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源ほか2011『現代の「女人禁制」』 [全方位書評]

源 淳子ほか「大峰山女人禁制」の開放を求める会 2011 『現代の「女人禁制」 -性差別の根源を探る-』解放出版社

「「『女人禁制』は女性差別ではない」と公言してはばからない主張は、「伝統はどんなことをしても守らなければならない」ということばにエスカレートし、自己暗示しているとしか思えず、それは、宗教的実践とはとうてい感じることもできない。エゴイズムの昂揚である。「1300年の伝統」に結集(わたしたちには、「呪縛されている」とみえるのだが)している「大峰山」の共同体は、頑固である。大衆もひとたび「大峰山」の「信者」の顔になると、人権もジェンダーも関係なく、超歴史的人格者のごとく変貌した振る舞いをみせる。彼らの主張からは、自分たちがよければ納得できれば、それでいいという姿しかみえない。かつて欧州議会は、「女人禁制」であるアトス山(ギリシャ正教の聖地)に対して、「いかなる伝統・慣習も人権より優先するものであってはならない」という決議を出した。それは、わたしたちの運動の理念を現実にする評価である。」(源 淳子「女人禁制」の思想:4-5.)

深田 久弥(1964)で有名な「日本百名山」、男性登山家は100座を全て踏破することが可能だが、女性登山家は最初から諦めざるを得ない。なぜなら、#91 大峰山(おおみねさん:1915m)があるから。こんな理不尽がまかり通っていいのだろうか?

当該地は、1936年国立公園、2004年世界遺産になっている。個人の敷地(私有地)ではない。
例えば世界遺産を訪れることを楽しみに旅しているノルウェーの老夫婦が憧れの日本の「熊野古道」に行き、大峰山に登ろうと計画したとする。しかし二人の計画は、「女人結界門」と記されたゲートの前であえなく挫折することになる。「あなたはここで待っていなさい。私だけ登ってくるから」と言うか、二人とも登頂を断念して空しく下山するか。恐らく後者であろう。いずれにせよ2人の「対日感情」が、著しく下落することだけは間違いない。

これは「国益」を損なっていないか?
思い浮かぶのは、2014年埼玉スタジアムに掲げられた「ジャパニーズ・オンリー」の垂れ幕事件である。
東京オリンピックのゴルフ競技会場に選定されたゴルフクラブが正会員は男性だけに限定しており、女性は日曜日にプレーすることすらできないことに対して、国際オリンピック委員会が是正勧告をしたこともあった。(今年になってようやく女性も会員として受け入れることになったようである。当然であろう。)
あるいは最近では自民党の総務会長が後になって「言わなきゃ良かった」などと釈明した、国費で開催するパーティーに招待するのは異性愛者だけとする発言である。

「女人禁制」は、大峰山だけではない。大相撲も天皇制も、そしてアイヌの人びとについても。
なぜならば、様々な差別の基盤をなす性差別の最も顕著な在り様の一つであるからである。

「最後に強調したいのは、アイヌ女性をめぐる研究の少ないことへの懸念だ。複雑な問題性やジェンダーを回避しようという意識、それとも男性研究者がアイヌ民族研究の多数派を占めるという現実のためか、アイヌ女性に関する研究を見るのは稀か、その伝承文化や日常生活を叙述するに留まっているのが現実だ。この傾向が続くのであれば、アイヌ女性にのしかかる問題に光が当たることはないのである。そこで、数人のアイヌの女性たち自身を含め、祖先たちについての理解を深めようとする動きが最近出てきたことを指摘しておきたい。このイニシアチブによって、この分野の研究が今後進むことを期待したい。」(多原 良子「アイヌ問題と「女人禁制」」:233.)

アイヌ民族における「女人禁制」問題については、かつて「送り場」における発掘調査に女性が参加できなかったことについて論評したことがある。しかし「アイヌ問題と「女人禁制」」と題する文章には、そうしたことに関する言及はない。「この分野の研究が今後進むことを期待したい。」

「女人禁制」を弁護・擁護する人びとが根拠として持ち出す第一は、「伝統」である。しかし本来の伝統とは、それに関わる人びとを勇気づけ、希望を与えるもの、生きていく上でプラスとなるものであるはずである。逆にそうでなく、ある特定の人びとを排除し阻害し、その人たちの生き難さを増し加えるようなものが「伝統」の名のもとに正当化されていいはずがない。宗教であれ、スポーツであれ、民間習俗であれ、もし人びとを力づけるもの(エンパワメント)であるならば、その伝統とされる期間がたとえ10年であれ20年であれ、尊重されなければならないだろう。逆にそれが特定の人びとを排除するような抑圧装置として作用しているならば、その伝統が1000年であろうと1万年であろうと現代において存続することに意義を見出すことは難しい。それでもなおその制度に固執するならば、それは単なる自己満足と評されても仕方がないし、国益を損ない続けることになるだろう。

私たちの判断基準は、その制度が差別や抑圧を維持し続けているのか、それともそうした差別や抑圧を解消し解放に向けて努力する世界標準に見合っているかどうかという点にある。
日本になお根強く残る様々な差別感情を私たちの足元から一つ一つ見直していかなければならない。

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