外に具体化するかたちで文化を私たちが構成し、形成するしかたである」(Meskell 2004, p.11)。この定義は、「物質性」について考える際に注目すべき、三つの側面に言及している。第一に、私たちは世界に物理的に関わって生きているという「物質的関与」であり、第二に、物理的なモノである身体を介して私たち人間は世界に関与するという「物質的身体としての人間」であり、第三に、私たちは文化を自らの内側だけでなく自らの外側に作り上げるという「物質化」である。一言で言えば、人間が物質たる身体を介して物質からなる世界を体験しつつ、そこに働きかけて物質からなるモノを産み出しているというプロセスこそが、本書でじっくり考察してみようと考えている問題に他ならない。」(古谷 嘉章「プロローグ 物質性を人類学する」:7-9.)

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インゴルド2017『メイキング』 [全方位書評]

ティム・インゴルド(金子 遊・水野 友美子・小林 耕二 訳)2017『メイキング -人類学・考古学・芸術・建築-』左右社(Tim INGORD 2013 MAKING: Archaeology, Anthroplogy, Art and Architecture.)

「アート、建築、人類学という三つのAに、四つ目のAである考古学が加わったのは、マンチェスターからアバディーンに移り住んだ時期のことだった。そこには幾分か、考古学と人類学の境界上を長いあいだ彷徨ってきた、わたし自身の関心が反映されている。そこに考古学が入らなければ、アートと建築と人類学をめぐる関係の議論が完成することはないと確信したのだ。人類学と考古学の両者は、時間と風景のテーマを統合する(Ingold 1990)。人類学と考古学は、人間生活における物質的な形式や象徴的な形式への関心を共有するなかで、互いにずっと良好な関係だったわけではないのに、長いあいだ姉妹のような分野だと考えられてきた。その上、考古学の歴史とアートや建築の歴史には、明確な類似性がある。それは、人工物や古代の建築物へむける共通の関心だ。」(35.)

ティム・インゴルド氏は、プルーセル&ムロゾフスキー編2010『現代考古学の理論』と題する読本の筆頭に「景観の時間性」(1993)が収録されている理論考古学の文字通り第一人者である。

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奥野・石倉 編 2018『Lexicon 現代人類学』 [全方位書評]

奥野 克巳・石倉 敏明(編)2018『Lexicon 現代人類学』以文社

Lexicon(レキシコン)とは、語彙目録・用語辞典といった意である。「01. 再帰人類学」から「50. ホモ・サピエンス」までの50項目について27人の執筆者によって解説されている。執筆者の内訳は、1950年代生まれ1人、60年代9人、70年代8人、80年代6人(不明3人)と若手中心である。2018年の最新の研究状況が伺われる。
全体を通しての最多頻出被引用者は、圧倒的にエドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロである。

「1980年代から90年代にかけて、人類学者は、フィールドワークと民族誌の記述という人類学の学問的営為それ自体を俎上に載せて検討することに向かい、客観主義との関係で、現地調査のあり方や文化の記述の問題点を主題化した。人類学の「ポストモダン」である。その流れを汲んで、やがて、「ポストコロニアル」の時代には、人類学の政治性を暴き立てる方向へとしだいに歩みを進めていった。このように、人類学が内向きに猛省をつづけた時代のことを、今日、「再帰人類学」の時代と呼ぶ。(中略)
…再帰人類学の時代は、ゆるやかに「人類学の静かな革命」と呼ばれる今日の潮流につながっている。それは、アミリア・ヘナレ、マーティン・ホルブラードとサリ・ワステルによれば、再帰人類学を耐え忍んで、じっくりと熟成したひとつの潮流である。ブルーノ・ラトゥール、アルフレッド・ジェル、マリリン・ストラザーン、エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、ロイ・ワグナーらがその流れをつくっているとされる。」(奥野 克巳「01. 再帰人類学」:12-13.)

「自己への回帰性」にこだわる人類学が「再帰人類学」で、現代人類学は既にそうした状況を通り抜けているという。「単に掘り出された過去を撫で回すだけでなく、撫で回す私たちの在り方、撫で回し方をこそ考えなければならない」という第2考古学とは正に「再帰考古学」である。とすると、こちら(日本考古学)はあちら(現代人類学)に比べて1周半どころか、2周半遅れている状態となろうか。

本書の編者の一人が『現代思想』に掲載した「「存在論の人類学」をめぐる相関図」(石倉 敏明2016「今日の人類学地図 -レヴィ=ストロースから「存在論の人類学」まで-」『現代思想』第44巻 第5号:311-323.)が、考古学を取り巻く現状を俯瞰するのに便利である。

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斉藤(小野)2015『斉藤優遺稿集』 [全方位書評]

斉藤 優(小野 智子 翻刻・注解・編著・発行) 2015 『斉藤優遺稿集:渤海半拉城址発掘史にみる近現代東アジアの軍事と文化』

「筆者は、元来渤海国の仏教文化に関心をもち、特に斉藤が半拉城址で発見した二仏並座像の分析を中心に研究していた。しかし、これら二仏並座像は、いついかなる経緯で発掘され、総じて何体発見され、現在それらはどこに所蔵されているのかが明らかになっておらず、筆者はそのような現状に疑問を抱き、これらの解明に関心を寄せてきた。何故なら、渤海の遺跡の場合、発掘行為自体が大変な政治的事業であり、出土遺物をどこの研究機関で所蔵するかという問題は、時々の政治的動向に左右され続けてきたため、これらの史実を明らかにすることは、渤海史のみならず、近代日本と東アジアの政治的背景を明らかにすることに繋がる重要課題だからである。故に筆者は、渤海の半拉城址の発掘調査史とそこから出土した二仏並座像をはじめとする仏教関係遺物の所管経緯を解明することを始めた。」(はじめに:1.)

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斉藤1978『半拉城と他の史蹟』 [考古誌批評]

斉藤 優 1978『半拉城と他の史蹟』半拉城史刊行会

「…戦死された渡辺部隊長以下の戦友、満州側各位の冥福を祈り、他面に健在戦友の健康を祝福し、私の記念のためにも充分ではないが、半拉城と他の史蹟の名のもとに、一度は印刷されたものであるが、追想等をまぜて取り纏めたものである。」(自序:1977年5月5日)

筆者の斉藤 優氏は、三宅1944で「斉藤甚兵衛軍曹」、三宅・鈴木1977で「S軍曹」とされた方である。
「実は九才で父が亡くなったので襲名したが、小学校の先生が旧式に改ためるのは可哀相だと父のつけて呉れた名を今も通称としており、家の付き合いには家名をつかっていると説明した。」(137.)
「通称」が優、「家名(戸籍名)」が甚平衛である。

「満洲事変以来、大東亜戦の終戦までに応召した人は一千万を遥かに越えていると思う。それらの中には色々の人がいたことから、軍務の外に戦地又は外地で種々の分野の調査研究をした人も少くないに違いない。しかし、それを報告書その他に出版した人となると、作家などは別として余り多くはあるまい。私は一介の野人に過ぎないが、所謂若い村の考古学徒として、渤海伝には日本道として見えている五京の一、東京龍原府址の半拉城を発掘調査し報告書を刊行した。その生涯は幼少にして両親に死別し、たった一人の祖母にも死なれ、孤独になった上に入営、再三の応召と不幸であったと云う外はないが、この点だけは、ほんとうに幸だったと自ら慰めている。」(自序)

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藤森1969「日本考古学への断想」 [論文時評]

藤森 栄一 1969 「日本考古学への断想」『中央公論』第987号(第84巻 第11号)1969年11月1日発行:264-276.

「玩物趣味から生きた人間生活の復原探求へ 日本考古学と共に歩んだ学究の回顧と反省」と記された半世紀前の文章である。以前に紹介した『心の灯』は、本論の2年後に出版された。

冒頭の小見出しは、「資料のつぶて」である。
本文が記された時代背景を知らないと、何のことか皆目見当がつかないだろう。

「この正月の夢を破った東大紛争の頂点、安田砦の攻防戦で、なによりも私をおどろかせたのは、文学部考古学教室の、明治以来たくさんの考古学者が命をかけて世界の各地から将来した考古学資料が礫に割られて投石の弾になったという、ごく一握りの学生たちのハプニングであった。
追いつめられれば、むろん人間はダイヤでも金貨でも投げるだろう。(中略)
わたしにとって、それはそれはあまりに強いショッキングな事実であった。大学というところへは、とうとう縁がむすべず、それでもなお、地方の混沌たる生活の中に浮きしずみしながら学問を恋いつづけ、大学をしたいとおしてきた、私という一人の研究者にとっては、呆然と旬日を送ってしまうほどの凄いパンチだったといえる。」(264.)

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