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河村2014「日本考古学史における自民族認識」 [論文時評]

河村 好光2014「日本考古学史における自民族認識」『日本考古学』第37号:19-36.

本論の要約とも言える文章が、ほぼ同時期に出た(河村2014「考古資料から民族はどう描けるか」『考古学研究60の論点』95-96. )。

「…旧石器時代人が土器を使いはじめて縄文人になるという説明はなされていない。のちの民族形成につながる要素が1万年間におよぶ縄文時代のいつ、どこに現れるかという問いに留めるべきだろう。」(19.)

1頁目の「論文要旨」に記された文章だが、どういう意味なのだろうか? 
日本民族を形成する要素?が縄文時代の早期とか中期あるいは晩期に見出されるという問いを求めているのだろうか?
論文本文に該当する箇所を求めたが、以下の文章しか見当たらない。
「「日本民族の形成と直接あるいは間接に関係をもつ」のは縄文時代の全部ではない。ヒスイがあるから縄文人も日本人といった論は飛躍にすぎず、次につながる要素がいつどのように起こり、どのように受け継がれたかという問いに留めるべきだろう。
日本列島における民族形成は、旧石器時代、縄文時代ではなく、弥生時代以後の歴史的展開の過程でおこる。」(32.)

要旨では縄文時代と言い、本文では縄文時代ではないと言う。これでは、正確な「要旨」(要約された内容)とは言えないのではないか。
そして未だに文意が不明瞭である。

もう一つ、本論の最終文。
「再び「近さ」と向き合う現在、旧日本人考古学者が何をどう考えたのか、思考や実感といった意志的部分にも分け入り、その功罪を今日の視点で見極めることは、日本考古学における課題である。」(33.)

「旧日本人考古学者」とは、どのような考古学者なのだろうか? 学術論文では初めて見る用語である。
戦前生まれの考古学者? それとも戦前に活動した考古学者? それとも戦前的な思考法を有する考古学者? 
査読された方々は、皆さん、了解されたのだろうか?
そして、その「実感」に「分け入る」ことなど、果たしてできるのだろうか? 
少なくとも私には担いきれない「課題」である。

「日本考古学史における自民族認識」が、人種交替説・民族併存説から単系民族説・一系日本人論へと移り変わったというのが、本論の大まかな「要旨」であるが、こうしたことは著者も引用されている小熊英二1995『単一民族神話の起源』などで既に詳述されていることではないのか。
何よりも、本論と極めて関係があると思われる、本ブログでも紹介した内田好昭2011「日本考古学の時代区分」『考古学研究』58-3:27-36.に対する言及がないというのは、どういうことだろうか?
内田2011では、本論よりも更に明確に「日本史」における民族交替論から固有空間論へ、社会集団と時代を一致させる考え方から空間と一致させるあり方へ、横から縦へのパラダイム・シフトを描きだしている。

著者が内田2011の存在を知らないはずはないのだから、意図的に言及しなかったのだろう。
本論の査読者たちも知らないはずはないのだから、意図的に指摘しなかったのだろう。
その意図とは?

掲載誌『日本考古学』は、昨年「執筆要項」を改訂して、論文末の文献表記で定期刊行物中の文献所在頁の明記を求めなくなったようである。
これは明らかに「後退」と言えよう。
現在の学術刊行物において、論文における文献頁の記載は常識ともいえるマナーである。
頁表記のない投稿論文は、体裁不備として突き返されるのが当たり前である。
文献一覧における論文頁不記載という悪癖が是正されるように、編集委員会の再考を求める次第である。

なお本論の前に掲載されている大塚2014の文献一覧は、全て日本語文献にも関わらずアルファベット順で配列されており、明らかな投稿規程違反である。


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