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緑川東問題2018(その2) [論文時評]

前回の和田2018に引き続いて掲載されているのが、以下の文章である。

本橋 恵美子 2018 「東京都国立市緑川東遺跡の敷石遺構SV1について」『東京考古』第36号:113-128.

「SV1は、上屋構造をもつ竪穴建物で、敷石は中央の土坑を造ってから石棒とともに配されたものとみられる。」(114.)
敷石と石棒の同時構築、すなわち「石棒設置敷石住居製作時説」である。

惜しむらくは、引用ミスが頻発していることである。

*黒尾・渋江2014「小結ーSV1とSB2+D1」(132頁)
 「フェイズ①:構築~機能」(114.)→「フェイズ①:SV1構築~機能」
 「上限は縄文時代中期末葉には」(114.)→「上限は縄文中期末葉には」
 「フェイズ②:~石棒の並置」(116.)→「フェイズ②:SV1廃絶~石棒の並置」
*長田2014「国立市緑川東遺跡を石棒から読む」(164頁)
 「4本の石棒利用」(116.)→「4本の石棒の利用」
 「SV1内での利用に可能性は」(116.)→「SV1内での利用の可能性は」
 「考えられる。」(116.)→「考えられる。」」
 「可能性をも考えられる」(116.)→「可能性も考えられる」
*和田2014「敷石遺構と石棒」(169頁)
 「敷石上面の幅が3m弱」(116.)→「敷石上面の広さは左右3m弱」
 「壁面に立位で礫が用いられている。」(116.)→「壁面に立位で礫が用いられるところに」
 「1.68m×1.06m」(116.)→「1.69m×1.06m」
*和田2002「多摩の敷石住居」『多摩考古』第32号(12頁)
 「広域的な発掘により」(117.)→「広域的発掘により」
*五十嵐2016「緑川東問題」『東京考古』第34号(9頁)
 「『立てられていた』とか『樹立』と」(117.)→「「立てられた」とか「樹立」と」
同(11頁)
 「実態として、SV1という」(117.)→「実態としては、SV1という」
 「大形石棒の先端が指し示す」(117.)→「大形石棒の先端部が指し示す」
*中村2017「縄文時代中期末葉から後期初頭柄鏡形住居床面の石棒・土器・屋内土坑」『史峰』第45号(7頁)
 「住居廃絶後されている」(117.)→「住居廃絶後と想定されている」
 「成人一次葬」(117.)→「成人の一次葬」
*山本2017「マテリアリティとしての敷石とその場所が創る特異な景観」『理論考古学の実践 Ⅱ実践篇』(226頁)
 「4本の石棒は、」(117.)→「4本の大型石棒は、」
同(228頁)
 「放置した状態は、」(117.)→「放置したままの状態は、」

さらに117頁では、「以上のように、和田は緑川東遺跡周辺の遺跡の事例から、SV1を「柄鏡形敷石住居」ととらえ、…」と記されている。
本当に、和田2014「敷石遺構と石棒」では、そのようなことが述べられていただろうか?

「敷石遺構SV1について この遺構を敷石住居ではなく、敷石遺構としたのはこの時期の一般的な住居の要件とされる炉が存在しなかったことによる。」(和田2014:169.)
「SV1は類例のない大形石棒4本が並置されていたことから、単なる敷石遺構ではなく特別な祭祀的空間と理解される。」(同:174.)

小田野遺跡SI08の石囲炉についても、先の和田2018では「…大体、こんな細長い炉など、どの敷石住居をみても存在しない」(106.)とするのに対して、本橋2018では「石囲炉で、炉址は楕円形の土坑状を呈している」(118.)とする。

これでは、議論は成立しないだろう。
そして本論における結論は…

「緑川東遺跡のSV1は柄鏡形住居のイメージをもって構築されたが、「住居」として使用されたかは疑問が残る。しかしながら、柄鏡形住居のなかに第4図に掲げたような石棒に関わる祭祀的な特徴がみられる事例があり、SV1は形態からみると柄鏡形敷石住居のひとつであると考えられよう。柄鏡形住居は、すべてが「住居」として機能していたかは問題が多く、SV1や他の柄鏡形住居から祭祀性を誇示するような特殊遺物や祭壇状遺構や配石などが伴う事例が少なくない。」(127.)

何度読んでも、筆者はSV1を住居と考えているのか、それとも住居ではないと考えているのか判然としない。
危惧するのは、以下の文章から推測するに筆者の「住居」と私の「住居」の定義にズレがあるのではないかということである。

「SV1は、他の調査地点の緑川東遺跡や周辺遺跡の柄鏡形住居の事例をみると、主体部の規模や竪穴の構造において何ら大きく異なる点がみつからない。(中略)石棒が2本ずつ左右に配置されている点、(中略)などに柄鏡形住居の特徴がみられる。」(125.)

通常認められるはずの炉が存在せず、あるべき炉の位置に1mを越える大形石棒4本が並置されている施設を「住居」とする考えは、私の想定外であった。

「緑川東問題」に関して筆者の観点から「整理」された見解が示される。

「SV1を巡る議論は、竪穴の敷石住居の廃棄後に石棒が並置されたという見解で、石棒が儀礼のために安置されたあるいは墓坑に埋設されたという。一方で、SV1を柄鏡形敷石住居のひとつと捉え、祭祀的な特徴を備えたものとする見解に整理される。」(118.)

果して、これで緑川東問題について現状が適切に「整理」されていると言えるだろうか?
これではSV1は「住居」であることが前提となっており、石棒設置が廃棄後なのか製作時なのかについてのみ意見の相違があるかのようである。
しかし実際はそうではなく、SV1という遺構の性格(特殊な敷石遺構なのか、一般的な敷石住居なのか)、石棒設置の時機(遺構製作時なのか、廃棄時なのか)という2点の組み合わせから、特殊遺構製作時設置説(五十嵐)、特殊遺構廃棄時設置説(和田)、敷石住居製作時設置説(本橋)、敷石住居廃棄時設置説(黒尾、長田など)の見解に分かれているのである。更には保管庫説(山本典)なども。

ある人はこうした「緑川東問題」の現状について、以下のような感想を記している。

「緑川東遺跡の大形石棒をめぐる議論ではまず、研究の基礎となるべき遺構遺物の出土状況に関する事実について認識を統一することが必要であるが、その根拠に歴史的解釈が先行している印象を受ける。」(別所 鮎実2018「2017年東京の考古学動向 縄文時代」『東京考古』第36号:147.

事態は、このような危惧のはるか手前にある気配が濃厚である。


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